第116話 すれ違う家族
分厚いコンクリートの防壁を震わせた爆発の余韻が、凍てつくような地下司令部の空気にまだ微かに残っていた。
天井の防爆照明が非常事態を告げる黄色い点滅を繰り返し、壁際に落ちる彼らの影をせわしなく踊らせている。
張り詰めた沈黙を破り、司令室メインコンソールのスピーカーからノイズ混じりの硬質な声が飛び込んできた。
『こちらUPL警護役・独立憲兵隊第274中隊ロイズ中尉です。先ほど当基地上空にて、防空システムが自動迎撃により撃墜したドローンの残骸を回収しました。機体は完全なアンノウン(所属不明)です。ASIは撒かれてました。メインフレームもデータリンクも徹底的に隠滅されており、現段階での詳細な分析は完了していません……。しかしながら、蠍の放ったものかどうかは現在のところ確証が持てません。ただ一つ判明しているのは、積載されていた武装は対地ミサイル一発のみであったこと。そして、現在周囲の空域に後続の機影は一切確認できません』
ASI(Automatic System Initialization:自動初期化プロトコル)。
それは軍が「消耗品」に課す、最も冷酷な自律防衛機構だ。
電脳内の機密データを物理的に焼却し、全通信プロトコルを強制リセットすることで、敵対勢力への情報漏洩を遮断する。
さらに、このプロトコルにはA-ATS(Acid-Based Anti-Tamper System:酸性鹵獲防止装置)が直結している。
ASIがトリガーされると同時に、素体の主要駆動部パーツに仕込まれたカプセルが破砕される。
そこから放出される高濃度のアシッド・ガス(気化性腐食剤)は、軍用規格のチタンフレームや超伝導回路を瞬時にスラグの山へと溶かし出す。
その報告が響き渡った瞬間、室内のピリついた空気がほんの少しだけ弛んだ。
すぐにミサイルの雨が降ってくるという最悪の事態は免れたようだ。
「……カール。お前の見立てはどうだ? これは蠍の探りか? それとも、ただの迷子か?」
カインは腕を深く組み、サングラスの奥で鋭く光る視線をホログラム・モニターへと向けた。
カールは細く長い指を高速でコンソールに走らせ、数秒で撃墜されたドローンの推定航跡データを空中に投影する。
青白いワイヤーフレームが、ユーラシア大陸の地図の上に赤い線を引いていく。
「確証はありません。ただ……タイミングから考えて、パリでの任務を終え、帰還したヴェノム・ワイバーンがどこかでつけられていた可能性があります。今回のドローンは、燃料積載量から見て近距離型ではありません。おそらくは長距離の自動追尾に特化したモデル……。もしかしたら、先日統一国家からの独立を宣言した紛争区域辺りから、ヴェノムの残した微細な熱紋や電磁波の痕跡を執拗に追尾してきたのかもしれません」
カールの端正な顔が、険しく曇る。
「ロシア地区か……あるいはイラン地区の武装勢力か。いずれにせよ、後ろにいるのは『蠍』……非常に厄介です」
「……なるほどな」
カインは低く唸り、あごに手を当てて思考を巡らせた。
「一機だけ撃墜された以上、これがただの偵察だったのか、それとも暗殺を狙った先発隊だったのかは分からない。後続が来るかもしれないし、これで終わるかもしれない。ドローンの追尾精度を考えれば、ここが『UPLの本拠地』だと完全に断定して追ってきたわけではないだろう。だが……」
カインは言葉を区切り、リーダーとしての重々しい決断を口にした。
「万が一に備え、この択捉・ノード・カトラ基地はいったん放棄する。我々の存在が露呈するリスクは、たとえ1パーセントでも排除しなければならない。急ぎ拠点を移すぞ。……次は、アラスカだ!」
その瞬間だった。
ピンと張り詰めていた司令部の空気が、別の意味で完全に凍りついた。
ただでさえ夏だというのに冷たい風が吹き荒ぶ択捉島にいるのだ。
UPLメンバー達への「アラスカ」という単語がもたらした心理的体感温度の低下は計り知れない。
コンラートの口がだらしなく半開きになり、ランは信じられないものを見るような、あるいは汚物を見るような目でカインを睨みつけている。
カールは無言で視線を逸らしてコンソールの電源を落とすフリをし、ほのかに至っては「嘘でしょ……」と両手で顔を覆って絶望に満ちた呟きを漏らした。
今、別ルートでアイルランドへと向かっているラズロ、ミリア、ノエルの三人がもしこの場にいたなら、間違いなく「ふざけんな!」と暴動を起こしていただろう。
寒さが何よりも苦手で、せっかく買い込んだフリフリのロリータ服の上に分厚い防寒着を着膨れさせなければならないミリアの絶望顔。
「また合成肉のシチューかよ!」と吠えるラズロ。
「私、生身なのよ!肌が乾燥でボロボロになるわ!」と舌打ちするノエル。
そんな彼らの嫌そうな顔は、想像するに難くない。
「ちょっと、カインさん……本気で言ってるんですか?」
ほのかが、恨めしそうな、今にも泣き出しそうな声で抗議する。
「今、私たち択捉島にいるんですよ? ちょっと前まで……外は一歩出たら凍死するような猛吹雪と戦ってたんですよ? なのに次がアラスカって……。そもそも、UPLって世界中に何箇所くらい使える拠点があるんですか? 何でよりにもよって、次も極寒のアラスカなんですかぁ……!」
「敵に発見されていなくて、ここからの進路を最も取りやすいからだな。カトラ基地からなら、海軍の陽電子潜で北極海を抜けて即座に移動できる。潜水艦のソナー網を欺瞞しやすく、戦略的にも極めて合理的だろう」
カインが真顔で、軍人として至極真っ当で論理的な説明を返すと、全員の顔がさらに「そういうことじゃない」という露骨な嫌悪感に染まった。
「ゴホッ! ゴホッ、ゴホォォォッ!」
突如、ドクトルFがわざとらしく、肺の底から絞り出すような大仰な咳払いを始めた。
「あー、いかん……ワシのような年寄りには、この冷え込みは骨にこたえるわい。アラスカなんて行ったら、間違いなく関節の生体潤滑油が凍りついて動けなくなって死んでしまうわ……ゴホッゴホッ。カインや、ワシを殺す気か……」
「ドクターの足、非戦闘用とは言え最新式の軍用パーツじゃないですか。マイナス80度まで完全動作しますよ」
カールが冷静に突っ込むが、ドクターは聞こえないふりをしてさらに激しく咳き込んでいる。
「カイン……」
ランが腕を組み、緑色のチャイナドレスのスリットから覗く美しい脚をさすりながら冷ややかに言い放つ。
「極秘任務なのは分かるし、安全第一なのも理解しているわ。でもね、もっと暖かくて……肌に優しい、過ごしやすいところがいいのだけど。私、極度の冷え性なのよ。これ以上寒いところにいたら、脚部アクチュエーターの反応速度が落ちるわ……これ、温度差に敏感なのよ」
「僕も同意見だね。アラスカと言うか寒い所は絶対に行きたくない」
コンラートがやれやれと肩をすくめ、大げさに首を振った。
「隠れやすいのは戦略として正しいのは分かるが、戦士には士気ってものがあるだろう? 血生臭い任務の合間くらい、心が躍るような太陽と美しい景色が必要だと思うんだがね。それに、アラスカじゃデートスポットもないじゃないか」
そして、現実のメンバーからの猛反発に加え、カインの脳髄を直接揺らすように、最大のクレームが響き渡った。
『カインのバカァ! バカバカバカ! 寒いところ連続なんて絶対にやめてよーっ!』
電脳空間のソファの上で、アリスが両頬をパンパンに膨らませ、ホログラム・ぬいぐるみをカインの網膜インターフェイスにバンバン投げ当てて抗議している。
投げられたぬいぐるみはカインの網膜インターフェイスに積もっていく……アリアの許しがないと、カインの視覚がうさぎさんとネコさんのぬいぐるみで塞がれそうである。
『私、今年の夏は絶対に温かい海辺でトロピカルドリンク飲むって決めてるんだから! カインのケチ! ロクデナシ!』
「……分かった、分かったよ」
現実と電脳からの集中砲火に耐えかね、カインは珍しく両手を上げて完全降伏のポーズをとった。
冷徹な死神も、家族の総意には勝てないらしい。
「現在、UPLの権限で自由に使える緊急拠点は世界で50箇所ある。だが、改修中の施設や、過去に敵に発見されて放棄されたダミーの場所を除くと……今、安全に使えるのは41箇所だ。……そうだな。あまり遠くまで移動して、蠍に隙を与える時間は無い。ヴェノム・ワイバーンは航跡を追われた可能性があるから、今回の移動では使わない」
カインはホログラム・マップを展開し、北半球の極寒地帯から、一気に赤道付近へと指を滑らせた。
「カール、潜水艦でバギオ沖150km地点まで向かうルートを策定しろ。そこからUPL警護役独立憲兵隊のヴェノムでピックアップさせる。……次の基地は、パラワン・ビッグ・フロートアイランドだ。そこなら文句はないだろう」
「えっ! あの、パラワンですか!?」
ほのかの顔が、一瞬にしてパァァッと真夏の太陽のように輝いた。
「あの、世界三大フロート・ショッピングモールがあるところですよね!? 雑誌で見たことあります! 海の上の超巨大リゾート! 夢みたい!」
「ふぉっふぉっふぉ、話が分かるようになったじゃないか、カイン」
ドクトルFがピタリと咳を止め、モノクルの奥の目を爛々と光らせた。
「あそこはな、ただの観光地ではないぞ。統一国家空軍・南太平洋最大の拠点じゃ。フロートと言っても、海にプカプカ浮かんでいるわけではない。高度1000メートルの決まった空域を、反重力システムで決まった航路を浮遊し続ける『天空の浮遊都市』じゃよ。全体で言えば97エーカーもの途方もない広さを誇る。そのうちの半分が軍用区画になっておってな……UPL区画は最高の場所じゃ!人工海ビーチ沿いなんじゃ。もちろん……プライベートビーチじゃ。UPLとその警護役憲兵しかおらんぞ」
ドクトルは口元をだらしなく緩め、ニヤリと笑った。
「……あそこのUPL区画に用意されたヴィラは、世界中の拠点の中で……文句なしに一番豪華なんじゃよ。司令部併設の人工温泉もあるし、ラボの設備も最新鋭じゃ!」
「あら、それは素晴らしいわね。そこがいいわ」
ランが満足げに微笑み、先ほどまでの不機嫌さが嘘のようにチャイナドレスの裾を翻した。
「大賛成だね。星空に近い浮遊都市なんて、ロマンチックの極みじゃないか。僕とお嬢のための婚約期間を楽しむ舞台としては申し分ない」
コンラートも不敵な笑みを浮かべ、上機嫌に頷いた。
そして、電脳空間のアリスもまた、さっきまでの抗議はどこへやら、いつの間にかハイビスカス柄の南国風ワンピースに着替え、大はしゃぎしていた。
『カイン! パラワン島ってことは、あそこのお酒は何が美味しいの!? トロピカルカクテル? それとも熟成されたワイン!? あぁ、想像しただけで喉が鳴るわ!』
(……まず確認するのが酒のことか? アリス。……アル中になるなよ?)
『ちょっと、失礼ね! 電脳に居る私がお酒飲んでアル中になるのは、カインの肝臓なんだからいいのよ! ……それで? パラワンには何があるの?』
(ああ、あそこは独自の酒は作っていないはずだ。基本的には富裕層向けのリゾート地だからな。しかし、あそこは南太平洋の重要な流通ハブ拠点でもある。培養肉じゃない本物の『生の肉』も手に入るし、酒は世界中の各地区から最高級のものがバンバン入ってくる。名物という名物はないが、『何でも手に入る』場所だ)
『最高じゃない!! カイン! そこ! 今すぐ早く行くわよ! 荷造りなんて後でいいわ!』
脳内で南国の海をバックに踊り狂うアリスの姿に、カインは心の中で深く苦笑した。
「……カール、海軍に打診だ。至急、潜水艦を手配してくれ。さっき言った通りだ」
カインはやれやれと首を振り、大きく肩をすくめる。
「……まったく、引っ越しの多い職場だ。落ち着く暇もない。荷物をまとめろ」
そんなカインのぼやきを聞いて、ランがふっと柔らかく、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「いいじゃない。こんな血生臭くて物騒な仕事をしているけれど……家族全員で、世界中を旅行しているようなものよ。悪くないわ」
ランはそう言うと、コンラートの方へと流し目を送った。
彼女の左手の薬指には、パリで受け取ったばかりのダイヤモンドの指輪が、基地の警告灯の光を乱反射してキラキラと輝いている。
「さあ、急いで潜水艦に乗り込みましょうか。……そうしたら、さっきサイレンに邪魔されて話しそびれた『続き』の話……みんなに聞いてもらいましょう?コンラート……」
ランのその甘くも恐ろしい言葉に、コンラートは一瞬ビクッと背筋を伸ばし、額に一筋の冷や汗を流した。
しかし、すぐに持ち前の軽薄で愛に溢れた笑みを浮かべ直す。
「もちろんだとも、マイ・スウィート・ラン。君が望むなら、深海の底を走る鉄の鯨の中で、僕たちの愛をみんなに知ってもらおうじゃないか」
警告サイレンの残響が冷たいコンクリートの壁に吸い込まれると同時に、彼らは急ぎ択捉からの撤退準備を始めた。
上空を切り裂くように飛んでいった輸送機の駆動音は、パラワンの浮遊都市へと向かうUPL警護役独立憲兵隊の先遣隊だろう。
向かう先は、空に浮かぶ南国のリゾート。
戦場から戦場へと渡り歩く終わりのない過酷な旅路の中で、彼らは確実に、血よりも濃い『家族』としての絆を深め、未来への希望を掴み取ろうとしていた。
だが、その希望へ向かう旅立ちは、一つの残酷な運命のすれ違いでもあった。
カトラ基地の分厚い隔壁を隔てた、すぐ隣のうらぶれた街。
2493年。
カレンダーの針はすでに七月を指し、短い夏を告げる海霧が島を白く包み込んでいるが、小さな洋品店の中だけは、あの日から時間が凍りついたままだ。
娘を失った悲しみに言葉を奪われた母アイセルが、愛する娘の面影を縫い付けるように、静かに旧式のミシンを踏み続けている。
その傍らで、父オメルが白く濁った窓ガラス越しに、濃霧に煙る基地の方角をただ力なく見つめていた。
生身の体を失い、記憶の残滓として見知らぬ男の電脳に宿る愛娘が、ほんの壁一枚向こう側にいたことなど、老いた夫婦は知る由もない。
そしてアリス自身もまた、自分をかつて愛した「本当の家族」が、こんな最果ての島で自分を想い泣き続けていることなど、思いもしない。
夏の冷たい霧の海を潜り、カインとアリスを乗せた鉄の鯨が静かに遠ざかっていく。
近くにいたはずの「血の繋がった家族」の軌跡は、ただの一度も交わることなく、潮騒の中に消えていった。
択捉の島を包む濃密な夏の海霧が、二つの家族の隔たりを、白く静かな忘却の彼方へとただ無慈悲に塗り潰していった。




