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ベヒーモス  作者: うなぎかご
極北の章
109/120

第109話 暗殺

 極寒の択捉島を飛び立った漆黒の怪鳥、ヴェノム・ワイバーンは、中継地点であるミラノ空軍基地の最奥、指定されたハンガーへと滑り込んだ。

 作戦空域であるミノス島へ向かう前の、給油および機体の再調整。

 彼らに与えられた待機時間は、わずか三時間である。


 機体のハッチが半分だけ開かれ、イタリアの冷たくも心地よい夜風が、火薬とオイルの匂いが染み付いた機内に流れ込んでくる。

 遠くを見渡せば、ファッションと芸術の都・ミラノの街並みが、白とオレンジ色の温かな光の海となって地平の先まで広がっていた。

 厳格な景観保全によって眩い光が排されたその街は、中世から続く夜の静寂を今も色濃く残している。

 徹底した環境保全された街並みを見ると、数百年前にタイムスリップしたかのような錯覚に陥るのだ。

 うっすらと立ち込める夜霧の向こうには、歴史ある石造りの建築群や、天を突くドゥオーモの壮麗な尖塔が幻想的に浮かび上がっていた。

 平和で、甘美で、UPLの戦士たちが身を置く血みどろの世界とはひどく遠い……美しい夜景だった。


 出撃前の程良い緊張感の中、ラズロとコンラートは無駄な体力消費を抑えるため、硬いシートに深く身を沈めて浅い仮眠を取っていた。

 一方、ランとマリアンヌは、長時間のフライトで強張ったサイボーグの身体をほぐすように、機内の僅かなスペースでゆっくりとストレッチを行っている。


 そんな張り詰めた空気の中、コト、と上品な陶器の音が響いた。

 見れば、ミリアがどこから持ち出したのか、年季の入った豪奢な携帯式のティーセットを展開し、小さな携帯バーナーで器用に紅茶を淹れ始めているではないか。

 小さく折り畳めるそれは、知識がない者でも高価なものだというのは分かる。

 漆黒のステルス特殊作戦輸送戦闘ヘリの中。

 これから神殺しに向かうというのに、フリルたっぷりのゴシックロリータ服を着た銀髪の少女が、優雅にダージリンの香りを漂わせている。

 しかしながら、その眼光は誰よりも鋭かった。

 そのシュールすぎる光景は、戦場の常識を悉く破壊していた。


「ねえ、マリアンヌ……」

 ティーカップにお湯を注ぐミリアとは隔壁を隔てた……操縦席の隣にある砲手火器管制席にもたれながら座っていたランがふと、夜景から視線を外さずに口を開いた。

 

「ラズロと、式は挙げるの?」

「そうね」

 マリアンヌは長い赤髪をかきあげ、穏やかな、しかしどこか寂しげな微笑を浮かべた。

「出来れば、UPLの皆が来てくれればいいんだけど……私たちの仕事柄、そうもいかないしね。もう少しこの戦いが落ち着いてから、教会の片隅で、二人だけで静かに挙げようかと思ってるの」

「……いいわね。本当に」

 ランが呟く。

 スリットの入った黒いチャイナドレスの裾が、ミラノの夜風に揺れた。

 22:00のミラノの夜景は、彼女の瞳にどう映っているのだろうか。

「私は……どうしようかな……」


 その言葉の響きに、マリアンヌがピクリと反応した。

「……ラン? ま、まさか……あなた、プロポーズされているの?」

「されてるわ」

 ランは、まるで「今日の天気は晴れね」とでも言うように、事もなげに言い放った。

「えええっ!? ど、どうするのよ!?」

 驚きのあまり声を張り上げたマリアンヌに、ランはやれやれと首を振る。

「どうするも何も……あの男とバディになってから、もう三十回くらいプロポーズされているのよ」

「ああ……コンラートだわ。間違いなくコンラートね」

 マリアンヌは深く納得し、呆れたようにため息をついた。


「正直ね……」

 ランは美しい脚を優雅に組み替えながら、ミラノの街灯りを見つめ、珍しく思い悩むような声音で呟いた。

「あの言葉が真面目なプロポーズなら、受けようと思ってるの。……でも、本気かどうか分からないのよ。いつも冗談めかして、おどけてばかりだから」

「ああ……コンラートだからね。あんな調子じゃ、浮気も心配かもね……」

「ふふっ、それは心配してないわ」

 ランの口元に、自信に満ちた妖艶な笑みが浮かぶ。

「きっと、私がプロポーズを受けたら、あいつは絶対に浮気なんてしない……そんな気はするの。まあ、万が一浮気なんてしたら、私が単チタンのアクチュエーターでその頭を蹴り飛ばしてやるけどね……やり過ぎて取れちゃったりして」

 物騒なノロケ話に、二人のサイボーグ女子は「違いないわね」と声を潜めてクスクスと笑い合った。


 操縦席とキャビンのトループ・シート。

 その間を仕切る強固な防音隔壁を信用しきって、二人の女の口調はすっかり緩みきっていた。

 だが、彼女らは致命的な事実を失念している。


 今は機内の換気のため、ヴェノムの搭乗ハッチからバルクヘッドの小窓ハッチに至るまで、あらゆる場所が開放状態にあるのだ。

 サイボーグの優れた聴覚を持つ彼らの耳に、その不用意な軽口が筒抜けにならないはずがなかった。


 仮眠を取っていると思われていた男たちは、少し離れたシートでその会話をバッチリ聞いていた。

 ラズロが、隣で狸寝入りを決め込んでいるコンラートの脇腹を、ケルベロス・ゲートキーパーのストックで突っつく。


「……おい、聞いたか。脈が無いどころか、脈しかねぇじゃねえか。さっさと結婚しろ、コンラート」

「……痛いな。でもね、ラズロ。俺はいつだって大真面目にプロポーズしているんだよ……? これ以上、一体どうやってプロポーズすればいいって言うんだい。愛の言葉と共に、指輪だって三十回ずっと捧げ続けているのに……」

 コンラートが頭を抱えてボヤく。

「お前、日頃の行いが軽薄すぎるから、ふざけてると思われてるんだぞ? 一度くらい、死ぬ気で真面目に言ったらどうだ?」

「だから! 僕は毎回、本気で、真面目なんだよ! でもランにはこの俺の純情が……」


「おふざけが過ぎるからではありませんか?」

 不意に、背後から冷ややかな声が降ってきた。

 いつの間にかティーカップを持ったミリアが、不思議そうな顔で彼らを見下ろしていた。

「うわっ、ミリアちゃん……。驚かせないでくれよ……」

「分かるぜ、ミリア」

 ラズロはコンラートの肩をポンと叩き、少しだけ声を落とした。

「ここはUPLだ。明日の命も分からない戦場だ。ここにいる全員が、それぞれ大事な人を理不尽に失ってる。コンラートはなぁ……不器用なんだよ。ランが昔の悲しみに引き摺られないように、あえてピエロを演じてるんだぜ」

「おいおい、余計なこと言わないでくれ、ラズロ。……まあ、そうだな……間違っちゃいないさ」

 コンラートは自嘲気味に笑い、ミリアに向かってウインクをした。

「というわけだ。僕の純情の裏側は、ランには秘密にしておいてくれよ、ミリア」


「……なるほど」

 ミリアは紅茶の香りを嗅ぎながら、真顔で一つ頷いた。

「じゃあ、私が『電脳秘匿通信』で、ランさんに『コンラートさんが真面目にあなたの事を好きだと言っています』って、直接伝えるのはどうでしょう? それなら誤解も解けますよね」


「「え?」」

 コンラートとラズロの動きが、完全にフリーズした。

 二人の脳裏に、ほのかが以前言っていた言葉がフラッシュバックする。

『ミリーはね、とっても真面目で、冗談が通じないくらい不器用だから気をつけてね』

(――そういう事かッ!!)


 二人の男がミリアの「善意100%の行動」の恐ろしさに気付いた刹那、すでに事態は手遅れだった。

 共有されていた電脳通信の帯域に、地獄の底から響くようなランの冷たい声が、コンラートの脳髄に直接突き刺さった。

『……コンラート。あなた、ミリアに何を吹き込んだのかしら? ちょっとこっちに来なさい……すぐ、よ』

「あ、いや、ラン! これは誤解で……ラズロが……!」

 助けを求めるコンラートから、ラズロはさっと目を逸らした。

 男たちの絶望的なため息は、紅茶の甘い香りとともに、ミラノの夜風の中へ虚しく吸い込まれていった。


 午前2時58分。

 ミラノでの和やかな時間は遠い過去となり、ヴェノム・ワイバーンは分厚い雲を抜け、地中海に浮かぶミノス島上空へと到達していた。

 眼下に見えるのは、断崖絶壁に建つ巨大な医療療養施設――サン・マリエール・エレクトロ・サナトリウム。

 機内の照明は赤色灯へと切り替わり、エージェントたちの顔から一切の感情が消え去る。


「降下前10秒!」

 操縦席のマリアンヌが、オペレーション・システム越しに鋭く叫ぶ。

「時速300キロでターゲット上空を通過するわ。風速15、修正完了。ハッチ解放……5、4、3……今ッ!」


 ガガァン!!

 轟音。

 ヴェノム・ワイバーンの底面部、サイボーグ専用の強化降下ハッチが一気に解放される。

 マイナス数十度の暴風が機内を荒れ狂う中、四つの影が重力を味方につけ、暗闇の虚空へと身を投げ出した。

 パラシュートなどの降下具は一切ない。

 時速300キロの慣性を乗せたまま、コンラートとランはサナトリウムの最上階屋上へと、隕石のように音もなく突き刺さった。

 単結晶チタンの足裏が、特殊な衝撃吸収機構を作動させ、一切の破壊音を殺す。

 冷却ガスが静かに足元から噴き出していた。

 同時に、ラズロとミリアは、建物の垂直な壁面へと両手両足を突き立て、巨大な蜘蛛のように張り付いた。

 海から吹き付ける荒々しい突風が、垂直の壁面にへばりつく彼らを壁から引き剥がそうと容赦なく打ち据える。

 しかし、彼らの強化フレームはビクともしない。

 問題なのは、ミリアが身に纏っている絶望的に愛らしい「戦闘服」の方だった。

 黒のゴシックドレスと、何層にも重なったホログラムのフリルスカートが強風をたっぷりと孕み、まるで暴れ狂う黒い花びらのようにバサバサと激しい音を立ててはためいている。

 スニーキング(隠密作戦)の常識を悉く無視したその圧倒的な『フリル・インパクト』は、並の人間であれば風圧でバランスを崩しかねないほどの抵抗を生んでいたが、ミリアは顔色一つ変えず、氷点下の殺意を湛えた瞳で目前の強化ガラスを睨み据えていた。


『配置完了』

『こちらトップ、配置完了』

 電脳での通信が近距離秘匿通信に切り替わり、同期が完了する。

 これより先、彼らは一切の音声を発しない。


 屋上のランは、現地エージェントにより最上階特別室のロックが解除されているのを確認し、視線の端でコンラートに合図を送る。

(カウント、30……マーク)

 コンラートとラン、そして壁面のラズロとミリアの電脳クロックが、1000分の1秒の狂いもなく同期する。

 ゼロ。

 四人が、同時に動いた。


 ランの恐るべき回し蹴りが、複合チタン合金製の分厚い扉を蝶番ごと消し飛ばし、室内へと跳ね上げる。

 全くの同時刻。

 外壁側の防弾・防爆強化ガラスが、ラズロの左手――『魔王の腕』の最大出力による薙ぎ払いを受け、一切の音を立てる暇もなく、分子レベルで還元されてサラサラの砂のように崩れ落ちた。


 突入。

 相手は人間ではない。

 この世の理から外れた作られた神、ゾディアックだ。

 コンマ数秒の遅れが全滅を意味するこの極限状況において、彼らにとって最も時間を要する作業は「対象のスキャンと確定」であった。


 窓から滑り込み、一番ベッドに近い位置についたラズロが、サイバー・アイ(義眼)の全出力を解放して即座にスキャニングを開始する。

 広大な特別室の奥。

 天蓋付きの豪奢なベッドには、一人の女がいた。

 若くて、愛らしくて、世界中が熱狂するトップアイドルの顔。

 だが、その両手首からは、あの忌まわしい漆黒の砲口――36mm多段階加速式・反物質砲『イシュタル・ゲート』が、生々しく剥き出しになっていた。

 療養中につき、それを隠すための生体偽装パーツすら取り付けられていない。


 侵入者を感知し、サジタリアスの戦闘AIが瞬時に起動しかけた、その時だった。

「……え? え? か、かわいい……?」

 サジタリアスは、目を見開いて硬直した。

 無理もない。

 音もなく窓を粉砕して突入してきたのは、屈強な暗殺部隊などではなく、何層にもホログラムのフリルを揺らした「ゴシックロリータ服の不思議な少女」だったのだから。

 その流れるような背中までの銀髪と切長の目は、生きている人というより神話の神々のように美しかった。

 ミリアのそのあまりにも強烈で、戦場に不釣り合いなビジュアル――『フリル・インパクト』が、絶対的な処理能力を誇るはずのサジタリアスのAIに、致命的なバグ(可愛いものに目を奪われる)を引き起こしたのだ。


 その0.数秒の隙が、神の命運を決した。


『スキャン完了。対象、サジタリアスと断定。USCIB処刑執行許可、承認』

 ラズロの網膜に緑色の文字が踊る。

 そして、その文字列の横には、カールが個人的に付与したであろう、法的には全く意味のない、だが彼らにとって最も重要な一文が付随していた。

『――メイシーを殺した犯人』


 サジタリアス。

 表の顔は世界的アイドルユニット『AQZ』のリーダー、アリシア・レオンハルト。

 彼女は世の栄華を極め、その傲慢さのままにゾディアックとなった女だ。

 彼女には、修羅の道を歩んできた警察官や軍人のような、泥臭い危機管理思考など皆無であった。

 神の力に驕りきっていた彼女は、自らの不用意な隙が何を招くかを知らなかった。


 0.002秒。

 コンラートのエネルギー体マチェット『マルドゥーク』の凶刃が閃き、サジタリアスの細い首を無慈悲に刎ね飛ばし、ピンク色のサイドテールの髪が跳ねる。

 0.035秒。

 首を失い、それでも反物質砲を放とうと痙攣する胴体へ、ランのアクチュエーター全開の踵落としが突き刺さり、その特殊強化脊椎を粉々に蹴り折る。

 そして、0.12秒。

 空中に跳ね飛んだアイドルの美しい頭部を、ミリアが完璧な射撃姿勢で捉えていた。

 彼女の手には、HSA-2487-Ac『シャイニング・ファルコン』。


『……ほのか。これは、最新型の超短式電磁加速(EMアセラレイション)モデルよ。従来の発火式とは、トリガーフィールも排熱プロトコルも全く別物。……正直、初めての機構だから迷っているの。信頼性が未知数だわ』


 あの日の、ハワイのガンショップでの記憶。親友との平和な思い出が、ミリアの脳裏を駆け巡る。


『えー? だって横のスリットが可愛いよ。それでいいんじゃない? ほら、ミリアの銀髪と、この白熱しそうな銀色のスライド、絶対セットで格好いいって!』


 ミリアは、引き金を引いた。

 十五発のACHR(対サイボーグ重量弾)を飲み込むその銃は、ただ弾を撃ち出すだけの兵器ではない。

 重力制御を施されたサイボーグのセラミック化単チタンリブ装甲すら、電磁リアクティブ・アーマーごと正面からぶち抜く、狂気の産物である。

 圧倒的な癖の強い反動と引き換えに手に入れた、純粋な破壊。


 ガァン!ガァン!ガァン!ガァン!ガァン!

 シャイニング・ファルコンの銃口から、雷鳴のごとき轟音が連続して叩き出される。

 スライド側面の排熱スリットから猛烈な勢いで噴き出した白熱の電磁フレアが、闇に閉ざされた室内を切り裂き、ミリアの氷のように冷たい横顔を白銀の光で照らし出した。

 

 生身の人間なら腕の骨が砕け散るほどの強烈なリコイルを、ミリアはソドム・タクティクス社製DH-453G――射撃特化型セラミック・タングステン複合ダンパー腕部パーツの剛性で完全にコントロールし、ターゲットをサイトの中央に捉え続けている。


 銃身内でEMアセラレイション(超短式電磁加速)を受けた十五発のACHR(対サイボーグ重量弾)が瞬きする間もなくサジタリアスの頭部へフル・バースト(全弾集中着弾)した。

 神の頭蓋は、悲鳴を上げる間もなく、高層ビルから落ちたスイカのように無惨に四散し、室内の壁を赤黒く染め上げた。


 ガキン、と硬質な音を立てて、全弾撃ち尽くした銃のスライドが後方でホールドオープンされる。

 ミリアは冷徹な眼差しのまま銃口を下げると、硝煙を上げる愛銃を、腰のホログラム・フリルの下へと滑らせた。

 まるで舞踏の終わりのような流麗な手さばきで、光の鷹はフリルで見えない位置のタクティカル・ホルスターへと見事に収められた。


 静寂が、血の匂いと共に降りてくる。

 赤い霧のようなオイル混じりのクーラント(人工体液)が室内を満たしていた。

 作戦終了。

 ラズロはすかさず自身のUPL-IDを展開し、地元当局のネットワークへと通達。

 『陸軍参謀本部直轄特殊部隊』という仮の権限を使い、ゾディアック撃破の緊急報告を打診した。


「ずらかるぜ」

 四人は粉砕した窓から外の暗闇へと飛び出した。

 最後に、ラズロの視界の端に入った神の遺体は痙攣すらしていない。

 重力を無視したサイボーグの挙動でビルの外壁を一気に駆け上がり、屋上へ到達する。

 

 そこへタイミングを完璧に合わせて降下してきたヴェノム・ワイバーンの開かれたハッチへと、四人は2mの跳躍で次々に飛び乗った。


 轟音と共にヴェノムが急上昇し、高度を取る。

 眼下では、ラズロの通達を受けた地元警察のパトカーが、けたたましいサイレンを鳴らしながら、すでにサナトリウムを幾重にも囲み始めていた。

 UPLの存在を秘匿するため、明日の朝には「地元警察の特殊部隊が、テロリスト・赤い蠍のゾディアックを激しい銃撃戦の末に射殺した」という、美しい嘘で飾られたニュースが、世界中で踊ることになるはずであった。


 夜明け前の冷たい地中海の空へ、黒い怪鳥は静かに溶け込んでいった。

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