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第17話 策謀

 ロサンゼルスの冷たい風雨が、ヴィラの高窓を激しく叩き、室内には張り詰めた静寂が流れている。

 最高級の調度品で整えられたその空間は、一見すると華やかだが、同時に息が詰まるほどの無機質な気配を孕んでいた。

 整備台の傍らに立つアリアは、自身の左腕に組み込まれた関節パーツを無意識に撫でている。

 生体外装の下でかすかに脈動するシリンダーの脈動、そのしなやかな肌の温かみ――それらは全て、彼女が高度なサイボーグであることを証明していた。

 だが、思考の深淵で、彼女の脳裏にはカインという男がどうも離れていかない。

 その横で、クロエは紫色の生クリームが毒々しく盛られたパンケーキを前に、優雅にフォークを動かしていた。

 化学染料の極彩色が、彼女の冷静な雰囲気の中で奇妙に浮いている。


 アリアの指先が、微かに、しかし確かな震えを見せた。

 それは機械的なエラーではなく、彼女の根源に刻まれた生物的な恐怖に近い。

 しかし、クロエはどこか上の空といった風情でパンケーキを楽しんでいる。


「本当、この事件、どうなっているの? ニューヨークからエクスキューショナーは来るし、依頼人は何者か分からないし……状況は悪くなる一方ね」


 アリアの呟きを聞き流しながら、クロエは再びパンケーキを一口含み、その甘さと少し刺激的な風味を楽しみながら、モニターに流れる膨大なデータへと視線を戻す。


「アリア、あまり深読みしないで。あの絵画は、殺されたワンの事件に繋がる唯一の鍵よ。まずはその一点に集中しましょう。USCIBのチーフとして、私は最適な道筋を導き出してみせるわ」


 彼女の眼差しには、パートナーであるアリアへの純粋な信頼と、二人で事件を解決したいという確かな決意が宿っている。


「ワンの画廊にあった『M-T(軍先行試作品)』の細胞の謎――あれを解くための情報は、間違いなくあの絵画に隠されている。ワンがあれだけ必死に探していたんだもの。カインやラズロが捜査を進めるのも当然だけど、私たちが先にその『鍵』を手に入れれば、事件の全容が一気に明らかになるはずよ。まずは絵を一緒に探しましょう。もしその過程で、カインたちが捜査の障害に直面しているようなら、助けるふりをして、思う存分利用してやればいいわ」


 クロエは理路整然と、しかし柔らかな口調で告げた。

 彼女の言葉は、まるで論理のパズルを完成させるような心地よいリズムを奏でている。


「今はまだ『鍵』を手に入れることが最優先。……賢いあなたなら、何が今一番大切か、分かっているはずよね?」


 アリアはクロエの言葉に力強く頷く。


「ええ、分かっているわ、クロエ。……あの二人にも負けていられないわね。鍵を手に入れて、ワンを殺した奴らの正体を暴いてみせる。そして軍の暗部を突き止める。それが、私たちの今の使命だもの」


 アリアの瞳に、事件解決を目指す戦士の鋭い光が宿る。

 クロエは満足げに微笑むと、再びモニターに向き直った。


「そうよ、その意気だわ。さあ、まずはカインたちが追っている捜査データを整理して、絵画が隠されている場所を特定しましょうか。私たちなら、きっと見つけ出せるわ」


 一通り仕事の話を終えると、クロエは優雅に脚を組み、再びデスクに広げたパンケーキを切り分けた。

 毒々しいまでの紫色をした生クリームが、フォークの動きに合わせて揺れている。

 その光景を眺めていたアリアが、突然不満げに口を開く。


「……ところでクロエ、私の分はそのパンケーキ無いの?」


 アリアは整備台からひょいと降りると、不満げに頬を膨らませてクロエを覗き込んだ。

 戦士としての鋭さはどこへやら、目の前の甘い誘惑を欲する、無邪気な少女の好奇心が全開だ。


 クロエはフォークを止めることもなく、呆れたようにアリアを一瞥する。


「え? あなた、さっきのレストランでパスタとピザを平らげて、ワインまで飲んでいたでしょう。あれだけの量を食べておいて、まだ足りないというの?」


「私、もう消化したよ?」


 アリアは平然と、白々しい嘘をつく。

 自分の体に残された生身である胃袋は満杯であることは、彼女はCalorie tracking sensor「摂取カロリー管理センサー)で完璧に把握しているはずなのに。

 彼女のサイバネティクスは、美食を愛でる喜びと、単なる燃料供給の境界を曖昧にするように設計されているのかもしれない。


「ええええ! 食べたいよ! どうせ、味わって、オーバーキャパシティ表示が出たらその都度廃棄されるから、太らないし。いいじゃない!」


 アリアはクロエの隣に陣取り、その肩に自分の頭を預けた。

 彼女の体から伝わる微かな熱が、クロエの肩に安らぎを与える。


「本当に効率が悪い体ね……。本来なら栄養摂取と代謝のプロセスを完璧に管理できるはずなのに、あなたの場合は『食への渇望が強すぎる』わ。食べても無駄になるって言うのに……」


 クロエはそう言いながらも、皿の上で山盛りになっている紫色の生クリームを、フォークの先で丁寧にすくい上げた。

 彼女の所作は、まるで外科手術を行うかのように緻密で、無駄がない。


「……はい、口を開けなさい」


 アリアは期待に満ちた目で口を開ける。

 クロエは躊躇なく、その一切れをアリアの口へと放り込んだ。

 アリアは一瞬、目を大きく見開く。

 直後、彼女の顔が歪んだ。


「げ! 甘い……生クリーム、気持ち悪い。……もういいや」


「はぁ、あなたねぇ……。結局一口で満足するなら、最初から言わなければいいのに」


 クロエは溜息をつき、アリアの口元に付いたクリームをナプキンで優しく拭う。

 冷徹なチーフという仮面の下で、彼女の手つきは、まるで手のかかる妹をあやす姉のように慈愛に満ちていた。


「……甘いのは苦手だけど、クロエが食べさせてくれると、少しは美味しい気がするわ」


 アリアは照れ隠しのようにそっぽを向くと、モニター上のデータ解析へ再び意識を切り替えた。 

 彼女は指先を操作し、膨大な暗号化されたログの海を泳ぎ始める。

 その背中は、先ほどまでの無邪気な少女とは別の、戦う戦士の覚悟を滲ませていた。

 クロエもまた、空になった皿を片付け、表情を引き締める。


 二人は、カインとラズロという名の、同じ真実を追う「もう一つのペア」を出し抜くため、静かに、しかし確実に牙を研ぎ始めるのだった。

 

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