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第35話 静寂の再会

 ヴェノム・ワイバーンの二重反転ローターが、重低音を響かせながら山林の木々を激しくなぎ倒していく。

 漆黒の機体は、まるで獲物を仕留めた後の巨大な猛禽類のように、静かにその巨躯をホバリングさせた。


「カイン、ラズロ。降下準備!」


 マリアンヌ曹長の鋭い声が電脳に響く。

 ハッチが跳ね上がると同時に、ロサンゼルス郊外の冷え切った夜気と、森の奥深くで何かが焦げたような、鼻を突く異臭が機内に流れ込んできた。


 カインは無言で、自身の電脳を機体からパージする。

 ラズロは愛銃のスライドを一度だけ弾き、安全装置を解除した。

 二人は一瞬だけ視線を交わすと、15m上空から漆黒の闇が広がる地上へと躍り出た。


 二人のブーツが腐葉土を叩く反応を検知すると、操縦席のマリアンヌはマスターレバーを握り直し、背後の二人へ向けて最後のアドバイスを送る。


「……生体反応が無いけど油断しないで。予定通り3時間後にピックアップに来るわ。クリティカル・インシデント(突発事案)があったら速報して!」

「了解だ、マリアンヌ。無いとは思うが対空攻撃に気をつけろ!」

 ラズロが叫ぶ。

 カインは暗視モードの感度を調整しながら、機体を見上げることなく片手を上げた。


「……吉報を待ってるわ。死ぬんじゃないわよ、二人とも」


 マリアンヌがレバーを引き絞ると、ワイバーンは咆哮を上げ、垂直に上昇を開始した。

 猛烈なダウンウォッシュが二人のコートを激しく羽ばたかせ、土埃を巻き上げる。

 

 次第に遠ざかっていくローター音。

 それは、文明社会からの唯一の繋がりが断たれた合図でもあった。

 

 やがて、完全に音が消えた。

 ヴェノム・ワイバーンの暴力的なローター音が、遠く山嶺の向こうへと溶けていく。

 後に残されたのは、巨木の影が重くのしかかるコンクリート倉庫と、耳を刺すような、あまりに不吉な静寂だけだった。

 カイン・ヴィラールは、吸い込まれるようにその倉庫(闇)へと足を踏み入れる。

 AR (網膜上の拡張視界)が起動し、視界を幾何学的なグリッドが覆った。

 システムは、冷徹な機械音と共に、非情な数値を次々と脳内に直接叩き込んでいく。


「前方15メートル、目標捕捉……。顔認証一致率99.78%。ターゲット、ストライカー。心拍、脳波、共に確認不能。生命反応、完全に消失」


 だが、カインの視線はその巨躯には向かなかった。

 システムが自動的に次の照合を開始し、視界の隅で赤いエラーログが点滅し始めたからだ。


「……ッ、バカな! 何かの間違いだ……、電脳が狂ってやがる! エラーを吐き出し続けろ、こんな数値、認めてたまるか!」

 喉の奥から、獣の咆哮のような切り裂くような叫びが漏れた。


「どうした!カイン!しっかりしろ!何があった!」

 ストライカーの遺体から22.3メートル離れた場所。

 倉庫内のコンクリートの木箱が通信んである場所。

 湿った腐葉土と、虹色の光沢を放つオイルの染みの中に、それは無造作に転がっていた。

 アリアの、頭部だった。

 

 かつての無邪気な面影をかすかに残したまま、首から上を物理的に喪失した、しなやかな体が、泥にまみれたスクラップのように横たわっている。


「顔認証、骨格データ照合率……98.48%。個体識別、アリア・シズク・ウォーカー……。……嘘だろ? おい、アリア、冗談だろ……? いつものように、急に起き上がって笑ってみせろよ」

 カインは膝から崩れ落ちた。

 サングラスの奥、鋼鉄の体と引き換えに捨てたはずの涙。

 過負荷を起こしたように流れ出る、熱い液体を止める事が出来ない。

 捜査官としての冷静な演算回路は、すでに修復不能なまでに焼き切れていた。


 カインにとって、アリアという存在は何だったのか。

 「好き」という言葉では、この胸を切り裂くような喪失感を説明できない。

 「愛」という手垢のついた概念ですら、今の彼にはあまりに頼りなく、生ぬるい。

 彼女が隣で奏でていた無邪気な笑い声。

 ワインの味に一喜一憂し、肉の焦げを笑い飛ばした、あの「生きた」時間。

 粉砕されたチップは五枚。 

 それは完全に「アリア・シズク・ウォーカーという人格の根本、そして全てが修復不可能である事を意味する。

 現場に舞っている白い粉塵は、どの様な奇跡をもってしても、二度と彼女の人格が呼び戻せない事を明確に告げていた。

 彼女の快活で、聞くだけで心地よい声……もう二度とカインの無機質な電脳を震わせることはない。

 その取り返しのつかない事実が、カイン・ヴィラールの世界を根底から粉砕した。


「おい、カイン! ストライカーは完全に事切れてる。逃げられちゃいねえ。……本部に死体データの送信は完了だ。……おい、大丈夫か?!カイン! 聞いてるのか!」


 背後からラズロの声が届くが、それは異次元のノイズのように遠い。

 風景が……音が歪む。

 カインは這うようにして、アリアの頭部へと歩み寄った。

 かつてあれほど鮮やかだった瞳の光は失われ、レンズはひび割れ、冷たいチタンの骨格が剥き出しになっていた。


「カイン、ダメだ。近寄るな! GEゴースト・イレイザーが使われてる!」

 ラズロが鋭く叫び、カインの肩を強く掴み上げた。

 その足元には、コード:E-X09 "GHOST_ERASER"――通称「ホワイト・アルカニスト・グレネード」の残骸が、その牙を隠すように転がっている。


 それは殺傷ではなく、「情報の完全沈黙」を目的とした悪魔の兵器だ。

 第1層の高濃度フッ化水素酸が、銃弾の線条痕も、犯人の指紋も、サイボーグの識別チップさえも溶かし、ドロドロの液体へと変える。

 続いて第2層のナノ・シリカ粉末がそれを雪のような白い粉へと封じ込め、DNA鎖すらズタズタに断絶する。

 この「白き魔術師」が作動した後の現場には、生命の気配すら残り得ない。

 そこにあるのは、すべてが滑らかに溶け落ちた、あまりに美しく、残酷なまでに無機質な空間だけだった。


「……あ、あぁ……アリア……。どうして、お前がこんな……。ストライカーを追っていたはずなのに、どうしてここに、お前が落ちてるんだよ……」


 カインの口から、言葉にならない呻きが漏れる。

 

 カインは震える手で、アリアの遺体を抱き上げた。

 電脳の深部を覗けば、そこにあるはずの「心(人格データ)」は、悪意ある粉によって無残に粉々に破砕されていた。


「ラズロ、手伝ってくれ。こいつを、このままにはしておけない。……こんな白い粉の中に、置いていけるわけがないだろう」

「こいつ?まさか……」

 ラズロが見たのは、初めて見る相棒の涙と、その手に持たれたアリアの頭部。

 カインの声は、死者のように枯れ果てていた。

 ラズロは、相棒のサングラスから滴り落ちる涙に気づかないふりをして、静かに横に跪いた。その大きな手が、カインの震える肩に触れる。


「……分かった。まずは洗浄だ……。水道が生きてて良かった。次にその右手だ。規定のパージ作動を使えば、綺麗に分離できる。無理に引きちぎるなよ。アリアの体をこれ以上、傷つける必要はない」


 カインがアリアの右腕――あの凶悪なレーザーバルカンを内蔵したプロトタイプの戦闘腕に指をかける。

 規定の緊急ロックを解除すると、プシュリと圧縮空気が漏れる音がし、肩のジョイントから腕が滑らかに外された。

 表皮は爛れているが、ラズロが懸命に流した水により、かろうじて腕パーツの重要区画へのGEの侵食は止められていた。


「カイン、それだけじゃ足りない。ここを見ろ。……隠しスイッチは、ここだ。彼女の『遺産』だ」


 ラズロがアリアの破壊された左眼窩に指を入れ、熟練の手つきで内部の微細なレバーを動かす。

 カチリ、と硬質な金属音が響き、アリアの左耳後方、髪に隠れていた人工皮膚の下から五枚のガラスプレートが静かにせり出してきた。


 カインの瞳に、一瞬だけ狂おしいほどの希望が宿る。

「アリアの心が、思い出が、この中に残っているのか!?」

 だが、ラズロは静かに、そしてあまりに残酷に首を振った。


「……希望をかき消すようで悪いが、カイン。これはアリアの『心』じゃねえ。……おそらく、そのレーザーバルカンの制御系と、連動する火器管制データだけだ。彼女の人格スタックは……もう、跡形もねえよ。奴らは徹底的に、魂まで焼きやがったんだ」


「……いや。それでいい。構わないさ。俺は……ただ、この武器が欲しいだけだ。奴らを殺すための、力が……」

 カインは自分に言い聞かせるように、震える声で呟いた。

 嘘だ。

 そんなはずはなかった。

 アリアの「一部」を自身に刻み、肉体的な痛みとして共有する。

 そうでなければ、喉を掻きむしるようなこの絶望には到底耐えられなかった。

 カインという一人の処刑人が、人生で唯一、狂おしいほどに求めた『愛』――その感情が行き着いた先は、この救いようのない結末だった。


「カイン……アリアの遺体を運ぼう。せめて、汚れていない場所で綺麗にしてやるんだ。そして、つけるんだろ? その右腕を。……いいか、改修には相当な時間がかかるぞ。お前の頭蓋をダブル電脳プレート内蔵モデルに換装しなきゃならんし、戦闘用パーツの適合も見なきゃならねえ。もしかしたら、アリアの頭蓋パーツをそのままベースに移植する必要が出てくるかもな」


「構わない、ラズロ。できる限りでいい。……アリアのパーツを、俺に付けさせてくれ。彼女の感触を、俺の一部にしてくれ。勘違いするな……俺は……奴らを殺す力を手に入れたいだけだ」


 カインが顔を上げた。

 サングラスの奥の瞳は、もはや涙を湛えてはいなかった。

 そこにあるのは、冷徹な捜査官の眼差しでも、悲しみに暮れる青年の瞳でもない。

 すべてを焼き尽くし、跡形もなく殲滅しようとする、純粋なまでの破壊衝動だった。


「犯人は…… Destroy(殲滅)だ。一秒でも長く生かしておくつもりはない。絶対に、この手で、細胞のひとつまで消し去ってやる」


「手伝うさ。当たり前だろう、相棒。地獄の底まで付き合ってやるよ。……俺もジェシカの時の借りがあるんだ」


 ラズロは一度、カインの細い肩を力強く抱きしめた。

 鋼鉄の義体同士が激しくぶつかり合い、重く鈍い金属音が静寂の倉庫に響き渡る。


「……今のうちに泣いておけ。ヘリが来るまでには、その涙を止めておけよ。俺たちは、アリアに顔向けできないような残虐で、非情な『エクスキュショナー』に戻らなきゃならねえんだからな」


 ラズロはそう言い残すと、アリアの頭部から排出された火器管制チップを慎重に回収し、保護ケースに収納する。

 

 一人残されたカインは、アリアの冷たい腕を、まるで壊れ物を扱うように抱きしめ、天を仰いだ。


 フルサイボーグの自分に、これほどの「痛み」が、これほどの「熱」が残っていたとは。

 肺のない胸が、空気を求めて激しく上下する。

 雪のように白い粉がしんしんと舞い落ちる倉庫の中で、死神は静かに、しかし最も苛烈な復讐を誓った。

 この右腕に宿る火力が、アリアという少女の存在をこの世界から消し去ろうとした者たちへの、最期にして最大の「報復」になることを。

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