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ベヒーモス  作者: うなぎかご
極北の章
111/122

第111話 神に作られる平和

 豪奢なアンティーク家具が並ぶ、重厚な防音扉に閉ざされた薄暗い密室。

 どこか遠いヨーロッパの古城を思わせるその空間には、芳醇な年代物のワインの香りと、サイボーグの駆動系から漏れる微かなオゾンの匂いが異様に混ざり合っていた。

 部屋の中央、血のように赤い天鵞絨ビロードの布。

 彼女は浮遊するその布をまるで浮いているソファーに腰掛けるが如く、ふわりと身を任せていた。

 その小柄な人影は、手元の極小端末から空中に投影された青白いホログラムの光を浴びながら、暗闇の中で愉しげに、そして酷薄にほくそ笑んだ。

 望んでいたものが、ついに手元に届いたのだ。


「……す、素晴らしい成果です。偉大なる双子座(Death Gemini)……」

 彼女の前に深く傅き、絨毯に額を擦りつけるようにして控えている男――赤い蠍の最高幹部たるゾディアックの一角、アクエリアス(水瓶座)の身体は、小刻みな恐怖の震えを隠しきれずにいた。

 彼の肉体は、最新鋭の極低温流体金属装甲で構築された完全な特異戦闘仕様のサイボーグである。

 物理的な「寒さ」や「恐怖」による震えなど、システム上起こるはずがない。

 だが、彼の姿勢制御を司る高性能ジャイロセンサーは、電脳の奥底から湧き上がる原始的な恐怖を感知し、ただ震えていた。

 完全義体化された神経系にすら、生身の背筋を氷が滑り落ちるような冷や汗の感覚を錯覚させる。

 それこそが、目の前に座る『双子座』が放つ絶対的なプレッシャーであった。


 双子座は、最高級のクリスタルグラスに入った赤ワインを傾けるような優雅な手つきで空中のホログラムをいくつも弄りながら、蜂蜜のように甘く、それでいて絶対零度の冷酷さを孕んだ声を落とした。


「そんなに怯えて震えないで、アクエリアス。貴方のその働き、私はとても高く買っているのよ。……顔を上げなさい。そもそも、ゾディアック(十二宮)と言えども、こうして直接私の素顔を見て、私と同じ空間で空気を吸ったのは、後にも先にも貴方が初めてなのだから。もっと誇っていいのよ?」

「こ、光栄の至りに存じます……っ!」

 顔を上げるよう促されても、アクエリアスの視線は双子座の足元から上へは向かなかった。

 双子座の素顔を知るということは、この巨大な『レッド・スコルピオン』と言う統一世界を牛耳る組織の最深部、その心臓であり頭脳に触れるということだ。

 それは絶大な権力と恩恵を約束する甘い蜜であると同時に、今後一歩でも彼女の意に沿わぬ行動をとれば、文字通り分子レベルで消去されるという「死の宣告」と同義であった。

 彼は今、目隠しを外された状態でギロチンの下に頭を入れているのだ。


 双子座の白く細い指先が空間を滑り、アクエリアスの目の前へケースに入った一枚の透明なガラスプレートを無造作に放った。

 アクエリアスは恭しくそれを受け取ると自らの頚部液体装甲に指を沈め、フレームに指を当てる。

 カチャリ、と硬質な音を立ててプレートが頚部に沈むと、網膜ディスプレイに画像が起動し、映像が展開される。

 そこに収められていたのは、ミノス島とルクセンブルクで凄惨な死を迎えた二柱の神――サジタリアス(射手座)とライブラ(天秤座)の、最期の戦闘を記録したデータであった。


「あんな二つのゴミ(サジタリアスとライブラ)でも、死に様くらいは役に立つことはあるものね。彼らの戦場に仕込んでおいた観測用ナノマシン……それが、十二分な戦闘データを持ち帰ってきてくれたわ」

 双子座の言葉に、アクエリアスは息を呑んだ。

(同胞の死を、何の感情もなく『ゴミ』と……っ!)


 ホログラムには、暴風吹き荒れるサナトリウムで、フリルのホログラムスカートを揺らしながら容赦なく引き金を引く銀髪の少女の姿と、ルクセンブルクの倉庫で残像を残しながら反乱軍を蹂躙する男の姿が、様々な角度から数値化されて映し出されていた。

「いいわぁ……無駄なく最適化された、フリルの服を着たあの射手の銃撃プロトコル。そして何より、あの剣士が魅せた『1秒間に47撃』という異常な空間制圧速度と、その際の出力ベクトルの変化。……ああっ、本当に素晴らしいサンプルだわ。見ているだけでゾクゾクする……どこかで見た事がある?……うぅん……(しもべ)にしたぃわぁ……彼らが望むならゾディアックにしても良いのだけど……」


 うっとりとした双子座の吐息を聞きながら、アクエリアスは戦慄した。

 カイン・ヴィラールが振るった、あの神速の剣撃。

 圧倒的だと思われたあの一方的な蹂躙劇すらも、双子座の掌の上で踊らされた「性能テスト」であり、データ収集のプロセスに過ぎなかったのだ。


「いいこと、アクエリアス。あのUPLという目障りな猟犬ども……彼らの身元が割れたら、まずは社会的に抹殺しなさい。物理的に殺すのは後でいいわ。そして、この貴重な戦闘データを基に、彼らの機動力と火力を完全に封じ込めるアンチ・パターン(対抗策)を練り込んだ、まったく新しい神々――新生十二宮を、貴方の手で作り上げるのよ」

「はっ! 全身全霊を懸けて、お任せください!」

「私が下賜した、その『新しい身分』なら造作もないことでしょう? ――統一国家宇宙軍、中将閣下。軍の最高機密であるプロトタイプパーツや最新鋭の兵器群だって、今の貴方の権限なら、いくらでも裏ルートに流せるはずよ」

「必ずや、新生十二宮を……! あの忌々しいUPLの戦術を完全に無効化し、奴らに絶対的な絶望を与える真なる神を、この手で作ってご覧に入れます!」


 統一国家宇宙軍の中将。

 軍の防衛の要であり、最高幹部の一人。

 その中枢にまで赤い蠍の毒牙が、それどころかゾディアックそのものが入り込んで采配を振るっているという事実は、この世界の腐敗がいかに底なし沼であるかを雄弁に物語っていた。

 正義の軍隊の予算と技術が、そのままテロリストの強化に使われているのだ。


「ふふっ、頼もしいわ。それと……私も」

 双子座はふと、声のトーンを切り替えた。

 先ほどの冷徹な支配者の声から一転、それはまるで、休日にショーウィンドウの可愛らしいドレスをねだる少女のような、無邪気で、それゆえに残酷な響きを持っていた。

「私もそろそろ、今のこのボディをアップデートしたいの。そうね、17歳くらいの、とびきり可憐で純真なボディがいいわ。少しだけ、普通の女の子みたいに青春を楽しんでみたいのよ。お友達も欲しいわ……ねぇ、中将閣下。宇宙軍の極秘ラボに、何か私の美意識を満たすような、特別に良いモノ(換装体)があるかしら?」


 数え切れないほどの命を奪ってきた怪物が、17歳の無垢な少女の皮を被りたがっている。

 その悍ましい要求に対し、アクエリアスは即座に平伏した。

「はっ! 宇宙軍の裏側、生体兵器研究部門に、最高峰の義体が幾つもストックされております! お気に召すよう、最も美しく調整された極上品を、すぐに手配いたしましょう!」

「ふふ、ありがとう。楽しみにしているわ。……では、この先のプランだけれど」


 双子座はゆっくりと中空から床に降りると、5cmくらい浮遊したまま、音もなく絨毯の上を歩き、跪くアクエリアスの背後に回った。

 そして、彼の流体装甲の肩口に、氷のように冷たい指を這わせた。

「これから1年ほどは、我々ゾディアックは『全滅』したことにしましょうか」

「全滅……我々自らが偽装し、死んだことにする、ということでしょうか?」

「ええ。そうね……山羊座、魚座、牡牛座。そして、貴方と私。残りのゾディアックの死体を、あの哀れで滑稽なUPLへのプレゼントとしてくれてあげなさい。今の地位ごと焼いてしまっても良いわ。どうせ犬どもが嗅ぎつけてきてるのだから。新しい身分は本物を消して奪えば良い……いつも通りよ」


 双子座の指が、アクエリアスの首筋をなぞる。

「適当なガラクタの義体を寄せ集めて、そこに我々の偽装データをたっぷりと詰めておくの。……自分たちの手で親の仇を全て討ち取った、ついに復讐は終わったのだと思って、さぞ安堵の涙を流して喜ぶでしょうね、彼らは。ふふふふ……」

 暗闇に響く笑い声は、獲物に巻き付く毒蛇の舌舐めずりのように湿気を帯びていた。

「くれぐれも、本物のゾディアックの残骸だと思われるように、程々に上質なサイボーグ死体を用意するのよ? 検査でバレるような手抜きは許さないわ。ヴェールは全部に被せなさい」


「仰せのままに! 軍の鑑識すらも完全に欺く、完璧な偽装死体と、激しい戦闘の痕跡を準備いたします。……しかし、なぜ我々が討ち取られたのではなく、仲間割れという形にするので?」


「簡単なことよ。いっそ、ゾディアックという最大の脅威が完全に消え去ったことで、平和ボケした統一国家内で『UPL不要論』でも吹き荒れれば最高なのだけれどね。便利な下部組織には金を流し続けるのよ。組織の弱体化は戻すのが大変だもの……共通の敵がいなくなり、存在意義と予算を絶たれて、あの優秀な猟犬たちが無様に解散させられる姿を想像すると……ああ、たまらないわ。ふふふふ……アハハハハハ!」


 密室に、狂気に満ちた笑い声がいつまでも反響していた。


 それから、二日後のことである。


 冷たい雨が容赦なく降りしきる、フランス・パリ郊外のブーローニュの森。

 本来ならば休日に市民が散策を楽しむ憩いの場であるはずの広大な森の奥深くは、幾重にも張り巡らされた警察と軍の黄色い規制線と、パトカーが放つ赤色灯の毒々しい光に包まれていた。

 爆発によって黒焦げになった何本もの巨木、深く抉れた泥の大地、そして足の踏み場もないほどに散乱する無数の空薬莢。

 局地的な戦争でも起きたかのような凄惨な戦闘の痕跡が残るその中心、血とオイルの混じった水たまりの中に、複数のサイボーグの無惨な死体が転がっていた。


 遺体には、通常の軍用レベルを遥かに凌駕する、見たこともないような高度な特異サイボーグパーツが組み込まれていた。

 そして、鑑識班が震える手で解析した残存パーソナルデータは、彼らが世界を恐怖に陥れたテロ組織『赤い蠍』の最高幹部――ゾディアックの残党であることを明確に示していた。


 山羊座、魚座、牡牛座、水瓶座、そして双子座。

 現場の捜査員たちは、世紀の大発見に色めき立った。

 だが、現場にはUPLや正規軍が介入し、彼らを討伐した痕跡は一切残されていなかった。

 無惨に引き裂かれた残骸の損傷痕、そして現場の精密な弾道解析が導き出した結論は、あまりにも奇妙で、しかし世界にとってはこれ以上なく都合の良いものであった。

 それは外部からの襲撃などではなく、彼らゾディアック同士が何らかの理由で殺し合いを行ったという、疑いようのない『仲間割れ』の結末であったのだ。


 『神』を名乗っていた赤い蠍の首魁たちは、権力闘争による自らの内紛によって全滅した。


 翌朝、世界中を安堵と歓喜の渦に巻き込むことになるその「美しき偽りのニュース」の影で。

 冷酷なる双子座は、あどけない17歳の新しい肉体を手に入れ、新たなる神の軍団を生み出すまでの間、深い欺瞞の眠りについたのだった。

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