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第26話 依頼人

 初夏。

 統一国家の重要拠点の一つ、ロサンゼルス。

 この街の太陽は、美しさと残酷さを同時に持ち合わせている。

 眩い陽光はサイボーグたちの人工皮膚を灼き、ビル群が作る濃い影は、社会の「バグ」たちが潜む絶好の隠れ家を提供していた。


 アリアが指定されたのは、サンタモニカの喧騒から数ブロック離れた、潮風の香りが微かに届く路地裏のカフェだった。

 古びたレンガ造りの外装。

 客層はまばらで、電脳のノイズを嫌う隠居老人たちが数人、ホログラムも展開せずに高価な古い紙の本を眺めている。

 そんな静寂の片隅に、その「違和感」は座っていた。


 使い込まれたデニムシャツの袖を捲り、華奢な手首を晒している少女。

 ジーンズに包まれた脚は細く、椅子に座ったその姿は、まるで初夏の風に吹かれればどこかへ飛んでいってしまいそうなほど儚い。

 後ろで一つにまとめられた長い青髪が、窓際から差し込む強い日差しを透過し、水槽の底のような幻想的な輝きを放っている。


「依頼をくれた……ヘーゼル・ブルックス、さんね?」

 アリアが静かに声をかけ、対面に腰を下ろした。

 その瞬間、ヘーゼルの肩が大きく跳ねた。

 それは「驚き」というよりは、死線から逃げ続けている者が反射的に見せる「生存本能」の震えだった。


 アリアは表面上はリラックスした態度を崩さず、スキャナーを起動させる。

 虹彩の奥で、無機質なデータが滝のように流れ落ちた。


【対象:ヘーゼル・ブルックス(推定)】

全身換装体: 各パーツは「ロビンソン・メディカル」社DEシリーズ統一。

武装: 検知不能。内蔵武器、強化フレーム、ハッキング・ポート……すべてが非戦闘用。

内部構造: 軽量化スポーツ用

擬態・偽装の可能性: 0.003%


(……信じられない。非戦闘なのにフルサイボーグなんて初めて見たわ……いるの?そんな人)

 ヘーゼルの容姿は、人目を引くには美しすぎ、生き残るにはあまりにも無防備だった。

 長い青髪を後ろで綺麗にまとめているのが、何処となく儚さを感じさせる。


「……依頼を、受けてくださってありがとうございます、アリアさん」

 ヘーゼルが絞り出した声は、震えていた。

 彼女は必死にカップを握りしめているが、指先がカタカタと磁器を叩く音が、静かな店内に響いている。


「単刀直入に言うわ。私が知りたいのは、何を、どこで、誰から守ればいいのか、それだけよ」

 アリアの冷徹な問いに、ヘーゼルは顔を上げた。

 大きく潤んだ瞳。

 そこには深い恐怖と、消え入りそうな希望が混濁している。


「ある絵を、探して欲しいんです。隠されている場所は、エル・セグンドの……ある場所です。でも、私一人ではあそこまで辿り着けない。狙われているんです。……きっと、スコーピオンです」


 その名が出た瞬間、カフェの空気が凍りついたように変質した。

 統一国家の平穏を内側から音もなく蝕み、大統領の寝室からスラムの路地裏まで、その毒針を届かせると噂される巨大な闇。


 アリアは、手にしていたアイスティーのグラスをテーブルに置いた。

 カチャリ、と氷が乾いた音を立てる。

 彼女の黒い瞳が、獲物を射抜くような鋭さを帯びた。


「……ちょっと、ヘーゼル。冗談なら別の名前を挙げてくれないかしら?」

 アリアの声は、低く、そして地を這うような冷たさを孕んでいた。


「レッド・スコーピオン……。それはこの街のチンピラや、ちょっとしたマフィアの集まりじゃないわ。統一国家の心臓部にまで触手を伸ばしている、世界最大の犯罪シンジケートよ。彼らが動けば、一晩で一つの街が機能不全に陥る……。そんな化け物を相手にしているなんて、悪い冗談にしては悪趣味すぎるわ」


「じょ、冗談じゃありません……!」

 ヘーゼルが身を乗り出した。華奢な肩が、恐怖と、理解されない焦燥で激しく震えている。


「信じてください、アリアさん! 私は……私は本当に追われているんです。嘘をついて得をすることなんて、私には一つもない!」

 ヘーゼルは必死に血を吐くような思いでつぶやいた。

 ヘーゼルは震える拳を握りしめ、言葉を継いだ。


「警察も、軍も……もう信用できません。あの中に、どれだけ蠍の構成員が混ざっているか分からない。私の命は、彼らにとっては『片付けなければならない危険因子』なんです。だから、ボディガードをお願いしたい。絵を回収して、私を安全な場所まで……」


 アリアは黙って、ヘーゼルの瞳を凝視した。

 [Biometric Analysis]の結果は、依然として「Truth (真実)」。

 彼女の脈拍、発汗、瞳孔の開き具合……そのすべてが、命を懸けた真実であることを告げている。


「……危険因子、ね」


 アリアは、自分の右腕に潜む『オルトロス』の駆動系が、戦闘準備のために微かな熱を帯びるのを感じた。


「いいわ。その真っ青な顔、演技にしては出来すぎているもの。……でも、一つだけ言っておくわよ、ヘーゼル。もし本当に蠍が相手なら、これはただの『絵探し』じゃない。地獄への逃避行になる。私は命懸けで守るけど、あなたも覚悟が必要よ」


「……覚悟の上です。お願いします、アリアさん。私には、もうあなたしかいないんです」

 ヘーゼルの悲痛な訴えに、アリアは小さく溜息をついた。

 かつて、自分を裏切ったワン・ウェイファン。そして、ワンの刺客からバスタオル一枚で自分を救ってくれたクロエ。

 

 ロスの眩しすぎる陽光の裏側に、再び真っ赤な血の色が混ざり始めようとしていた。

「……待って。その『絵』、もしかしてワンが探していたものと同じ?」

 アリアの脳裏に、かつて同じ情報を追っていた男の姿が浮かんだ。

 ヘーゼルの表情が劇的に変わる。

 絶望の底で、唯一の味方の名を聞いたかのように、その顔に赤みが差した。


「……ワンさんを、知っているんですか!? 彼は父の親友で……私を助けてくれるはずの人なんです! 彼は、今どこにいるんですか?画廊も閉まってて……」

 身を乗り出すヘーゼル。

 アリアはコーヒーを一口飲み、その苦味と共に、最も残酷な返答を投げた。

「死んだわ……。連中に消された……多分蠍……」


「…………っ」

 ヘーゼルの時間が止まった。

 大きな瞳から光が消え、陶器のような肌がみるみるうちに青ざめていく。

 彼女がどれほど孤独な逃亡生活を送ってきたか。

 唯一の希望だった「父の親友」の死は、彼女を深い虚無へと突き落とした。


 アリアはこの依頼を、自身の本能に従って「慎重に」扱うべきだと判断した。

 『絵』、『ワン』との繋がり、そして命を狙われているという……この少女――ヘーゼルには、赤い蠍が喉から手が出るほど欲しがる「何か」がある。


「分かったわ。その依頼、引き受ける。……ただし、私のルールに従ってもらうわよ。まずはあなたの家へ行きましょう。荷物をまとめて、ここを離れるわ」


「……家は、無いんです。ずっと車で転々として……モーテルを使ってて……でも、普通のホテルだと追跡されるかもしれない……」


 ヘーゼルは力なく首を振った。

「お金は、電子でたくさんあります。でも、どこへ行けばいいのか……」


(クロエのセーフハウスも、これ以上は使えないわね。多分、怒られちゃうわ……)


 アリアは即座に電脳通信を展開する。

 接続先は、親友のクロエだ。


「クロエ、私よ。……ちょっとした『迷い子』を拾ったわ。通信だと事情は話せないけど、例の件に関連する重要人物よ。……ええ、ちょっといろいろ助けて欲しいの」


「……またなの、アリア。この前、バスタオル一枚でグラム・レイをぶっ放したあと、引っ越しまでさせられた私の苦労、もう忘れたわけじゃないわよね?」


 脳内に直接響くクロエの声は、呆れと、隠しきれない安堵が混ざり合っている。

「忘れるわけないじゃない。あの時のクロエ、最高に格好良かったわよ。……泡だらけだったけど」


「うるさいわね。……それで、用件は? まさかまた、どこかの画商に命を狙われて、リブート(再起動)もできないほど酔っ払ってるわけ?」


 クロエはルームウェアで、ソファーに転がりながら眼鏡のブリッジを神経質そうに押し上げた。 

 その横のデスクには、彼女が今まさに処理している、山のような刑事局の事案データが手付かずでPCの灯りをともしている。


「いいえ、今日はシラフよ。……ねえ、クロエ。依頼人よ。でも、『絵』に絡んでる。そして危険な状況よ。助けて欲しいの」


 アリアは視界の端で、現実世界に座るヘーゼルを捉え、その映像データを一部、暗号化してクロエに転送する。


「『絵』……? まさか、あのワンが血眼になって探していた『赤い聖母』のこと? ……アリア、あなた自分が今、どれだけ巨大な蜂の巣を突っつこうとしているか分かってるの?」


「分かっているわ。だから、あなたのところで匿って欲しいの。今のセーフハウスじゃ……使っちゃダメ?でしょう?」


「……匿う?冗談はよしてよ。流石にそんな危険因子は困るわ。そして、うち(USCIB(統一国家刑事局))を何だと思ってるのよ。刑事局って避難所斡旋施設じゃないのよ。それに、この子……何よ、このスキャンデータ。フルサイボーグ(全身換装体)なのに、パーツが全部『ロビンソン・メディカル』の民生品? 武装ゼロ? 冗談でしょう?」


「そうなのよ。擬態の可能性は0.003%。……でもね、クロエ。この子、ワンの知り合いなの。彼が死んだって教えたら、今にも崩れそうな顔をして……。放っておけないわよ」


「……はぁ。あなたのその「お人好し」な性格、軍の諜報部にいた頃からちっとも直らないわね。……いいわ、引き受けるわよ。ただし、条件があるわ」

 クロエは電脳空間の椅子に深く腰掛け、不敵な笑みを浮かべた。


「報酬はベバリーヒルズにオープンした「例のタルト」のお店、あなたが奢りなさい。十個でも二十個でも、私が満足するまでね。……もちろん、あなたの私費で』


「……食べ放題!? 刑事局のエリートが、親友相手にそんなボッタクリみたいな真似するの?」


「 私だって、今度はバスタオルじゃなくて、パジャマ姿で戦わなきゃいけなくなるかもしれないんだから」


「……分かったわよ。タルトでもステーキでも、何でも奢ってあげる。……助かるわ、クロエ。あなたがいなきゃ、私、今頃汚いロッジでゴキブリにACHR弾(対サイボーグ重量弾)ぶち込むところだったわ」


「それ……冗談よね?まあ、いいわ。探しておく。ロスに拠点置きながら、エル・セグンドに行ければいいのよね?」


「……了解。愛してるわよ、クロエ」


『……気持ち悪いこと言わないで。……じゃあ、後でね』

(……ごめんね、クロエ。また勝手に決めちゃった。……でも、あのヘーゼルを死なせたくないの。……こんな不憫な子、死なせたらダメよ)


 右腕に潜むオルトロスが、主の決意に応えるように、微かな、しかし力強い振動を神経インターフェースに伝えてきた。


「……話はついたわ、ヘーゼル。……お茶でもしましょう。そのうち『泊まる場所』の連絡が来るわ」

「……は、はい。ありがとうございます、アリアさん」


 アリアがクロエと交渉している間、ヘーゼルの心は絶叫していた。

 ワンが死んだ事にショックを隠しきれない。


 ロスの眩しすぎる太陽の下、少女は隣で早速ワインを傾け始めたアリアを見つめる。

「……アリアさん。……私、あなたを信じてもいいんですね?」


「……信じてちょうだい。わざわざ私を頼ってくれたんだもの、しっかりと護ってあげるわ」

 アリアの温かい、そして確かな力強さを持った言葉に、ヘーゼルは小さく頷いた。


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