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第21話 Death Gemini

 オークション会場の熱狂が、一瞬にして冷水に変わる。

 競売人が木槌を叩き、無機質な音が地下聖堂に響いた。


「――落札、『704番』様!」


 会場の四隅に潜んでいた用心棒たちが、一斉に競売台を取り囲む。

 落札者の男――病的なまでに痩せ細った指先で、何の変哲もない『赤い聖女』の額縁を掴んだ男が、不気味な笑みを浮かべて立ち上がった。


 カインはカウンターの影から、その光景を殺気混じりの視線で射抜いた。

 網膜に展開されたスキャンデータは、男の正体について「Cancerキャンサー・第一級指名手配・手配罪名23件・警官殺し・エクスキューショナー殺し・他・取扱危険人物・外観スキャン一致により即刻処刑執行許可・人物の詳細不明」という忌々しい警告を繰り返している。


「……あれは『Cancerキャンサー』だ」


 カインが吐き捨てるように呟く。

 その名は、法執行機関にとって最大の禁忌の一つだった。

 彼は電脳麻薬『N.O.(ノー)』の製造・流通を一手に担う謎の元締め『Death Geminiデス・ジェミニ』の懐刀であり、その配下として数多のエクスキューショナーを葬り去ってきた第一級指名手配犯だ。

 Death Geminiとは、おそらくは赤い蠍幹部、いや首領そのものかも知れない。

 彼自身もまた、その危険度において主と同格の災厄と見なされていた。


 ラズロがグラスを強く握りしめ、パキリとひび割れる音を立てた。

「ジェミニの犬が……。何のためにあんなゴミ屑みたいな絵を欲しがった? いや、あの男の目だ。あれはただの入札じゃない。何か裏があるはずだ」


 アリアは二人のただならぬ様子を横目で追い、その表情からターゲットが「単なる犯罪者」を超えた存在であることを察知した。


 彼女は行政データにアクセスする権限を持たないが、カインの強化眼球が赤く明滅し、ラズロの殺気が目に見えて鋭くなったことで、ターゲットの危険度が「通常」を超えたことを理解する。


「……ねえ。あんたたちの反応、いつもと違うわね。あの『704番』……何者なの? アンバーの件で呆けてる場合じゃなさそうね」


 ラズロがアリアの問いを無視するように、カインへ極めて短い低音で囁く。

「カイン、ジェミニの犬だ。こいつを野放しにして会場を出せば、俺たちの首が飛ぶぞ。……絵なんかどうでもいい。今ここで、キャンサーの心臓を止めるのが俺たちの『任務』だ」


「ああ。絵の奪取などという贅沢は言ってられないな」


 キャンサーは周囲を圧倒的な数の私兵に守られながら、悠然と出口へと向かって歩き出す。

 脇に抱えた『赤い聖女』は、まるでただの古い紙切れのように扱われていた。


 地下駐車場の喧騒を抜け、冷たい夜風が吹き抜ける中、カインのSUVが静かに停車していた。


 カインはトランクを跳ね上げ、調整を終えた『ベヒーモス』をその手に取る。

 鈍い金属光沢が、駐車場のわずかな明かりを吸い込み、殺意を孕んだ影を落とした。

 ラズロもまた、ショットガンを組み立て、準備を整える。


 その時、背後でカツリとヒールがアスファルトを鳴らした。

 アリアだ。

 彼女はカインのSUVへ歩み寄ると、ドレスのスリットを優雅に翻し、当然のように助手席のシートへ滑り込んだ。


「……あら、ちょうどいいところね。私のタクシーはもう帰っちゃったし、あの銀色のSUVに追いつくには少々役不足みたい」


「おい、誰が乗せてやると言った?」


 カインがハンドルを握ったまま鋭く睨みつける。

 アリアは冷徹なまでの美貌を崩さず、右腕のレーザーバルカン接続部をカチリと鳴らした。


「あんたたちだけで、あの四台のSUVの護衛を掻い潜れるの? 助手席からの射撃と演算支援、これがあっても断るかしら?」


 ラズロが後部座席で愉快そうに笑う。

「いいぜカイン。この殺伐とした追跡行に、少しばかり華があっても罰は当たらないだろ?」

「あら?贅沢な華でしょう?」

 クスクスと可愛らしくも妖しく笑う。

 

 カインは深く溜息をつき、ギアをバックに入れた。

 車体が唸りを上げ、猛然と旋回する。

 ヘッドライトが遠ざかっていくキャンサーのSUVを捉えた。


「シートベルトをしろ。……俺の車内で死体になるのは御免だぞ、アリア」


「心得てるわ。執行官様」


 V8エンジンの咆哮が地下駐車場を震わせ、黒いセダンがロサンゼルスの闇へと射出される。

 獲物は逃がさない。

 何の変哲もない絵画を抱えた『キャンサー』を追い、三人の獣を乗せた鉄の塊が、夜のハイウェイへと滑り出していった。


 廃工場地帯へと続く舗装路を、二台のSUVが淡々と進んでいた。

 オートドライビング(完全自律走行)が常識となったこの時代、カインの車両はそれとは無縁の、マニュアル制御で路面を捉えていた。

 一般市民には許されぬ「自らの手で加速し、制動する」という特権的な行為。

 カインの指先がステアリングの微かな振動を読み取り、路面の情報をダイレクトに神経系へとフィードバックさせていく。


 先頭を行くキャンサーの乗った銀色のSUVは、周囲を警戒する様子もなく、ごく自然な速度で夜の闇に溶け込んでいる。

 彼らにとって、この『赤い聖女』の回収は、あくまで予定通りの「事務作業」に過ぎないのだろうか。 

 その油断が、カインの駆る漆黒のSUVにとっての最大の好機だった。


 車内は、先ほどまでの激しい怒号も消え、重苦しい静寂が支配していた。

 エンジンの低周波振動だけが、三人の鼓動と同期するように響いている。


「ねえ、カイン」


 助手席のアリアが、右腕のレーザーバルカンの出力を絞りながら、静かに口を開いた。

 カインの運転は至って冷静だ。獲物を逃さぬよう、適度な車間距離を保ち、あえて煽るような真似はしない。


「……さっきの話の続きよ。結局、『Death Gemini』って何なの? 街の裏社会を牛耳る程度の組織なら、あんたたちがここまで神経質になることもないでしょう。麻薬コンツェルンっていうのは分かるけど、もっとこう、あんたたちが『癌細胞』って呼ぶ理由があるんでしょう?」


 カインは視線を前方の一点に固定したまま、淡々と答える。


「……『Death Gemini』は、単なる組織じゃない。世界規模でサイボーグ用の神経麻薬『N.O.(ノー)』と、生身の人間を廃人にする化学麻薬を流通させ、政府機関や企業にまで協力者を持つ社会の『毒』そのものだ。頂点に立つ『デス・ジェミニ』という名は、顔も素性も分からぬ、システムとしての支配者。あいつらは、社会の健全な機能を食い荒らす癌細胞と同じだ」


 後部座席のラズロが、ショットガンを膝の上で整備しながら言葉を添える。


「そしてさっきの『Cancerキャンサー』は、その名の通り、組織の処刑人さ。あいつが動く時は、必ず組織の『浄化』が始まる。……分かったか、アリア。巻き込まれればお前も、ジェミニの排除対象リストの末端に載るんだ」


 アリアは、冷え切った笑みを浮かべた。

 その瞳には、恐怖ではなく、獲物を追い詰める狩人の愉悦が宿っている。


「世界規模のコンツェルン……。ふん、やってることは昔ながらの売人と変わらないじゃない。この街の深淵を支配してるつもりかもしれないけど、その根っこを焼き払うのがあんたたちの『仕事』なんでしょう?」


 カインは小さく息を吐き、バックミラー越しに後部座席のラズロと視線を交わした。


「……ああ。だが、一度踏み込めば生きて帰れる保証はない。あいつらの支配域は広すぎる。ここで降りろ。命があるうちにな」


 静かに走行する漆黒のSUV車内には、金属が擦れ合う冷徹な音と、弾薬がマガジンに収まる心地よいクリック音だけが響いていた。


 運転席のカイン・ヴィラールは、サングラスの奥で冷たく前方を射抜いている。

 彼は愛用の『ジャッジメント・リヴァイアサン・リボルバー』を引き抜き、口に咥えたACHR弾五発をシリンダーへ一つずつ装填した。

 続いて、腰のハードポイントに固定されたヘカトンケイル・アームズ『ベヒーモス・バスター』に手をかける。

 20mm徹甲炸裂弾が装填されたその銃身は、まさにサイボーグを殺すための暴力の塊だ。

 彼は最新の安定化ニトロが圧縮されたその銃を、いつでも引き抜けるよう微調整した。


 後部座席のラザロ・スタインは、長いブロンドを束ねたまま、無造作にコルト『ピースメイカー・リバイバル』をホルスターから抜き取り、手際よく重量弾を込めた。

 続いて、右腰の『ケルベロス・ゲートキーパー』を手に取る。

 その大型マズルブレーキが醸し出す重厚な威圧感は、彼が数多のサイボーグを「全損」させてきた証でもある。

 チューブマガジンにACHS弾が滑り込む乾いた音は、死へのカウントダウンを告げるメトロノームのようだった。


 助手席のアリア・シズク・ウォーカーは、二人とは違う異様な静けさで武装を整えていた。

 彼女は手首の皮膚をシームレスにせり上げ、肌の下から三連装の銃身を露出させる。

 高出力のレーザーバルカン――軍用プロトタイプゆえの、恐るべき殺人装置だ。

 彼女は最後に、右内腿のガーターホルスターからS&W M649-Cを取り出し、ACHR弾四発を確かめて再び奥へと滑り込ませた。


「……霧が出てきたわね」


 アリアが窓の外、廃工場に立ち込める湿気を見やり、少しだけ表情を曇らせた。

 レーザーのエネルギーが拡散してしまう環境は、彼女のバルカンにとって最大の弱点だ。


「問題ない」

 カインが低く切り捨てる。

「工場内は閉鎖空間だ。湿気も霧もない。お前のバルカンを存分に振るえる『掃除場所』を用意してやる」

 ラザロがヴォルカヌス・アームズを膝に載せ、不敵に笑う。


「さあ、キャンサーがどれほどのモノか、たっぷり味わわせてもらおうか。全員、準備はいいな?」


 カインはアクセルをわずかに踏み込み、SUVは音もなく工場内の闇へと滑り込んだ。

 ライトは消灯したままだ。

 暗視スコープを起動した三人の瞳が、獲物の熱源反応を正確に捉えていた。


 執行官二名と、秘密を抱えた元陸軍の特務兵。

 このコンツェルンの心臓部を切り裂くための準備は、すべて整った。

 SUVが工場の影に停車する。扉を開ければ、そこは血と鉄の死闘が待つ地獄だ。


 キャンサーのSUVが、前方の廃工場のゲートへ緩やかに減速する。カインもそれに合わせて静かに速度を落とした。


「手前で降りるか、アリア」

 カインがハンドルを切りながら、一度だけ助手席に視線を向けた。

 アリアは返答の代わりに、右腕の駆動回路を戦闘用に直結させ、冷徹な声で言い放った。


「嫌よ。私もヤクって嫌いなの。あんたたちの仕事が終わるまで、この助手席は私の指定席よ」


 前方のSUVが、何事もなかったかのように工場の門をくぐる。

 カインは静かにSUVを加速させ、闇に紛れてその後に続いた。

 三人の獣を乗せた漆黒の車体が、コンツェルンの心臓部へと滑り込む。

 静かな追跡劇は、いま終わりを告げ、血と鉄の死闘が始まろうとしている。

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