第15話 偽りの画廊
硝煙とオゾンの匂いが立ち込める画廊のホール。
静寂が戻ると同時に、カイン達のサイバーアイ(強化眼球)は冷徹な速度で転がった死体たちのログを解析し始めた。
「……信じられん。こいつら、全員が前科持ちの薬物ジャンキーだ」
カインが吐き捨てるように言った。
網膜に投影される赤いアラートが、次々とデッドデータの山を積み上げていく。
「行政のサイボーグ換装許可など一枚も持っていやがらねえ。完全に裏のイリーガルだ。だが、どうなってやがる……。積んでいるパーツは紛れもなく『M(軍用)』。しかも全員がFC化されてる。マフィアの鉄砲玉が持てる装備じゃねえぞ、これは」
そのスキャン内容は、無線リンクを通じてアリアの脳内にも共有された。
彼女は手首のオルトロスを収めると、不快そうに眉を寄せた。
「何それ、何のメリットがあるの? ジャンキーを高価な軍用のフルボディに詰め込むなんて。……ねえ、この画廊に生存者は?」
アリアの声には、かつて同じ軍用規格を背負った者としての、隠しきれない嫌悪感が混じっていた。
ラザロが巨大なゲートキーパーを肩に担ぎ直し、周囲の熱源スキャンを継続する。
「ああ、今探している……」
彼は血溜まりを避けて歩き、重厚な扉の奥へと視線を向けた。
「……生存反応はゼロだ。奥に死体が一つ、あとはもぬけの殻。ネズミ一匹残っちゃいねえ」
三人は導かれるように、画廊の最深部、ひときわ重厚な装飾が施されたオーナー室へと足を踏み入れた。
室内は凄惨なまでの略奪の跡を晒していた。
これでもかと開け放たれた戸棚からは書類が溢れ出し、高級なアンティークの引き出しは床に転がっている。
散乱した本や割れた陶器。
そこには、「何か」を必死に探し回った狂乱の爪痕が刻まれていた。
そして、部屋の中央。
豪華なペルシャ絨毯を汚すように、一人の男が横たわっていた。
「うそ……! ワンが死んでる? この襲撃、ワンの仕業じゃなかったの?」
アリアが悲鳴に近い声を上げた。
彼女にとって、追い続けていた「黒幕」が冷たい骸と化している事実は、最悪の計算違いだった。
「……こいつが、ワンか?」
カインが死体の傍らに膝をつき、無機質な眼差しを死に顔へ向けた。
「そうよ」
アリアが何度も顔を合わせたワンが死体となって転がっている。
だが、カインの網膜に走る照合シークエンスは、全く別の真実を弾き出した。
「おいおい……笑えない冗談だぜ。こいつはワンなんて名前じゃない」
カインの声が一段と低くなる。
彼はデータの整合性を確認するように、死体の指先にスキャナーを当てた。
「カシアン・ザブコフ。ニューヨークを拠点にするロシア系マフィアの幹部だ。前科多数、第一級指名手配犯。……顔の造作も、DNA、血液、骨格……適合率は94.7%。間違いねえ。ニューヨークで消えたはずの凶悪犯が、ロサンゼルスで画商の仮面を被って死んでやがる」
カインは立ち上がり、荒らされた部屋を見渡した。
「『本物』は最初からいなかったのか、あるいは……。アリア、お前たちが追いかけていたのは、お前さんが思っている以上に質の悪い『偽物』の影だったようだな」
静まり返った部屋の中で、散乱した書類だけが、海風に吹かれてカサリと音を立てた。
静まり返った部屋の中で、散乱した書類だけがカサリと音を立てる。アリアは忌々しそうに、ふう、と息を吐き出した。
「……正直に話すわ。私はこの画廊のオーナーから、ある『絵』を探してほしいと依頼を受けていたの。でも、手がかりを見つける前に解雇されたわ。たった六日間でね」
「絵?」
「ええ。この画廊の所有よ。でも、見つかっていない。依頼主はワン……つまり、この死体だったはずなのに」
カインは思考を切り替え、冷徹な口調で問うた。
「その絵だ。画像はあるか?」
「あるわよ。転送するわね」
アリアの視神経経由で、カインの脳内へデータが流れ込む。
カインは即座にニューヨーク市警の行政データベースへアクセスし、検索をかけた。
「……少し時間がかかりそうだ。ラザロ、そっちはどうだ?」
「射殺だな。おいおい、弾丸は7mm軽対人弾頭だぜ。豆鉄砲だな。顔面に三発。サイボーグを殺しに来たわけじゃなさそうだ。指紋と足跡はあるぜ。DNAもセットだ……。おいカイン、こいつら、犯人の足跡をわざと残してやがる。まるで『探せ』と言わんばかりにな」
カインはデータベースを見つめたまま、眉間に皺を寄せる。
「アリア、絵のデータだがな、行政データベースでは何も引っかからん。確かに、現在の所有権は『ワン』名義になっているが……そこまでだ」
三人の間には、先ほどまでの激戦とは異なる、底知れない陰謀の冷気が漂い始めていた。
遠くから、重厚な電子サイレンの音が響いてきた。空気を震わせる不協和音が、夜の静寂を塗り替えていく。
ロス市警のパトロール部隊が、この惨劇の現場へと迫っている。
「ちょっと、うるさいのが来たわね」
アリアは耳障りなサイレン音を忌々しげに聞き流すと、肩をすくめた。
彼女の華奢な右腕が、滑らかな動作で再び人間離れした静寂を纏う。
「私はこれで帰るわ。……またね、色男さんたち。機会があったらまた会いましょう」
彼女は翻るスカートの裾を翻し、カインの網膜に直接、暗号化された通信ナンバーを転送した。
「わかった。『何かあったら』な」
カインが短く返すと、アリアは夜霧の中へとその姿を消した。
彼女が去った場所には、ほんのりと香水の匂いが残り、それが銃火器の焦げた臭いと奇妙なコントラストを描いていた。
その後、カインとラザロは駆けつけたロス市警の先遣隊に、冷淡なまでの手際で事件の概要を引き継いだ。
軍の先行試作兵器の残骸や、正体不明のイリーガルなサイボーグたちの処分は、全て「管轄外」というスタンプを押して現場へ丸投げする。
それが彼らの処世術だった。
全てを終え、二人がモーテルへと戻る黒のSUVの中は、重苦しい沈黙が支配していた。
「……カシアン・ザブコフ。あの死体の周囲から検出された指紋とDNAだが、照合結果は『該当なし』だ。足跡だけは照合可能だけどな……女の靴23.5cmフランスSH社製……」
自動運転をモーテルにセットしてから、運転席のカインが呟く。
「あぁ。ありえねえ話だ。クリミナルレコード(犯罪歴)も、サイボーグの換装歴も無いって事だな。……だが、部屋の荒らされ方は異常だった。引き出しが全部引き抜かれ、書類は全部表に出されていた。あれは、ただの略奪じゃねえ」
ラザロが助手席で忌々しげに吐き捨てる。
「あいつらは『何か』を探していた。そして、それを見つけたか、あるいは……最初からここにはなかったことを確認するために、あそこまで念入りに『消去』したんだ」
「指紋とDNAを故意に残したのか?データベースには載っていない……。あるいは何も考えずに『探し物』をしたのか」
カインの脳内で、照合不能のログが不気味に点滅する。
ニューヨークから遠く離れたロサンゼルスの安モーテル。
窓の外では、ネオンの明かりが酸性雨に滲んでいる。
「カイン、腹減ったな。ロスは生肉が流通を始めたらしいな。あの『ショウユ・アボカド・ステーキ・バーガー』を食いに行くのはお預けか?」
「いや、すまん忘れてた。行こう」
ハンバーガーショップ『JOKER’S DINER』の自動ドアが開いた瞬間、鼻腔をくすぐったのは、鉄板で焼かれる牛肉の芳醇な脂の香りと、熟したアボカドの青々しくも濃厚な芳香だった。
酸性雨で冷え切った体が、店内の古びたヒーターと肉の焼ける熱気に迎え入れられる。
二人は、ネオンが雨で滲む窓際のボックス席へと滑り込んだ。
運ばれてきた『ショウユ・アボカド・ステーキ・バーガー』は、まさに暴力的なまでの多幸感を体現していた。
黄金色に熟したアボカドが、肉厚なパティの上にまるで宝石のように鎮座している。
その頂点には、食欲をそそる焦げ茶色の醤油ソースが、とろりと艶やかにコーティングされていた。
カインは、無骨な指先でその巨大な塊を鷲掴みにした。
バンズは焼きたての弾力を残し、内側は鉄板でカリッと香ばしく仕上げられている。
ガブリと大きく口を開け、一気に噛み付く。
パティからあふれ出すのは、合成肉では出せない力強い旨味と、分厚い鉄板調理ならではの香ばしい芳香だ。
そこに、醤油ベースのソースが加わる。
追いかけるように、完熟アボカドが舌の上でクリーミーに溶け出し、肉の脂を優しく包み込んでいく。
濃厚なのに重くないアボカドの植物性の油分が、強烈な肉の旨味を洗練された味わいへと昇華させていた。
「……美味いな」
カインの口から、無意識に言葉が漏れる。
機械的な論理で冷え切っていた胃袋が、温かい肉汁で満たされる。
それは、失っていた人間としての感覚を、内側から強制的に呼び起こすような体験だった。
隣でラザロが、壊れた左腕をかばいながらも、獣のようにバーガーに食らいついている。
「あぁ……このソースだ。焦げた醤油の香りが鼻に抜ける瞬間、現場の臭いなんて全部消し飛ぶぜ。このアボカドのトロける食感、俺たちの無機質な神経には、これが一番の治療薬だな」
ラザロは口元にソースをつけながら、満足げに喉を鳴らした。
合成肉の繊維がしっかりと感じられる歯ごたえ。
シャキシャキとしたレタスの食感と、微かにピリッとするレッドオニオンのアクセントが、脂の重さを絶妙にカットする。
最後の一口に差し掛かる頃には、具材とソースが容赦なく混ざり合い、もはや元の形など留めていない。
美味い、だが何という物体なのか判別すらつかない。
ただひたすらに、脳を直撃する快楽の塊だけがそこにあった。
食後の余韻に浸りながら、カインは安っぽいコーヒーを啜った。
苦味の強い漆黒の液体が、胃の中の肉汁と混ざり合い、深いコクとなって喉を通る。
店を出ると、雨はさらに激しさを増し、モーテルの看板が雨煙の中でぼんやりと霞んでいる。
胃袋を満たした二人の肉体は、さっきまでの飢餓感とは別の、獲物を狙う狩人のような静かな闘志を宿していた。
「さて……腹は膨れた。デザート代わりに、あの謎解きを片付けるとするか」
ラザロが不敵に笑い、二人は再び冷たい雨の中へと消えていった。
彼らの脳内には、まだ醤油の香ばしい余韻が、微かな温もりとして残っていた。




