第11話 可愛くない
翌朝、アリアは手際よく最低限の荷物をまとめ、長年親しんだ「かまぼこ」のシャッターを下ろした。
入り口のドアには、事前の準備通り『臨時休業』のプレートを掲げる。
昨夜の惨劇の痕跡は、クロエが手配したイリーガル対応清掃班によって、塵一つ残さず「掃除」されていた。
「……さよなら、私の平穏」
アリアは小さく呟くと、クロエの運転する赤いセダンに乗り込んだ。
向かった先は、ロサンゼルスの中心部から少し離れた、一見すると変哲もない古いアパートメントだ。
だが、エレベーターで地下へと降り、分厚い鋼鉄の扉を開いた先には、地上とは完全に切り離されたセーフルーム(安全圏)が広がっていた。
「ここが、今日からのあなたの家よ」
クロエが明かりを灯すと、白一色の無機質な空間が浮かび上がった。
壁一面に敷き詰められたモニター群、軍用規格の暗号化サーバー、そして予備のパーツが並ぶメンテナンス・ベッド。
死角を補うように配置された防犯カメラには『AIカメラガン』が仕込まれている。
さらに、コンクリート壁に時折緑色のハニカム紋様が煌めいている。
(電磁シールド?!これ、師団司令部か何かと勘違いしてない?)
アリアでもスキャン出来ない弾倉にはACHR弾(対サイボーグ重量弾)が仕込まれてるのだろうか。
ここは居住区というより、戦時下のコマンドセンター(司令室)に近い。
「ヤダ……ぜんぜっんかわいくない」
アリアは、クロエが提示した「地下の防空壕のようなセーフルーム」の入り口で、あからさまに嫌な顔をして立ち止まった。
「……ねえ、クロエ。私、地下は嫌よ。こんなの絶対に嫌……」
「アリア、我儘を言わないで。ここは防犯システムも完璧だし、生存率で言えばロサンゼルスで一番安全な場所なのよ?」
「安全なのは分かっているけれど、これじゃ防犯なんてものじゃないよね。一個中隊のCSでも入れないわよ。それに、リブート(再起動睡眠)の時に外の光を感じられないと、私のゴキゲン急降下よ……湿気た土の中に埋められているみたいで、なんだか死んじゃったみたいじゃない」
アリアは頑として一歩も動こうとしない。
クロエは困ったように、小脇に抱えた愛銃『グラム・レイ』のライフル・ケースを抱え直した。
なぜアリアは、最強の兵士としての生存本能よりも「可愛らしさ」を優先するのか。
その不可解なこだわりが、皮肉にも彼女を最強の兵士たらしめ、そして何より「人間」として繋ぎ止めている――クロエだけは、その矛盾した強さの正体を痛いほど理解していた。
「……分かったわよ。じゃあ、地上階の、それもとびきり見晴らしの良い場所を使いましょう。ただし、セキュリティの強度は落ちるし、私がずっと見張っていることになるけれど、いいわね?」
二人が新たに拠点としたのは、ハリウッド・ヒルズの斜面にせり出すように建つ、全面ガラス張りのモダンなヴィラだった。
ここはクロエの自宅。
リビングに足を踏み入れた瞬間、アリアは感嘆の声を上げた。
目の前には、宝石を散りばめたようなロサンゼルスの夜景と、遥か彼方にサンタモニカの波打ち際が見える。
「……そう、これよ。この空の広さがなきゃ、探偵としてのインプレッション(冴え)が戻ってこないわ」
「呑気なものね。……私は気が気じゃないわよ」
クロエは言いながらも、手際よくリビングの窓際、最も射線が通る位置に移動した。
彼女は慣れた手つきで、愛銃『グラム・レイ』をバイポッドで展開し、床に据えた。
昨夜、装甲パーツ『黒竜』を一撃で粉砕したあの弾丸―― 対サイボーグ電磁狙撃弾 ACES Round (Anti-Cyborg Electromagnetic Sniper Round )をチャンバーに送り込んだ。
カチリ、という硬質な音が、静かなリビングに響く。
「……さて。拠点は確保したわ。アリア、さっきの続きをやりましょう」
クロエが空中にホログラムを投射する。
そこには、一人の痩身の青年の写真と、荒々しい筆致で描かれた数枚のスケッチが浮かび上がっていた。
「二十歳で病死したと記録されている天才画家ね……調べていくと……そんなにいい評価の画家ではないわ。凄い評価は処女作だけ。少なくともワンの画廊で扱うレベルの絵では無いみたいよ。そして……ワンは、おそらくはマフィア……しかも『赤い蠍』に何かしら絡んでいる。あの小汚い四つのイリーガルね。パーツの出所がおそらく……」
クロエの知的なメガネにホログラムが反射している。
クロエは複数のデータを整理しながら絞り出すように説明する。
「そして……少なくとも『USCIB(統一国家刑事局)』のデータにあるワンは、疑惑が尽きない……証拠は無いけどね……グレーの情報がたくさん上がっているわ」
アリアは、グラスに注いだミネラルウォーターを揺らしながら、青白いモニターの光を見つめた。
「ねえ、クロエ……これ」
アリアがポツリと漏らした言葉は、弾丸よりも鋭く室内の空気を凍りつかせた。
彼女は手元の端末を操作し、小さな、肉眼ではゴミにしか見えないような物質の拡大ホログラムを空間に投影する。
「……ねえ、クロエ。最初にワンの家にお邪魔した時、密かに拾っておいた『細胞片』があるんだけど。……さっき、軍のデータベースでヒットしたわ」
クロエが光学式ホログラフィック・インターフェースから手を離し、勢いよく振り返る。
「……ヒットした? あなた、行政のDBに潜ったの? 閲覧権限はどうしたのよ」
「ここの端末、クロエのidでログインしてあったから……まぁ、生体認証とかは私の前には何にも意味をなさないけどね。……結果は、ブラック・アウト(閲覧不可)。でもね、属性コードだけは読み取れた。……コードM(軍用規格)。それも、現行品じゃない……『M-T』(先行試作品)よ」
虹彩の奥で光を失った瞳孔が不気味に白く発光し、眼球の表面に微細なデータコードが高速で明滅する幾何学模様が走る。
彼女の網膜が閲覧権限と言う名の防壁を「視認」し、神経接続を介して直接コードを書き換えている証拠だ。
数秒の「静止」の後、発光が収まると、彼女はふうと息を吐いていつもの瞳へと戻った。
「……っ、嘘でしょう!?」
クロエの声が裏返る。
ただの画廊から、軍の最高機密である試作段階の生体パーツ――あるいはその細胞組織が見つかるなど、常軌を逸していた。
この時代、細胞片が「軍の先行試作品」であるということは、即ち「殺人兵器としてのサイボーグパーツ」を意味するからだ。
「嘘じゃないわ。ごめんなさい。クロエのid使っちゃって……。貴女も身が危ないかもしれない。照会した事実は、いずれ軍のウォッチドッグ(監視網)に引っかかるもの。……でも、これで確信したわ。あの細胞は、単なる肉片じゃない。あれ自体が『兵器』なのよ。詳細はまだブラックボックスの中だけどね」
アリアは冷めたミネラルウォーターを一口飲み、窓の外に広がる無数の光を見つめた。
「ワン……いえ、あの偽物の画商は、確実にこれに深く絡んでいるわ。『M-T』が、なぜ名画の盗難事件と結びつくのか……。普通に考えれば、軍内部からの試作品の『横流し』。それも、現場レベルじゃない。かなり上の軍幹部が糸を引いている、巨大なロンダリング(洗浄ルート)の出口が、あの『画廊』なのよ」
アリアの悪びれない言葉に、クロエは手を止め、深く息を吐き出した。
怒りではない。それは、これから間違いなく訪れる「嵐」に対する、刑事としての諦念と覚悟だった。
「……アリア、私のIDを『燃やし』たわね。……まあいいわ、覚悟は決めた。まずは引越し。それに『M-T』なんてもの、この街で野放しにはできないわ」
クロエは、重厚な『グラム・レイ』のストックを固く握りしめた。
「軍の幹部が噛んでいるとなれば、昨夜の襲撃も納得だわ。探偵ごっこの間は生かされていたけれど、細胞の正体に近づいた途端、消去対象に切り替わった……。あの無くなった絵も、彼らには不可欠なものなのね。自力で探せなかったから、私たちに探し出させた。でも、細胞に気づかれた時点で彼らの計算は狂った――そう読み取れるわ」
「ええ。相手は国そのもの、あるいはその中枢に巣食う怪物よ。……ねえクロエ。二十歳で死んだ天才画家の『赤い聖母』と、軍の先行試作兵器。……この二つが重なる場所に、一体どんな謎が隠されているのかしらね」
アリアの瞳には、かつて「陸軍最強」と恐れられた時代の、冷徹で無機質な光が宿っていた。
「まだ分からない……。でも、ワンって男。とんでもないわ。今日、上の許可取ってくる。『管轄外の軍事機密が混入した疑いがあるため、USCIBチーフによる現状のダイレクト・ベリファイ(直接捜査)』という名目でね」
クロエの言葉に、アリアが少しだけ眉を上げた。
「チーフ自ら? 部下を動かせばいいじゃない」
「ダメよ。USCIB内部にも、どこまで軍の息がかかっているか分かったものじゃないわ。……公式にチーム(捜査班)を編成すれば、その瞬間にワンに筒抜けになる。だから、私が『独断で動く厄介なチーフ』を演じるのよ。それなら、もし私が消されても、ウチ(USCIB )は組織として関与を否定できるし、相手も油断するわ」
平和な私立探偵の時間は、完全に終わった。
ここからは、軍の禁忌を暴くための、ブラック・オペレーション(任務)の時間だ。




