第110話 継承される魂
択捉島のUPL(UE-0 "PHANTOM-LIMB")地下司令部。
極寒の地底に、歓喜のどよめきが沸き起こった。
「カインさん! ラズロさんたちが サジタリアスのエクスキューション(暗殺)、成功です! 既に地元当局への通達も完了しています。チームの帰還までは、あと十時間ですね!」
メインコンソールを叩いていたカールの弾んだ声に、司令室の空気が一気に華やいだ。
メイシーを奪った憎き仇の死。
その報告に、ほのかとノエルは涙ぐみながら固く抱き合い、ドクターFは「よくやった、よくやった……」と呟きながら、備蓄から取り出してきた高級な和菓子をスタッフたちに振る舞い始めた。
だが、カインの表情は油断なく引き締まったままだ。
「よくやってくれた……ジュリアン中尉も喜んでるだろうな。ところで、先ほどお前が言っていた『もう一つの件』はどうなっている」
「あ……はいっ。すみません」
カールは表情を引き締め、モニターに一人の女性のデータを映し出した。
「UPLの次期エージェント候補として、現在我々で身上調査を行っていた人物の一人なんですが……少しピンチになっているようです。ルクセンブルク地区の反乱軍に捕らえられており、早急に救助しなければ処刑されます」
「……素性は?」
「エミリ・ディーデル。統一国家諜報部のMFCS(全身義体化サイボーグ)、二十七歳。過去の経歴は不自然なほど綺麗に抹消されていますが、本人の口からは『両親は蠍に殺された』と語っています。今のところ、調査上はシロです」
モニターに映るのは、鋭い眼差しを持つ豪奢な金髪の美女だった。
「彼女は、ルクセンブルクで蜂起した反乱軍の背後に、赤い蠍の『資金ルート』と『武器ルート』があることを特定しました。しかし、その見返りとして反乱軍に囚われてしまったようです」
「戦力分析は?」
「彼女のベースは超軽量フレームの格闘特化型サイボーグです。高いヒールを好み、手足の指先には生体皮膚を突き破って露出する『プロテタイト合金製ニードル』が仕込まれています。使用武術は蟷螂拳。その指先で触れるものすべてを引き裂くとのことです。瞬発力は銃弾を知覚・回避可能なレベルであり、指先から瞬間的に放たれる運動エネルギーは、MBT(主力戦車)の側面装甲すら紙のように食い破ります」
カールが素早くキーを叩き、拘束されている彼女の隠しカメラ映像をモニターに映し出した。
「現在、彼女を拘束しているのは特殊拘束鎖『グレイプニル』。内部バイパスを高速周回する超電磁ローターと高圧電流のスパイクによって、サイボーグの神経伝達系を完全に麻痺させる代物です。これでは彼女の圧倒的な機動力も意味を成しません」
カインはモニターを冷徹に見つめ、小さく息を吐いた。
「分かった……俺が行こう。UPL警護役の独立憲兵中隊から、足の速いヘリを回してくれ」
「はい。気をつけてください、カインさん!」
ほのかの祈るような声を背に受け、カインは静かに司令室を後にした。
ルクセンブルク地区、郊外の巨大なカマボコ型倉庫群。
そこは、横流しされた軍正規品や、裏ルートの違法パーツで急造された「非正規サイボーグ反乱軍」の巣窟であった。
寄せ集めのMFCSとはいえ、長年かけて培われた戦力は一万人の大台に届こうとしている。
サイボーグの一万人規模軍団など、その気になれば国を容易く蹂躙できる狂気の暴力だ。
現在、この倉庫内には約六百名、外周の警戒に三千名が配置されている。
「ゲヘヘヘ。どうせ殺すんだ、その前にたっぷり楽しませてもらおうか。諜報部のエリートの生体皮膚が、どこまで本物に近いかよぉ……!」
下劣な笑いを浮かべる反乱軍の男たちが、宙吊りにされた女――エミリに群がろうとしていた。
特殊拘束鎖『グレイプニル』によって四肢を封じられ、強烈な電磁スパイクに焼かれている彼女は、苦痛に顔を歪めながらも鋭く男たちを睨みつけた。
「殺せ……。貴様らに、話すことは何もない……!」
その時だった。
――ゴォォォォォォォンッ!!
遠くから聞こえていた不審な低音が、突如として爆音へと変わる。
カマボコ型の分厚い屋根が、内側への巨大な爆発を伴って粉々に吹き飛んだ。
土煙とコンクリートの破片が降り注ぐ中、天井の穴から一直線に降ってきた一つの影が、床の鉄板を大きく陥没させて着地する。
土煙が晴れたそこに立っていたのは、憲兵隊の黒いコートを翻すカイン・ヴィラールだった。
六百のサイボーグ兵がひしめく敵陣のど真ん中に、たった一人で単独降下してきたのだ。
カインは周囲の殺気立つ兵士たちに一瞥もくれず、縛られた女の顔を見た。
「エミリ……エミリ・ディーデルだな? お前と、少し話をしたい」
「バ、バカヤロウ! なんだてめぇ! こんな所でナンパしてんじゃねえよ! ハチの巣にしてやる、死ねッ!」
パニックに陥った反乱軍の兵士たちが、一斉にアサルトライフルの引き金を引く。
――ガガガガガガッ!!
無数の弾丸がカインの身体を蜂の巣にした……かに見えた。
だが、弾丸が貫いたのは、空気の層が作り出したただの『残像』だった。
いつの間にか、カインは床に膝がつくほど低い、異様な居合の構えを取っていた。
風になびく憲兵将校の制服はジュリアン中尉の遺品だ。
反乱軍がその消失に気づいた時そこにカインの姿はなかった。
カインはすでに壁を走っていた。
「消えた!? いや、あそこだ! 壁だ!」
――ガン! ガン! ガン!
銃を抜く動きすら見えなかった。
カインの右手に握られたジャッジメント・リヴァイアサンから放たれたACHR (対サイボーグ重量弾)が、声を上げた三人の眉間を正確に撃ち抜き、その頭蓋を弾き飛ばす。
壁を疾走していたカインが反乱軍の中央に着地すると同時にハードポイントに滑り込んだリヴァイアサンと入れ替わりにそれは抜かれた。
――キィィンッ!
直後、空気を引き裂く高周波音と共に、カインの腰から抜かれた『雷切』が閃いて、12mを瞬間移動のように駆け抜ける。
12人の兵士がそれぞれの角度で真っ二つに分断され、同時にエミリを縛っていた絶対の鎖『グレイプニル』が、飴細工のようにあっさりと切り裂かれる。
「ふぅぅぅ……」
カインは短く呼気を吐き出し、再び深く沈み込むような居合の構えに入った。
そこからは、一方的な蹂躙であった。
再びカインの残像が揺れる。
刀光が閃くたびに、腕が飛び、首が飛び、足が飛ぶ。
カインは六百の敵の中央で、まるで独楽のように円運動を描き始めた。
それは、伝説の剣豪が乱戦の中で舞う、血塗られた死の舞踏。
中尉の遺品である黒い憲兵の制服が残像にしか見えない。
『ふふふふふ……これは頑張った甲斐があったわね』
(アリア……ジュリアン中尉の記憶……か?)
『そうよカイン!大変だったんだから……こんな雑魚じゃ私のオペレートなんかいらないわね』
「ひけ! ひけぇッ! なんだコイツは、化け物だ!」
非正規サイボーグたちは恐怖に回路を焼かれ、蜘蛛の子を散らすように倉庫の出口へと逃げ出そうとする。
だが、カインの瞳に容赦の色はない。
敵を踏んで飛ぶ。
ガンガンガンガン!
ボルトを飛ばされて不安定になった倉庫の鉄柱がカインに蹴られ、半端なサイボーグ達の上に落下した。
弾ける肉片と鉄片。
キン!
鉄柱の下敷きになって、何とか砂埃の中から伸ばした首が……手が……着地したカインの斬撃がそれを払い、揃って切り飛ばされた。
着地と同時に飛んだ首は四つ。
キン!
続いてアサルトライフル付きの腕が床に落ちる。
瞬時に壁を走り、カインの残像をライフル弾が貫いていた。
壁を走っているカインの流れるようなリロードは終わっている。
そして跳ぶ。
ガンガンガンガン!
ジャッジメント・リヴァイアサンが壁を疾走するカインから撃ち下ろされる。
弾け飛んでいたのは頭と、電脳の破片であった。
反乱軍から飛び散る赤い霧のような雨が止まる事は無い。
キン!キン!
首が……腕が宙を舞い、赤い雨を降らせ続けていた。
刀の斬撃の合間に『ベヒーモス』の狂気の銃撃が入り混じる。
ドゴォォォォン!
ドゴォォォォン!
ドゴォォォォン!
逃げ惑う背中に20mm徹甲炸裂弾が吸い込まれ、数体を貫いた果てに安定化ニトロにより次々と爆発の華が咲く。
ただただ、屍が屍を増やしていく。
ものの数分で、倉庫内は完全な静寂と、オイルの海に包まれた。
「ふん……」
鎖から解放されたエミリが、地面に崩れ落ちていたが、震える足で無理して立ち上がった。
「お礼だけは言うわ。ずいぶんと派手な救出劇ね。あんた、何者?」
「俺は、参謀本部直轄憲兵本部 情報三課第二係。……ジュリアン中尉だ」
カインはサングラスの奥の瞳を隠したまま、淀みなく偽名を名乗った。
「ジュリアン……? そう。それで、私を助けにきてくれたの? 言っておくけど、私は内務省情報部よ。軍との共同作戦という訳?」
「いや……スカウトに来た」
カインは刀を血振るいし、ゆっくりと鞘に収める。
「君は蠍が……『レッド・スコルピオン』が憎いか?」
「蠍……私の両親を無惨に殺した蠍……。憎いわよ! 決まってるじゃない」
エミリの瞳に、燃えるような憎悪が宿ったのを確認し、カインは短く頷いた。
「よし、これから本部へ案内しよう」
カマボコ倉庫の外では、マリアンヌが操縦する漆黒のヴェノム・ワイバーンが、静かにホバリングして待機していた。
「すまないな、マリアンヌ。奴らを降ろしてからすぐに来てくれたんだろ?」
「気にしないで中尉。これが私の仕事なんだから」
カインとエミリを乗せた機体が向かったのは、ドイツ・ハノーファーに位置する統一国家宇宙軍基地のUPL区画である。
到着したのは、深夜1時30分。
カインが案内した司令部二階第三司令室には、なぜか誰一人として姿がなかった。
「……誰もいないのね?」
エミリが不思議そうに周囲を見渡す。
「ああ。明日、改めて紹介しよう。ここには頼もしい仲間がいるんだ……たくさんな」
カインが振り返り、歓迎の意味を込めて右手を差し出した。
エミリは妖艶な笑みを浮かべ、その手を両手で包み込むように握手に応じる。
その瞬間だった。
『カイン! クロ(黒)よ!』
電脳の奥底で、アリアの鋭い警告が響き渡った。
(……やはりな。なんか不自然だと思ったところだ)
「ジュリアン中尉……これから、よろしくお願いしますね……」
エミリは握手をしたまま、カインの胸元へと自らの豊かな胸をねっとりと擦り付けた。
黒いスリットスカートから覗く美しい脚が、カインの脚に絡みつく。
潤んだ瞳で見上げ、吐息がかかる距離まで迫る唇。
ゆっくりと目を瞑る女。
だが、その魅惑的な唇に触れたのは、カインの冷たい『左手の小指』だった。
「……どうしたの? 私じゃ……ダメ?」
エミリが小首を傾げた刹那。
――ドゴォォォォォォォンッ!!
天井の強固なコンクリートを粉々に突き破り、規格外の巨体がカインの頭上へと隕石のように降り注いだ。
「チッ!」
カインはエミリの手を強引に振り払い、瞬時に後方へ飛び退く。
だが、巨体が振るった高速の斬撃がカインの顔面を掠め、愛用のサングラスが真っ二つに切り刻まれて宙を舞った。
カインの目には高速で振り抜かれる量子刃ハルバードがしっかりと見えていた。
「惜しい……! いやぁ、実に惜しい! ライブラ様! ここにジュリアン中尉がいましたよ!」
エミリの声音が、先ほどまでの色気を含んだものから、下劣で狂気じみたものへと一変していた。
「やっぱり生きてました! でも今は一人です……やれますよ、ライブラ様!」
粉塵の中から姿を現したのは、全身に多重電磁リアクティブアーマーを纏い、両腕に巨大な戦斧を構えた異形の神――ゾディアックの一角『ライブラ(天秤座)』であった。
「ガッハッハッハ! よくやった! 琴座(Lyra)のエミリよ、この功績で、お前は空位となっている『アリエス(牡羊座)』の座につけるぞ! ガッハッハッハ!」
ライブラは腹の底から響く豪快な笑い声を上げ、巨大な斧を肩に担いだ。
だが、その視線が後方に着地した男の顔を捉えた瞬間、その動きがピタリと止まる。
「ん? んんん? ……おい、エミリ。こいつ……ジュリアンじゃないぞ。あの小癪な片目の男じゃない。……どこの雑魚だ?」
ライブラが怪訝な顔をした、まさにその絶対的な「隙」の瞬間。
『カイン、今ッ!』
アリアの声が、カインの電脳に超加速のタイミングを伝達する。
――キィィィィンッ!!
崩落しかけていた天井の破片を蹴り台にして、すでにカインは三次元的な跳躍を行っていた。
上空からの神速の斬り下ろし。
『雷切』の高周波電磁ブレードが、分厚い多重電磁リアクティブアーマーごとライブラの右肩を切り飛ばし、返す刀で緊急事態に気がつく前のエミリの左手を綺麗に切断して宙に舞わせた。
『次、アレ!』
アリアの演算が、次に崩落するガレキの軌道を完璧に予測する。
カインは着地と同時に、まるで氷の上を滑るようなスライディングで低い姿勢を保ち、ライブラの巨体の股下を潜り抜ける。
「ハレ?」
「あら?」
間抜けな声を上げたライブラとエミリ。
次の瞬間、無数の斬撃の網目に捕らえられた二人のサイボーグの身体は、空中で十数個の破片となってバラバラに分解されていた。
1秒間に47撃。
――ガンガンガンガンガン!!
カインは滑り抜けながら反転し、『ジャッジメント・リヴァイアサン』を全弾叩きつけた。
地面に落下し終えた残骸の重要区画と、基幹メモリ・プレートを狙うと『ベヒーモス』のトリガーを引き絞る。
神速のボルト操作。
――ドゴォォォォン!
ドゴォォォォン!
ドゴォォォォン!
ドゴォォォォン!
天秤座と呼ばれる神と琴座と呼ばれた裏切り者の重要パーツの破片に、20mm徹甲炸裂弾(20mm Anti-Cyborg APHE (Armor Piercing High Explosive)が全弾命中。
安定化ニトロ弾頭により、司令室の壁が吹き飛ぶほどの爆炎が上がり、ゾディアックとその野心は、一片の肉片も残さず完全に消滅した。
「仇は……とったぞ……」
カインは刀を収めると、濛々と立ち込める黒煙を抜け、すぐさま隣接する無事な通信室へと向かった。
同時に、基地の警報を聞きつけたドイツ地区統一国家陸軍の部隊が、非常口から雪崩を打って突入してくる音が聞こえる。
陸軍少佐がカインを見ると敬礼をしてから素早く天秤座の検分を始めた。
カインは慌ただしくなった隙に通信室へと向かう。
カインが暗号通信の回線を開くと、モニターにパッとほのかの顔が映し出された。
その画面の端で、特徴的な頭頂部を持つドクターFが、ほのかにグイグイと画面外へ押しのけられているのが見える。
「カインさん! お疲れ様です! ど……どうですか? エミリさん、UPLの仲間になってくれそうですか!?」
目を輝かせるほのかに対し、カインは淡々と首を振った。
「ダメだな。……どうやら蠍が、我々の『人手不足』を見透かして撒き餌をしたらしい。彼女はアリエスのゾディアック候補だった」
「えっ! マジかよ! 大丈夫なのか?!カイン! オレがこれから加勢に行くぜ! ミリー、準備しろ!」
通信にラズロの焦った声が割り込んでくる。
「はい、相棒。高速輸送機搭乗まで、あと6.28分。急いで行くぜ」
ミリアの淡々とした、しかしどこか無理をしている声が聞こえた。
彼女はラズロとバディを組んで以来、「バディなんだから堅くしゃべるな。柔らかくいこうぜ」と言われた教えを守り、必死にハードボイルドな口調を努力しているのだ。
だが、育ちの良さが隠しきれず、どうにもぎこちない。
「不要だ、ラズロ」
カインは画面越しに制止した。
「罠にはライブラ(天秤座)が出た。だが、既に撃破した。これは公式なゾディアック撃破レポートだ。どうやら奴らは、『ジュリアン中尉』のヘッドハンティングを餌におびき寄せて暗殺しようとしたらしい。……しばらくは、求人活動も控えなきゃいかんな。やれやれだ」
「「「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」」」
択捉の通信室から、全員の悲鳴に近い驚愕の声がハモった。
「どうして? 相棒! 教えやがれ。ライブラって……あのゾディアックですよね!?」
ミリアが不思議な言葉使いで、目を丸くして身を乗り出してくる。
「すごい! すごすぎます! カインさん!」
カールがコンソールをバンバンと叩いて興奮している。
「もう……凄すぎます。私たち……本当にカインさんがいれば、蠍を壊滅できるかも知れませんわ!」
ノエルも両手で口を覆い、感極まった声を上げた。
いつの間にか、カインの背後にマリアンヌが立っていた。
彼女は呆れたような、しかし誇らしげな笑顔を浮かべている。
「本当に驚きよ。あなたが指示した通り、私にはレーザーの射程ギリギリに居ろって言ったけど……まさかライブラの装甲を、全部『雷切』だけで叩き斬るとはね、カイン」
「バカな! カインよ、オヌシ……単独でゾディアックを正面から切り伏せる程の剣の実力を秘めていたと言うのか!?」
ようやく画面に復帰したドクターFが、信じられないものを見る目でカインを凝視した。
「……いや。俺の実力じゃない」
カインは少し目を伏せ、自らの義手を見つめた。
「アリアがな……。電脳空間を通じて、俺の記憶どころか、筋肉の隅々に至るまで『ジュリアン・ヴァルテール』という男の動きと心を、完全にトレースし、配置してくれたんだ。今回の勝利は、俺じゃない。アリアと……ジュリアン中尉のおかげだ」
その言葉の意味を正しく理解したドクターとカールは、「そうか……」と絶句した。
アリアがカインの肉体に中尉の動きを完璧に再現させるためには、彼女が電脳の海に沈む『数十万に及ぶであろう膨大な戦闘データ』を、コンマ数秒の世界で精査し、抽出し、同期させるという、狂気じみた作業を行ったことを意味するからであった。
『えっへん……さすが私よね!カイン』
(ああ……今日は青か?アリア)
『ドイツよ?カイン!何言ってるの!赤よ!一泊してドイツの赤を飲ませなさい』
アリアのアバターは赤いドレスを着ながら赤ワインのアピールを始める。
(やれやれ……一泊はするしか無さそうだ)
ノエル、ほのか、ラズロ、マリアンヌ、そしてミリアの五人は、アリアが電脳にいる事など知る由も無い。
彼らはカインの言葉を「死者に囚われ続けている」として、痛々しく思っていた。
(カインは、未だに……自分の中にいる死んだアリアを、これほどまでに想い続けているのだ)
死んだ恋人の幻影を追い続け、終わりのない復讐の煉獄を血まみれになって歩み続ける、優しく不器用な男。
モニター越しのカインの横顔を見つめながら、ほのかとミリアの胸の奥に、小さく、しかし激しい炎が燃え上がった。
(カインさんを……あの悲しい現世の煉獄から、私が連れ戻してあげたい)
胸の奥で静かに、けれど確かに燃え上がり始めたその熱は、紛れもない『恋心』だった。
死線の果てを生き抜いてきた冷たい鋼の身体のどこに、こんなにも甘く苦しい熱を生み出す機能が残されていたのだろうか。
ミリアは、自身の内側で初めて激しく脈打つ感情に戸惑いながらも、ふと隣へと視線を移した。
そこには、メインモニターに映し出されるカインの横顔を、瞬きすら忘れたように見つめ続ける親友――ほのかの姿があった。
薄暗い司令室の青白い光に照らされた彼女の瞳は、微かな涙で潤みを帯びている。
そして、画面越しの彼へと向けられるその熱い視線には、隠しきれないほどの深く切実な想いが溢れ出していた。
ほのかが以前からカインに惹かれ、その背中をずっと追いかけていることは、親友であるミリアも当然気づいていた……いや聞いていたのだ。
あの時ほのかが、「好きな人がいるの」と言ったのはカインの事だと、ミリアは今気がついた。
普段のミリアであれば、「親友の大切な想い人だから」と、波風を立てないよう静かに一歩引いていたかもしれない。
戦場以外ではどこかマイペースで「不思議ちゃん」と呼ばれる彼女にとって、他者と何かを激しく奪い合うような執着心は、本来縁遠いものだったはずだ。
しかし――親友の想い人であると頭では分かっていながらも、不思議なほどに、自らの芽生えたばかりの想いを「身を引く」という勇気は、今の彼女にはどうしても出そうになかった。
隠してやり過ごすには、この感情はあまりにも純粋で、大きすぎたのだ。
親友と同じ痛みを共有しているからこそ、誤魔化してはいけない。嘘はつきたくない。
ミリアは、ゆっくりとホログラムのフリルが揺れるスカートの裾を握りしめると、覚悟を決めたように小さく息を吸い込んだ。
「……ねぇ、ほのか」
無機質な電子音が微かに響く司令室の片隅で、ミリアは静かに、けれど芯のある声で隣の親友を呼んだ。
「何? ミリー」
ほのかがモニターから名残惜しそうに視線を外し、ミリアへと顔を向ける。
その横顔には、まだカインへの憂いを帯びた熱が色濃く残っていた。
ミリアは、親友のその真っ直ぐな瞳を真正面から見つめ返し、一切の濁りもない言葉を紡いだ。
「私……カインさんの事、好きだから」
突然の宣言に、ほのかの目がわずかに見開かれる。
それは決して、宣戦布告のような棘のある響きではなかった。ただ純粋な、事実の報告。
あなたの大切な人を、私も同じくらい大切に思ってしまった――そんな、不器用な少女の誠実すぎる告白だった。
彼女達の横にいるラズロとコンラートは同じ表情で笑っていた。




