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第31話 絵

 エル・セグンドの喧騒を離れ、一行が辿り着いたのは、山中の人跡稀な山中にひっそりと佇む無機質なコンクリート倉庫だった。

 生い茂る巨大なシダ植物と、遮光性の高い巨木が作り出す濃い陰影が、真昼の太陽からこの場所を執拗に隠匿している。

 車を降りると、そこには都会の乾燥した熱気とは無縁の、古い石灰と湿り気を帯びた不気味な静寂だけが横たわっていた。


 アリアが先頭に立ち、リボルバーの冷たい重みを右手の指先に感じながら、一歩ずつ腐葉土を踏み締めて歩を進める。

 最後尾はクロエが務め、鋭い視線で背後の警戒を怠らない。

 その間に、怯えたように肩を窄めたヘーゼルを挟む、完璧なV字陣形だ。

 正面玄関に辿り着いた瞬間、アリアの喉の奥が小さく鳴った。

 重厚な鋼鉄の扉は、本来なら厳重な特殊合金のチェーンで封印されていたはずだった。

 しかし今、その太い鎖は無慈悲な大型のチェーンカッターによって文字通り両断され、地面に無造作に転がっている。

 切り口は驚くほど新しく、周囲の湿気を撥ね除けるような鈍い金属光沢を放っていた。


「……先客がいるようね。嫌な予感がするわ」

 アリアが短く呟くと、背後からクロエの低く、刺すような声が返ってきた。

「慎重に探索しましょう。アリア、安全装置は外しておきなさい。この場にいる『招かれざる客』に、慈悲は不要よ」


 埃の舞う倉庫内。

 高い天窓から差し込む一筋の光が、闇の中に浮遊する塵を白く照らし出している。

 その薄暗い空間の最奥、古い木箱が積み上げられた影に、一人の男が立っていた。

 『ストライカー』、ラズロとカインの上司などと彼女達は知る由もない。

 その筋骨隆々とした巨躯は、返り血を浴びたように赤く染まり、その太い腕には厳重に梱包された一枚の「絵」を、まるで恋人を抱くように大切に抱えている。


「アリア! あいつよ!」

 クロエの鋭い叫びが、静まり返った倉庫の壁に反響し、不吉な木霊となって戻ってきた。

「あいつは指名手配中の『スコーピオン』の幹部よ! 警告も説得も不要。今この瞬間、その場で射殺して!」


「オーケー、クロエ!」


 アリアの身体が、軍用プロトタイプの反射神経によって爆発的に弾かれた。

 パステルカラーのスカートの裾を鮮やかに翻し、右内腿のガーターホルスターから愛銃『S&W M649-C』を引き抜く。

 迷いはない。

 信頼するパートナーの言葉は、アリアにとって絶対のトリガーだった。

 

 バァン! バァン! バァン! バァン!

 

 狭い倉庫内に、鼓膜を震わせる四発の重低音が炸裂した。

 放たれたのは、通常の弾丸ではない。

 硬質のセラミック装甲すら粉砕する対サイボーグ重量弾『ACHR弾(対サイボーグ重量弾)』だ。 

 その一発一発が、ストライカーの胸部と眉間に正確に吸い込まれる。

 凄まじい衝撃に肉飛沫が舞い、巨体が糸の切れた人形のように後方へ吹き飛んで崩れ落ちた。

 アリアは硝煙を吐く銃口を一振りし、熱を帯びたシリンダーを確認すると、流れるような無駄のない動作で再びガーターホルスターへと銃を収めた。


 事切れた男の死体の側へ、アリアが慎重に歩み寄る。

 しかし、彼女の左目が捉えた映像に、拭い去れない違和感がノイズのように走った。


「ねえ、クロエ……こいつ、おかしいわ。義体化率が低すぎる。左目のスキャン結果によれば、内臓も骨格もほぼ生身……ただの『ナマモノ』じゃない。本当にこれが、あの悪名高い『赤い蠍』の幹部なの? 何か間違いじゃないの?」


「そんなことはどうでもいいわ! 見て、ついに見つけたのよ……これを、この瞬間のために!」


 クロエはアリアの疑問を嘲笑うように鼻で笑い飛ばし、死体の腕から奪い取るようにして絵を回収した。

 彼女は恍惚とした表情で、血に汚れた梱包を乱暴に剥ぎ取り、その表面を食い入るように見つめる。

 そして、おもむろに左手に持っていた統一国家警察支給のハンディスキャナーを絵にかざした。


ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。

 軽快な電子音が、死者の沈黙を破って響き渡る。

 それを見届けたクロエの薄い唇が不自然に吊り上がり、やがてそれは狂気を孕んだ高い笑い声へと変わった。


「やった……やったわ! ついに手に入れた。このコードさえあれば……フフ、アハハハハ!」


「……やったね、クロエ。ちょっと気味悪い笑い方。何?悪役の親分モード?……まあ、これで今までの謎がようやく解けるわね。さあ、こんな死体のある場所からはおさらばして、早く船へ帰りましょう。ヘーゼルも怖がってるし」


 アリアが安堵の溜息を吐き、出口へ向かおうと背を向けた。

 だが、その足が、磁石に吸い付けられたかのようにぴたりと止まる。


 アリアの電脳が、今しがた背後で行われた「スキャン」のログを無意識に再構築していた。

 クロエが手に持っていたのは、確かに見慣れた警察の標準スキャナーだ。

 しかし、先ほどのスキャンは行政サーバーへのアクセスを一切行っていない。

 それどころか、アリアの精密な動体視力と演算が弾き出した結論は――スキャナーはただ「持っていただけ」で、電源すら入っていなかった。


「……え? クロエ。今のスキャン、どこに飛ばしたの? そのスキャナーの行政のバックアップログに何も残ってないわよ。それに……あなた、スキャナーのスイッチ、最初から入れてなかったわよね。今のスキャン音、どこから鳴ったのよ?」


 アリアが冷や汗を感じながら、ゆっくりと、恐る恐る振り返る。

 そこには、今まで見たこともない冷酷なかおをしたクロエが立っていた。

 彼女の瞳の奥、本来なら生身の人間であるはずの虹彩に、見たこともない複雑な幾何学パターンが浮上し、深紅の光を放ちながら高速で明滅していた。


「……その網膜スキャン。あなた、生身のはずなのに……。そんな最新式のサイバー・アイ、カタログには載ってない。まさか、あなたもサイボー……」


――ガァーーーン!!


 雷に打たれたような衝撃が、アリアの思考を真っ白に塗り潰した。

 激痛が神経を伝わるよりも早く、二発目のACHR弾がアリアの左眼窩を正確に貫いた。

 強化チタン合金の頭蓋の中でも、唯一の開口部であり、外部センサーと直結する最大の脆弱部。 

 そこを、最も信頼し、背中を預け合ってきたはずの親友が、一点の迷いもなく撃ち抜いたのだ。


「バカねえ、アリア」

 クロエの声は、いつもの厳しいが信頼に満ちた親友のものではなかった。

 それは雲の上から汚物を見下ろす支配者の、あまりにも冷酷で平坦な響きだった。

 崩れ落ち、視界の半分を物理的に喪失して、火花と冷却液を散らすアリアを睥睨し、クロエは言葉を続ける。


「『高貴なる私の親友』なんていう、吐き気がするような栄誉を演じてあげたのは、世界中で貴女くらいなものなのよ。……余計な詮索さえしなければ。適当にバカのフリをして、私の便利な手駒として死ぬまで動いていれば、まだまだ可愛がって使ってあげたのに。本当に……救いようのない、バカな子ね、アリア」


 アリアの残された視界から、急速に光が失われていく。

 血とオイルが混ざり合い、鉄錆の臭いが充満するコンクリートの上で、彼女はただ、信じ続けていた絆という「光」が、精巧に作られた偽物であったことを、絶望と共に知るのだった。

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