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第20話 オークション

 ロサンゼルスの地下、かつては巨大なメガバンクの金庫室だった場所が、今夜ばかりは芸術と欲望の交差点と化していた。


 会場となる『アンダーグラウンド・サンクチュアリ』の入り口には、全身を黒のタクティカル・スーツで固めた用心棒たちが立ちはだかっている。

 彼らの手には高精度な磁気スキャナーと高周波センサーが握られていた。


 カインとラズロは、無難に仕立てたタキシードを纏い、吐き気を催すほどの贅沢な香水の匂いの中を歩を進める。

 入り口でのボディチェックは、法執行官である彼らにとっても神経をすり減らす関門だった。


「おい、そこの二人。止まれ」


 無機質な声とともに、用心棒がスキャナーを向ける。

 カインは表情一つ変えず、両手を高く上げた。スキャナーが腰のハードポイントをなぞるが、そこは既にからだ。

 彼らはあえて武器を隠し持たず、車の中に隠してきた。

 持ち込めば即座にバレる。彼らは、会場内にあるはずの「別の手段」で戦う準備を整えていた。


「……通れ」


 用心棒の冷徹な視線がカインの生体パーツの接合部をなぞったが、武器を所持していないことを確認すると、無表情に道を空けた。

 カインは心拍数を一定に保ち、何食わぬ顔で石造りの廊下を抜けた。


 その数分後、同じ入り口にアリアが姿を現した。


 ブルーのドレスは、会場の照明を妖しく反射していた。大胆なスリットが、彼女の歩くたびにしなやかな生体に包まれた足パーツを露わにする。

 彼女の右腕のレーザーバルカンなど、マフィアを名乗るチンピラ風情が使う様なスキャナーで探知できる訳は無い。

 ドレスの内部には、彼女の身体能力を支える駆動系以外、一切の金属は存在しない。


 用心棒が彼女の前に立ちはだかる。

 スキャナーが彼女の身体をスキャンする。アリアは退屈そうに、髪をかき上げた。


「……いいわよ。早くして。このドレス、高いのよ。あんたたちの安っぽいグローブで汚さないで」


 用心棒が彼女の全身を厳重にチェックする。

 アリアは、自身の右腕の駆動回路をあえて完全に沈黙させ、機械的な反応を極限まで抑え込むという高度な擬装を行っていた。スキャナーは何も検知しない。


「……問題ない。入れ」


 用心棒が道を空ける。

 アリアは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ドレスの裾を翻して会場の中へと消えた。


 会場の広間は、紫煙とシャンパンの泡、そしてギラギラとした欲望の熱気に満ちていた。

 中央の演台には、今日の主役である『赤い聖母』が厳重なガラスケースの中に鎮座している。


 カインはバーカウンターの端から、会場を見渡した。

 視界の隅に、青いドレスの背中が見える。

 アリアだ。

 彼女は獲物を狙う狩人のように、優雅に、しかし着実に演台へと近づいていく。


「……ラズロ。奴も武器なしで入ったな。だが、あいつの身体そのものが武器だ」

「ああ、見えてるぜ。だが俺たちだって同じはずだ……まずは手分けして探るぞ」


 ラズロがグラスを傾けながら、顎で会場の奥を指す。

 そこには、噂をかぎつけたであろう『絵』を狙うマフィアの関係者らが紛れ込んでいた。

 彼らもまた、素手で会場に入り、どこか隠された武器を探しているはずだ。

 SC (戦闘用サイボーグ)は驚くほど少なかった。

 彼ら3人しかいない。

 入口のスキャナーで引っ掛かり、ACHR (対サイボーグ重量弾)を突きつけられる前に、回れ右をするしか無いのだ。


 会場の空気が、22:00のオークション開始を前にして、極限まで張り詰めていく。

 有象無象の獣たちが、獲物を前にして、今はただ「人間」の仮面を被って佇んでいる。


 静寂の中、オークション開始を告げる鐘の音が、地下に響き渡った。


『赤い聖母』の争奪戦が、いま始まる。


 七品目、エメラルドで飾られた無意味な装飾短剣が、高額で落札される。

 壇上の競売人が満足げに木槌を鳴らすが、会場に漂う空気は、芸術品への関心ではなく、獲物を狙う肉食獣の澱んだ殺気に支配されつつあった。


 アリアは、給仕のトレイからグラスを二つ、立て続けに奪い取った。

 琥珀色の高級ウィスキーが、彼女の喉を焼く。 

 戦闘用サイボーグの体内でも、アルコールの分解速度は変わらない。


「……はぁ。品がないわね、この会場の連中は」


 アリアはグラスを空にすると、軽く肩をすくめた。

 空になったグラスが、彼女の指先でカチリと小気味よい音を立てる。

 ドレスの深いスリットから覗く義足に、酔いでわずかに火照ったような錯覚を覚えさせるが、その演算ユニットは寸分の狂いもなく、会場の全出口と警備兵の配置をトレースし続けていた。


 カインはカウンターの影から、その様子を冷ややかに見つめていた。

 アリアが酒を煽るたびに、彼女の周囲には一種の危うい華やぎが生まれ、それがかえって周囲の用心棒たちの視線を彼女に固定させている。

(……馬鹿な女だ。酒で注意を逸らしているつもりか、それともただの苛立ち隠しか)


 カインはそう断じつつも、自分の左手で握りしめたグラスの縁を無意識に強く締めすぎて、クリスタルが悲鳴を上げる。

 ラズロはそんなカインの横顔を見て、ニヤリと不敵に笑った。


「おいおい、そんなに睨むなよ。アリアはあいつなりに、この退屈な時間を潰してるんだ。……なあ、カイン。お前は酒も飲まないで、何をそんなにピリピリしてやがる? 獲物が出てくるまで、あと一品だぞ」


 ラズロは自分のグラスを掲げ、一口飲んでからカインを小突いた。


「『赤い聖母』が出れば、ここは戦場に変わる。今のうちに、お前の『人間ごっこ』の仮面を剥がしてやるよ。……あのアリアって女、酒を飲めば飲むほど、殺気と色気が混ざり合って厄介なことになるぞ」


 アリアは三杯目のグラスに手を伸ばし、それを一気に飲み干した。

 彼女の瞳が、少しだけ潤んで見える。

 その視線が、バーカウンター越しにカインと交錯した。

 アリアは不敵に微笑み、空になったグラスをカウンターに滑らせて、カインのすぐ隣の席へと音もなく移動した。


「ねえ、そこのタキシード男。……お酒くらい飲んだら? そんなに硬い顔をしてたら、怪しすぎるでしょ?それによく見なさいよ、せっかくドレス着てるんだから」


 彼女の指先が、カインのタキシードの袖に軽く触れる。

 アルコールを含んだ甘い吐息が、カインの鼻先を掠めた。

 カインはアリアを突き放すような視線を向けたが、アリアはそれを意に介さず、妖艶に笑ってみせる。


 会場の照明が、次の競売品を照らすために一瞬だけ消灯した。

 七品目が終わり、いよいよ、あの絵画が登場する番だ。


 カイン、ラズロ、そして酒で研ぎ澄まされたアリア。

 三人の獣は、闇の中で静かに呼吸を整える。

 競売人が壇上に現れ、厳かに言葉を紡ぎ始めた。


「――お待たせいたしました。それでは、今夜のメインディッシュをご案内いたします」


 緞帳が上がり、厳重なガラスケースがライトに照らし出される。

 会場の空気が一気に張り詰めた。

 全員が唾を飲み込み、その正体を確認しようと身を乗り出す。


 しかし、そこに現れたのは『赤い聖母』ではなかった。

 スポットライトに照らされていたのは、どこにでもありそうな、退色した油彩画。

 何の変哲もない、ただ古臭いだけの『赤い聖「女」』だった。時代考証もデッサンも怪しく、美術的価値など微塵もない。


「……はぁ? なんだ、あれは。名前も違う」


 ラズロが毒づいた。

 会場に響くのは、拍子抜けしたような静寂と、あからさまな嘲笑のさざめきだ。

 カインの強化眼球がズームアップし、成分分析を行う。

(何の変哲もない……。顔料にも、裏地の補強材にも、電子的な隠しコードは一切ない。ただの、鉛白と酸化鉄だ)


 アリアは四杯目の酒を煽り、苛立ちを隠そうともせずに呟いた。

「詐欺ね。クロエのヤツゥ、完全に一杯食わされたわ。あんなガラクタに、何億ドルも払って競り合ってる連中、どうかしてるわよ」


 しかし、彼らの冷めた視線とは裏腹に、会場の一部の「ロクデモナイヤツラ」は異様な熱狂を見せていた。

 おそらく彼らは絵を見ているのではない。

 何かがあるのだ。

 

「……なるほど。絵はただの受け皿か。中身は空っぽだが、所有権を確定させることが目的ってわけだ」


 カインが事態を呑み込んだ瞬間、会場の熱狂が頂点に達した。

 入札額は既に8億ドルを突破している。  

 このままでは、彼らの手によって金が移動し、証拠が動き出してしまう。


「……カイン、どうする。あいつらが落札する前に、台無しにするか?」

 ラズロの問いに、カインは表情一つ変えず「ここではまずい。追跡して奪うぞ」と囁く。

 彼らの戦いは、この空虚な争奪戦を暴力で強制終了させることへとシフトした。

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