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第12話 ロサンゼルスへ

 夜景を望む展望レストランの特等席。

 ニューヨークの宝石をぶちまけたような煌めきが、テーブルのシャンパングラスに反射している。

 そこには、USPAの無骨な二人の男、カインとラザロ、そして仕事着を脱ぎ捨てて着飾った鑑識官ナタリーが座っていた。


「ねえ、今日は捜査の話は抜きよ。ただの『デート』なんだから。いいわね?」

 ナタリーは悪戯っぽく微笑み、ワインを口にする。


[TRUTH/FALSE: 2/98 - STATUS: ENTERTAINING]

【偽証率 98%】


 カインの網膜に表示された冷酷な数字。この女、デートをする気などさらさらない。

 たわいもない会話、三人での食事。

 だが、その空気はどこか張り詰め、レストランの喧騒から彼らだけが切り離されているようだった。

 メインディッシュが下げられた頃、ナタリーはグラスを置くと、不自然なほど身を乗り出し、極限まで声を潜めた。


「……あの細胞ね、鑑識システムにかけた人がいるのよ。公式なルートじゃないわ。裏のログに残っていた『変なエラー』を私が拾ったの」


「何?」

 カインとラザロが同時に身を乗り出す。テーブルを挟んで、三人の頭が一点に集まった。


「場所はロサンゼルス。……詳細はここ。データで送るのは危なすぎるから、これに書いたわ」


 ナタリーがテーブルの下で、小さな紙片をカインに手渡す。

 今時珍しい、物理的なアナログ媒体。

 それがこの情報の危険性を何よりも物語っていた。


「ウチのロドスチーフも、薄々感づいていて了解済みよ。ストライカーチーフには、ロドスチーフから話をしてくれる。けどストライカーチーフには気をつけて。なぜかもみ消したがっているわ。……明日、ロドスチーフに挨拶してからロスに飛びなさい。正式な出張名目だけど、中身は別物よ。絶対に、この件は口にしちゃダメ。身内でも、私と相棒以外は信じないこと」


 カインは紙片を握りしめ、ナタリーの真剣な瞳を見つめ返した。


「それから、あの細胞。……やっぱり『M』だったわ。でもね、既製品じゃない。軍が極秘に進めている『M-T』(先行試作品)」まだこの世に存在してはいけない代物よ……変なエラーを辿ったら、軍の照会システムをノックしてたのを見つけたってわけ」


 ラザロの鋼の指が、テーブルの縁をミシリと鳴らした。


「照会したのはロサンゼルス刑事局、チーフインスペクター。クロエ・フォン・ヴァレンティーヌ……という事になっているわ。偽装だと思うけどね……いい? 細心の注意を払って」


 ナタリーはそこで話を切り上げると、再び「デートを楽しむ女」の顔に戻ってデザートを注文した。

 

 翌朝。

 カインとラザロは、ニューヨーク支部のロドスチーフに、形式上の「重要参考人の追跡調査」という名目で挨拶を済ませた。

 

 ロドスチーフの執務室は、重厚な防音壁に守られ、外の喧騒を完全に遮断していた。

 彼はカインとラザロの前で、一枚の電子書類を端末に投影する。そこには、すでに承認印が押されていた。


「ロス行きの手続きを完了させた。出張命令は正式なものだ」


 カインは眉をひそめた。NYPDの規定上、彼らの直属の上司であるストライカーチーフを通さずに承認を通すのは、異例の事態だ。


「……ストライカーチーフには?」


「彼なら今、休暇中だ」

 ロドスチーフは淡々と答えた。

「正確には、彼が休暇に入った『直後』の隙を突いて、『緊急案件』として局長決裁を仰いだ。彼が戻ってきたときには、君たちはすでにロスの空を飛んでいるはずだ」


 カインとラザロは顔を見合わせた。ストライカーチーフをそこまで警戒させる理由――それは、言葉にするまでもない「不信」だった。


「彼は優秀だが、今回の件に関しては……黒に近いグレーだ。私がこうして強引に動いたことも、いずれ彼の耳に入るだろう。その時、彼がどう動くか……そう表立っては動かないだろうが注意が必要だ。


 ロドスチーフは二人を鋭く見据えた。


「ストライカーは君たちの直属の上司だ。だが、今回のロス案件については、現場で誰を信用すべきかを見極めろ。彼からの接触があっても、軽々しく情報を流すな……彼は……私の勘だと黒だ」


 執務室を出ると、廊下にはストライカーチーフのデスクがある。今は空席だが、彼の香水の残り香のようなものが、どこか不穏に漂っている気がした。


 カインは自身の網膜に表示されるデータの海を眺めながら、思わず苦笑する。


「……休暇明けの彼がどんな顔をするか、想像したくもないな」


ラザロの皮肉めいた呟きに、カインは無言で頷く。

 彼らは、自分たちのキャリアと命を天秤にかけながら、ロサンゼルス行きの航空券を手に取った。

 ロドスチーフが敷いたその強引なレールは、同時にストライカーという「怪物」を敵に回す宣告でもあった。


 向かう先は、西海岸の街。

 そこには、同じ「細胞」の謎を追うクロエと、アリアがいる。

 

 ニューヨークの酸性雨を抜け、大陸を跨ぐ。

 「未登録」の死体と、「先行試作品」の兵器。

 そして、それらを繋ぐミッシングリンクとしての「赤龍」。

 

 二つの都市の「死神」たちが、運命に導かれるように、同じ地平へと集結しようとしていた。



 ニューヨーク支部の重厚な執務室。

 窓の外には、酸性雨に煙るコンクリートのジャングルがどこまでも広がっている。


 ロサンゼルス国際空港(LAX)


 ニューヨークの重苦しい酸性雨とは対照的な、刺すような日差しが二人の肌を焼く。

 到着ゲートを抜けたカインの網膜には、すでにナタリーから渡された「クロエ」のデータが、警告色と共に浮かび上がっていた。


「……日差しが強すぎて、吐き気がするぜ」

 ラザロがサングラスをかけ直し、鋼の指でケースの取っ手を強く握り締める。


「ああ。……だが、この光の裏に、ニューヨークで俺たちを狙った『何か』が確実に潜んでいる。……行くぞ、ラザロ」


 二人の死神は、観光客で賑わう空港の雑踏に紛れ、戦場となる天使のロスへと足を踏み入れた。


 一方、アリアのセーフルーム


「……ねえ、クロエ。なんだか嫌な予感がするわ」


 ペントハウスのソファで、自分の神経系をメインフレームと同期させていたアリアが、唐突に顔を上げた。


「どうしたの? またお酒が恋しくなった?」


「いいえ。……もっと人間的で、嫌な予感よ。ロサンゼルスに、とびきり質の悪い『何か』が入り込んだような……さっきからずっと、私の直感が苛立っているの」


 クロエは肩を揺らして笑い出した。

「アハハハ! 最強の軍用FCS (フル・サイボーグ・ソルジャー)が、『乙女の直感』ですって?」


「……もう、笑いすぎよ! 私の直感は、ちゃんと『生身』の感性に基づいているの!」

 アリアは心外そうにむくれてみせた。


 ロサンゼルスの夜は、ニューヨークのそれよりもどこか甘ったるく、そして不気味なほどに乾いている。

 海沿いの古びたモーテル。

 潮風に晒されて、看板のネオンは「MOTEL」の「M」が不規則に明滅を繰り返している。

 カイン・ヴィラールとラザロ・スタインは、剥げかかったドアを蹴るようにして、その一室へと入り込んだ。


 そこには、彼らが慣れ親しんだニューヨークの「重み」はない。あるのは、明日になれば忘れ去られるような、無機質な孤独だけだ。


 カインは部屋に入るなり、まず窓のブラインドを数ミリだけ隙間ができるように調整した。

 部屋の明かりは点けない。

 ポツポツとした音が響き始める。

 雨に晒された街灯の光が、横一文字に部屋を切り裂く。

 カインはその光の帯を避けるようにして、ベッドの上に自身の愛銃――リヴァイアサンを横たえた。


「……まずは、ここを俺たちの城にするぞ、ラザロ。ニューヨークのドブネズミには、この街の風は少々眩しすぎる」


 カインはコートを脱ぎ捨てると、サイドボードの上に一本のバーボン――「オールド・フォレスター」の封を、親指の爪で器用に引き裂いた。

 キャラメルのような甘い香りと、アルコールの鋭い刺激が、モーテルの安っぽい部屋に広がっていく。


「ふん、贅沢なことだ。俺に言わせれば、この街の空気は嘘の匂いが強すぎて、鼻が曲がりそうだぜ」


 ラザロは不敵に鼻を鳴らし、窓際の影に背を向けて座った。

 彼は無言のまま、足元に置いた重厚なケースを開く。

 そこには、分解された状態の『ゲートキーパー』が、主の指先を待つ猟犬のように鎮座していた。


 カインはラザロの背後に立ち、備え付けの安っぽいベッドを確認する。

 彼は慣れた手つきで、バッグから取り出したCRSU (Cyborg Reboot Synchronization Unitサイボーグ用リブートパーツ)をベッドのフレームにカチリと固定した。

 サイボーグは起きていれば、脳は個人の意識と、軍用兵器としての膨大な戦術演算を同時に処理し続けている。

 リブートとは、その溢れかえったノイズを排出し、焼き付いた演算回路を冷やすための、死に近い休息だ。

 機械としての機能を修復し、膨大なデータを適切に整理する。

 そして人間としての心を電脳が侵さないように防壁で固める。

 サイボーグにとってのリブートは、明日もまた、「自分自身」として立ち上がるための、残酷で優しい儀式だった。


 その間も、ラザロは鋼の指でボルトキャリアの滑りを確かめ続けていた。

 カチリ、カチリ。その乾いた金属音だけが、部屋の静寂を支配している。


「……飲め。明日の朝、画廊を叩く。ワンという男が何者だろうと、『あの細胞』の発見現場だ。何も無いはずがない」


 カインはコップをラザロへ差し出した。ラザロはそれを、左手で受け取った。

 プラスチックのコップが、強化パーツである指に押されてミシリと嫌な音を立てる。


「ああ……。だがカイン、ナタリーの言ったあの女、クロエ・フォン・ヴァレンティーヌ。彼女が敵か味方か、それだけが腹に据えかねる。もしその女が、軍の試作品を横流ししている『掃除屋』の元締めだったらどうする?」


 カインはバーボンを一口含み、熱い感覚が喉を焼くのを待ってから、静かに答えた。


「あの細胞を軍の照会システムにかけたIDの持ち主だろ?……普通はそんな危険な事は自分のIDじゃやらない。『IDを利用された被害者』にそんなに拘るな。まずはGPSとも一致している『細胞の発見場所』の確認だ。『可哀想なクロエちゃん』はまた今度だな」

「ああ、お前の言うとおりだ。任せるよ」

 ラザロは葉巻に火をつける。

安モーテルの天井で、古びた換気扇がカタカタと乾いた音を立てて回っている。


 カインは網膜に街の地図と、ナタリーから受け取った走り書き、そしていくつかの写真資料を並べた。

 琥珀色のバーボンは、二人のコップの中で静かにその量を減らしている。


「……改めて、現状を整理する。ラザロ、お前の『眼』にはどう映っている」


 カインが低く問いかける。  

 ラザロは、手入れを終えて重厚な光沢を取り戻した『ゲートキーパー』を傍らに立てかけ、椅子をギシリと鳴らした。


「最悪だ。ニューヨークで俺たちを狙ったあの狙撃手、そして現場に落ちていた細胞片。それがこの街の『画廊の敷地内落ちていた細胞』に繋がっているのは間違いない。そして、その細胞は『M-T(軍先行試作品)』だ。だが、一番腑に落ちないのは、このワンという画商だ」


 ラザロは鋼の指先で、ワンの顔写真を乱暴に叩いた。


「ただのチンピラ金貸し上がりの画商が、軍の最高機密である『M-T』を横流しできるほどの大物か? 背後にいる軍の幹部とやらに、直接繋がっているとは思えねえ。……奴は、もっと大きな『何か』のフロント企業(隠れ蓑)に過ぎない。あるいは、ただの『運び屋』だ」


「同感だ」

 カインは頷き、バーボンのコップを口に運ぶ。

「ナタリーの情報では、ロサンゼルス刑事局のクロエのIDがこの細胞を照会した。……警察内部に、俺たちと同じようにこの『照会』に気づいた奴がいるはずだ。だが、彼女は公式に動いていない。……いや、『動けない』のか」


 カインはブラインドの隙間から、通りを盗み見た。

「味方が居るとすれば『M-T』の横流しを座視できない物好きな連中か。敵ならば、軍の汚職に手を染める輩か、それに群がるマフィアの残党……さて、どっちだ?」


「軍とマフィア……場合によってはストライ……警察も……この街全体が、巨大な罠ってわけだな」

 ラザロは不敵な笑みを浮かべ、自身の左腕の作動を点検した。

「だが、カイン。俺たちのやり方は変わらねえだろう? 罠だと分かっていて踏み抜き、その上で罠を仕掛けた奴の首を獲る。……それがニューヨーク流だ」


 カインは地図上の『ランタン・パレス』の位置を、鋭い眼差しで指し示した。

「明日の朝、いきなり画廊を家宅捜索しても、おそらく決定的な証拠は出てこない。奴らは既に警戒しているはずだ。……まずは、ワンの動向を『揺さぶる』。奴が慌てて尻尾を動かしたその瞬間、その尻尾を掴む」


「揺さぶるか……。いいぜ。俺の『ゲートキーパー』の音が聞こえれば、どんな臆病な鼠でも穴から這い出してくるはずだ」


 カインは残りのバーボンを一気に飲み干し、プラスチックのコップをテーブルに置いた。

「……長期戦になる。ロドスチーフ(警部)の期待に応えるには、焦るな……。このヤマは、しくじればあっという間に全部消え去るぞ」


「ああ。……わかったよ……すまないな。妻の仇かもしれんと勝手に思っただけだ……」


「分かってるさ、ラズロ。『赤い蠍』……お前の仇……俺だって逃すつもりは無い。『軍と繋がりがあるマフィア』それしか分からない謎のマフィアだもんな」


「ああ……先に寝てくれ」

「悪いなラズロ」

 カインはベッドに横たわり、意識をリブート・モードにして死よりも深い眠りに落ちる。

 ラズロの耳の奥で、ニューヨークの酸性雨の音が、亡き妻の声を孕んでロサンゼルスの乾いた潮風の音へと溶け合っていく。


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