第18話 耳寄りな情報
ロサンゼルスの夜は深い。
安モーテルの窓から差し込む街灯の冷たい光が、乱雑に積まれた資料と、飲みかけの缶ビールの残骸を照らしている。
カインは重苦しい溜息をつき、手元の端末で軍のメインサーバーから抽出したログを睨みつけていた。
「……クロエ・フォン・ヴァレンティーヌ。USCIB(統一国家刑事局)のチーフ権限からの軍のDB (データベース)にアクセスしている。不審点は無い……俺たちが照会したショーン・ハリスの細胞を照会しただけだ……しかし照合率は23.45%」
カインの声には、苛立ちと底知れぬ疑念が混ざり合っていた。
隣で自身のサイバネティクス腕部のメンテナンスをしていたラズロが、鋭い視線をモニターに向ける。
「ニューヨークでの事件と同じ細胞片……。考えられるか?同一人物の細胞片で照合率が同じなんて。本人の右手、左手だって一致が難しいだろうに。採取場所がロスにあるワンの画廊……そして、あのアリアというサイボーグと、クロエ。あの二人は完全に繋がっている……そして、USCIBが何を企んでいる……しかもその細胞変が『M-T (軍先行試作品)』……アリアはそれを『許せない』と言って追っている。USCIBの機密CS (サイボーグソルジャー)だと言うなら理解もできるが……」
ラズロは冷ややかに鼻を鳴らした。
二人の捜査官の脳裏には、先日の接触が焼き付いている。
「……確かにな、ラズロ。あいつらからは、マフィアの匂いもしなけりゃ、先行試作品を横流しするような『汚れた軍人』特有の悪臭もしなかった。どこか、もっと別の……そう、冷徹な計算の上で動く、別の論理で動いているような違和感がある」
「だとすると、機密で動くUSCIBの特殊作戦か何かか?『危険だから処分』なんて事は避けた方が良いだろうな。もう少し素性が分かってからだ」
カインは椅子の背もたれに深く体重を預けた。
彼にとって、あのペアは「味方」ではない。
しかし、今のところ「敵」と断定する決定的な証拠もない。
「ああ、しかし味方ではないだろうな。……あの、アリアの右腕に仕込まれたレーザーバルカン。あれを直視した時、本能が警鐘を鳴らした。あれは脅威だ。あんなものと対峙すれば、この命はいくつあっても足りん。敵対したくはないものだな」
部屋の空気が重く淀む。
カインは指先でモニターをタップし、ワンの画廊の現場写真を表示させた。そこに写り込んでいた微かな痕跡――。
「……ラズロ。偽物のワンを殺した、足跡を分析したが、皮肉なもんだな。あの場に残されていた歩幅と重量配分のデータは、クロエ・フォン・ヴァレンティーヌの靴と完璧に一致した」
カインの言葉に、ラズロの動きが止まる。
「クロエがホシだと言い切るのか?」
「いや、断定はできん。近日中にアトリエへ立ち入った事実はあるが、アリアの依頼人がワンだったのなら、協力者として顔を出すのは不自然じゃない。だが、あまりに……いや、刑事の勘だ。引っかかる……何かがな」
ラズロは自身の右腕に視線を落とした。
先日の激戦で受けた損傷が、今も神経回路を逆なでするように痛んでいる。
「……指紋もDNAも、USCIBのチーフとして登録されているはずだ。ならば、照会すればすべて分かるはずなのに、あそこで発見された指紋もDNAも[NO_MATCH_IN_DB]だった……」
「あの画廊を洗うしかない。手がかりは、あの『絵』だ」
カインは立ち上がり、冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを取り出した。
プシュッという乾燥した音が、静かな夜を切り裂く。
「絵に何が仕込まれているかは分からんが、『M-T』を外部へ流出させるための暗号か、情報保管媒体?いや、絵画自体より、それに埋め込まれている何かが重要なんだろう。だが……どうやって追う? 奴らは俺たち以上に、あの絵が何であるかを知っているはずだぞ」
ラズロもまたビールを掴み、プルタブを引き抜く。
その表情には、捜査に行き詰まった者が抱える深い暗雲が立ち込めていた。
「ああ、お手上げだな。カイン、俺の方はもう限界だ。この腕、応急処置の限界を超えてアラートが鳴りっぱなしだよ。明日はロス市警のACC(対サイバー犯罪局)に駆け込んで、腕の再構築をしてもらう。……今のままじゃ、ACHR (対サイボーグ重量弾)を撃つことすらままならない」
カインはラズロの腕を一瞥し、重々しく頷いた。
冷えた瓶の表面を伝う水滴が、木製のテーブルに淡い染みを作っている。
「……わかった。明日は休息だ」
カインは低く呟くと、残りの液体を喉の奥へ流し込んだ。
喉仏が不規則に上下する。
「考えても分からん。とりあえず飲むぞ」
隣でラザロが、無造作にビールをあおる。
彼は瓶を置くと、ホラー映画のような、モーテルの薄暗い照明に目を細めた。
「ああ、付き合うさ。飲んでこの煮え切らないモヤモヤを全部忘れてやる」
ラザロがニヤリと口角を上げ、空になった瓶をカインの方へ傾けた。
「……あのアリアって女、見た目は綺麗だよな」
カインは無言で、手元の瓶を指で擦る。
「ラザロ。くだらない冗談はやめろ」
「照れるなよ、カイン。どうせ彼女は俺たちの人生には絡まない……」
ラザロは肩をすくめ、再びビールを喉に流し込む。
冷えたアルコールが、二人の内に燻る微かな迷いを強制的に沈めていく。
カインは黙ったまま、モーテルの隅で揺れる影を睨みつけていた。
翌朝。
ロサンゼルス市警、対サイバー犯罪局(ACC)の地下施設は、常にオゾンと金属加工の焦げた匂いに満ちている。
ラズロが咆哮し、荒々しく自身の左腕を突き出していた。
「もっと優しくできないのか?!」
生体強化皮膚は無残に引き裂かれ、内部の強化チタン装甲板はひしゃげ、ひどく歪んでいる。
そこから噴き出す人工の血液――冷却剤を兼ねた温かい合成油が、注ぎ込まれた冷却剤に触れて白く蒸気を上げていた。
神経を焼き切るような激痛が走る。
だが、左半身を支配するドイツ製『SKQ-979』生体神経系は、そんなラズロの絶叫をあざ笑うかのように、ただ淡々と、しかし暴力的なまでの損傷率を脳内の視界に焼き付けていく。
「まったく、派手ですねぇ」
白衣を纏った人懐っこい笑顔の男が、工具をラザロの腕の中深くに捻り込み、パーツを引き剥がしている。
30歳前後のエンジニアだ。
彼はひしゃげた装甲を軽く叩くと、悪びれもせずに笑った。
「あらら、ここまでとは……やらかしましたねぇ。でも、私にかかれば4時間で完璧に復元ですよ。ドイツ製のパーツ在庫があってラッキーでしたよ」
「悪いな、よそ者(ニューヨーク市警)が迷惑かけて」
カインがラズロの醜態に眉間に皺を寄せながら呟くと、エンジニアは手を振った。
「いやいや、ニューヨークはヤバい街だって有名っすからね。尊敬してますよ、あんな過酷な現場で戦ってるなんて」
その時、施設内の騒々しさとは対照的に、静かで威厳のある足音が近づいてきた。
ロサンゼルス市警のロバート警部だ。
彼はカインとラズロの顔を見ると、深々と溜息をついた。
「ロドスから聞いたぞ。お前たちが最近、街を荒らしている『騒がしい連中』だな?」
「ロドスチーフの知り合いか」
カインが警戒を解くと、ロバート警部は周囲を気にしながら声を潜めた。
「衝撃的な事実を教えてやろう。ちびるなよ?今日、22:00から開催される裏の絵画オークションで『赤い聖母』が出品されるそうだ。……ワンの死と繋がる『鍵』かもしれないぞ」
「……『赤い聖母』だと?」
ラズロが顔を上げる。
カインとラズロは顔を見合わせ、ロバート警部へ深く頭を下げた。
「礼を言う、警部」
「おい、気をつけろよ! オークション会場のドレスコードにはな。身分が警察だとバレたら、会場の用心棒どもに蜂の巣にされるぞ。……幸運を祈る」
同じ頃、街の喧騒を遠く望むカフェのテラスで、アリアは苦いコーヒーを啜っていた。
一向に進展しない捜査、行き詰まりを見せる証拠の数々。
彼女の苛立ちは、演算ユニットの熱となって自身の内側を焼き焦がしている。
その時、席を外していたクロエが、スマートフォンを弄りながら戻ってきた。
「アリア、耳寄りな警察情報よ。今日、22:00から出品されるわ。『赤い聖母』がね」
「えっ!」
アリアは立ち上がりかけたが、クロエは悲しげに首を振った。
「ごめんなさい、私は別の急ぎの仕事で行けなくて……」
「気にしないで! 私が行ってくるわ!」
アリアの瞳に、獲物を見つけた狩人のような鋭い輝きが宿る。
クロエはアリアの肩に手を置き、その表情を真剣なものへと変えた。
「アリア、無理はしないで……と言いたいところだけど、あの絵だけは絶対に入手しなければならない。オークションの前後に強奪できればそれがベスト。無理ならば、落札者を追尾して強奪しなさい」
クロエの声が、低い囁きへと変わる。
「これを『分かって』落札している相手なら、間違いなく私たちの障害になる悪者よ。排除して奪取しても構わない。最低でも、絵の入手だけはお願い。あなたならできるわ」
アリアは力強く頷き、革のコートを羽織る。
「ええ、任せて。『絵』を手に入れて、全てを終わらせてくるわ」
アリアがカフェを後にすると、クロエはカップに残った冷めたコーヒーを見つめ、静かに微笑んだ。
時計の針は18:00を回っている。
残された時間はあとわずか。
ロサンゼルスの闇の中で、ドレスコードに身を包んだカインとラズロ、そして漆黒のコートを纏ったアリアが、同じ『赤い聖母』という名のターゲットを目指して、静かに動き出していた。




