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第13話 カフェ

 サンタモニカの朝は、あまりに無機質で、刺すような白さに満ちている。

 海風はどこまでも乾いていて、昨夜の惨劇や硝煙の匂いなど、最初からこの街には存在しなかったかのように、全てを平然と洗い流していた。


 アリア・シズク・ウォーカーは、いつものカフェ『ブルー・ラグーン』のテラス席で、ただのブラックコーヒーをじっと見つめていた。

 彼女の指先が、微かに、けれど確実に震えている。

 恐怖からではない。昨日、自身の油断から醜態をさらしたことへの燃えるような自己嫌悪。

 そして、それを上書きしようとする冷徹な殺意が混ざり合い、彼女の神経系を苛んでいる。

 武者震いに似た、純粋な闘争心。


(……二度と、あんな真似はしない。二度と……)


 彼女は対面に座るクロエに視線を向けず、焦げ付いた豆の苦味だけを喉に流し込む。

 クロエはアリアが朝から「アルコール(毒)」を煽らないことに驚きつつも、何も言わずにハーブティーの湯気の向こうで、静かにタブレットへ視線を落としていた。


 その時だった。

 二人の間に流れる静寂を、すぐ隣のテーブルに「異物」が滑り込んだ。


 二人の男。

 一人は流れる金髪に、ロサンゼルスの陽光を親の仇のように嫌うサングラスの男。

 もう一人は、黒に近いブロンドの長い髪を後ろで束ね、片手をスポーツバッグから一瞬たりとも離そうとしない。

 二人とも驚くほど目を惹くルックス。

 ニューヨークから来た「死神」、カイン・ヴィラールとラザロ・スタインだ。


 彼らは、隣の女性たちが追う「細胞」の謎を知る当事者であることも、その相棒が刑事局のチーフであることも知らない。

 ただ、この街の気怠い空気と、自分たちの纏う「戦場」の匂いの乖離に、全身から隠しきれない苛立ちを発していた。


「……酷いな、この街の太陽は。ニューヨークの酸性雨の方が、まだZZR (カインの肺パーツ)が喜ぶぜ」


 カインが運ばれてきたブラックコーヒーを啜り、吐き捨てるように言う。

 彼の強化眼球は、無意識のうちに周囲の遮蔽物と逃走経路を算出している。

 コーヒーを飲む数分間であっても、彼は「エクスキューショナー」としての矜持を片時も忘れない。


 ラザロが視線を動かさぬまま、近距離秘匿通信を飛ばす。


(カイン、見るなよ。……いや、見ろ。隣の黒髪の女だ。あれは人間か? スキャンはするな。奴らの神経系に干渉すれば即座にバレる。……あんなCSサイボーグ、見たことがねえ)


 カインは悟られないよう、最小限の動きで視線を横流した。

 網膜の隅に、警告を知らせる赤い光が点滅する。


(……ああ。絶対にスキャンするな。……あれは「怪物」だ。太陽光が射すたびに、肌の奥で幾何学紋様のスリットがうっすらと浮かび上がっている。内部にハニカムの光が巡らされてる。嘘だろ……CS……電磁バリア?あんな精巧なシェル。イリーガルな闇医者の仕事じゃない……軍のプロトタイプか……)


 二人は同時にコーヒーカップへ手を伸ばした。 

 カインは、カップを口に運ぶまでの数秒間、自身の網膜に走る「警告」を強引にオフにした。


 カップに触れる指先が、わずかに震えているのを、隣の「怪物」に悟られてはならない。

 だが、二人とも視線はカップの中に落としたままだ。


 カップの淵から上がる湯気。

 カインは熱い液体をゆっくりと喉へと流し込む。

 苦い。

 脳内の演算回路を強制的に沈静化させるには、これくらい強烈な刺激が必要だった。

 

(……落ち着け、ラザロ。心拍数を戻せ。彼女は獲物じゃない……関わるな)


 カインは通信を飛ばす。

 ラザロは口元をカップで隠したまま、ゆっくりと息を吐き出し、ソーサーにカップを戻した。カチャリ、という静かな音。


 周囲の観光客の笑い声と、気だるげなブルースの低音が重なり合う。

 だが、その騒音の裏側で、彼らは冷や汗が背中を伝うのを感じていた。

 隣に座る「怪物」。

 彼女が何者かも判然としないまま、二人はただ、熱いだけの液体を喉に流し込み続けた。

 それは『エクスキューショナー』として屈辱的だったが、それ以上に、隣から放たれる戦闘の気配が、本能的に肌を粟立たせていた。


 一方、アリアはコーヒーカップを口元に固定したまま、視線を動かさない。

 ただ、背筋を伝う嫌な予感だけが増幅していく。

 隣の二人組。着古したコートの不自然な膨らみ、周囲への視線の配り方、そして何より、あの特有の「死」を日常の一部として受け入れている者だけが放つ、隠しきれないノイズ。


「……ねえ、クロエ。なんだか、せっかくのコーヒーが急に鉄臭くなってきたわ」


 アリアが、対面に座るクロエに向かって、視線を合わせずに低く囁いた。その声は、隣の男たちを明確に「挑発」していた。


「アリア、静かに。……不機嫌なのは分かるけれど、今は余計な摩擦を避けて」


 クロエは落ち着いた声で窘める。


(……この気配。歪さが無いパーツ構成……。ただのイリーガルやフリーの殺し屋じゃない。……もっと組織化された、公的な組織……まさか、エクスキューショナー?) 


 カインたちの視界にも、警告色が走りつづけていた。

 アリアの体温は一定のラインを微動だにせず、心拍は極限まで抑え込まれている。

 それは、高度に調整された軍用サイボーグが、戦闘直前に見せる「待機モード」そのものだった。


(……カイン、気づいたか。俺の全身のセンサーが、さっきからずっとアラートを出しっぱなしだぜ。……M規格(軍用規格)なのは間違いないが、ただの『兵器』じゃねえ。……もっと底の知れない、完成された『暴力の塊』だ)


(ああ。……得体が知れねえ。あの女……スキャンしなくても分かる。裏路地で組まれたイリーガルじゃねえ。……完璧にメンテナンスされた、官給品の気配がする)


 お互いに素性は霧の中だ。

 しかし、プロ同士の嗅覚が、目の前の「隣人」がこの街の平穏を食い破る存在であることを確信させていた。


 カインはコーヒーカップを置くと、アリアの顔を一度も見ることなく立ち上がった。

 今は、まだその時ではない。


「……行くぞ、ラザロ。長居しすぎた。ドブネズミの口に、この街のコーヒーは上品すぎる」


「ああ、そうだな……夕飯はもっとジャンキーな店にするぞ」


ラザロは重厚なスポーツバッグを肩に担ぎ直し、カインの後に続く。

 二人の背中がサンタモニカの雑踏へと消えていくまで、アリアはコーヒーカップを口元に固定したまま、一瞬たりとも視線を逸らさなかった。


 二人は駐車場の隅に停めてあった黒のSUVに乗り込む。

 エンジンを始動させると、重低音がロスの街に溶け込んだ。


「……行くぞ、ラザロ。夜にあの細胞が見つかったワンの画廊に行くぞ」


 カインの言葉は簡潔で、冷徹な響きを帯びていた。

 助手席でシートベルトを締めたラザロが、ニヤリと不敵に口角を上げる。


「ああ……。まずはそのドブネズミの口から説明を聞くとしようじゃないか」


 SUVが静かに滑り出し、モーテルの駐車場を後にした。


「……行ったわね、死神さんたち」


 アリアが去っていくSUVの微かな排気音を聞き届け、ようやく残りのコーヒーを飲み干した。


「……アリア、気づいていた? あの金髪の男。……あなたのバイタルを、あからさまにスキャンしようとしていたわよ」


「ええ。……おかげで、私の電脳がさっきからずっとアラートを騒いでいて困るわ。……でも、面白いじゃない。……あの男たちの狙いがワンなら、私たちがわざわざ泥を被る必要はないわ。……エクスキューショナーに任せて片付けてもらえばいい」


 アリアは内腿のホルダーに収まったS&Wの重みを確かめる。

 お互いに相手の「正体」を怪物として認識し、再会を予感しながらも、あえて距離を置く。

 サンタモニカの光の下、二組のプロフェッショナルが、それぞれの殺意を胸に、同じ終着点へと動き出した。

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