後日談2.二人の客
ある日の午後、ドアベルがチリンチリンと音を立てた。
「いらっしゃい………あら?」
扉の隙間から覗き込んでいたのは、十歳にならないくらいの少年だった。
髪はボサボサで袖が擦り切れくたびれたシャツを着ており、保護者が付き添っている様子もない。
「君、ひとり?」
クロエが訊くと、少年は赤みが差し緊張した顔でこくんと頷いた。
「ここは、薬屋?」
「そうよ。薬屋。あなたが患者さん?」
少年は、今度は首を振って顔を顰めた。
「違う。母さんが、具合悪いんだ。でも高い薬は買えなくて………。ここは値段も高くなくて良く効く薬を出してくれるって聞いたんだ。だから………」
それを聞いたクロエは眉を下げた。
「あのね、ここで処方する薬は、店から持ち出すことができないの。飲むことができるのは、直接ここへ来た人だけ。あなたのお母さんがここへ来てくれたら、病状に合った薬を処方することができるわ」
「そんな! そんなの無理だ! ここまで母さんが歩いてくるなんてできないよ! どうしても薬が必要なのに、このままじゃ………!」
叫んでクロエに詰め寄ろうとした少年とクロエの間に、ルーウェンが無言で割って入った。
容赦のない鋭い視線に気押され、少年が後退る。
クロエはルーウェンの過剰とも思える過保護ぶりに思わず苦笑を浮かべたが、少年に向けてはっきりとした口調で言った。
「ごめんなさい。それがこの店のルールなの。扉にかかった看板に書いてあったでしょう?」
「……オレ……字は、読めない………」
くやしそうに顔を歪ませた少年は、急にふらりと足をもつれさせた。
「⁈ おい、どうした」
「うう………」
咄嗟にルーウェンが腕をつかんで支えたが、足に力が入らない様子だ。顔や首筋が赤く、呼吸も浅い。
「………軽い熱中症みたいね」
診察をしたクロエはルーウェンに少年を任せると、いつものように店の奥にある『調合室』に入った。
冷たく澄んだ水に、熱中症を癒すための神聖力を溶かし込む。
急いで戻り作ったばかりの『薬』を少年に飲ませると、症状はすぐに落ち着いた。
「母さん待ってるから早く戻らなきゃ……。お水、ありがと。薬屋のお姉さん」
少年は母親の治療が叶わないことを理解すると、消沈した様子で店を出ていった。
閉ざされた扉を無言で見つめるクロエに、ルーウェンが言葉をかける。
「貴女は何も間違ってない」
「うん………わかってる」
目に映るすべてを救えるなどと考えるのは傲慢だ。
クロエは神ではないし、神のように生きたいと望んだこともない。
この店の『ルール』は、薬屋を始めると決めたときにルーウェンと話し合って決めた、クロエ自身の身を守るために必要な決まり事だ。
軽はずみな同情心で破れば、いずれ自分の首を絞めることになる。
とはいえ、苦境にある者を跳ね除けてなにも感じずにいられるほど鈍くもなれず、こんな時はつい揺らいでしまう。
「……ルーくん?」
「ちょっと出かけてくる」
頭にポンと手を置かれて振り返ると、ルーウェンは簡単に身支度を整え、あっという間に店を出ていった。
彼の意図に気づき、クロエは少し眉を下げ微笑んだ。
(ありがとう………優しいね)
彼は決して博愛主義ではない。
その優しさがどこに向けられたものか、クロエはちゃんと理解している。
判断に迷うとき。苦しいと感じるとき。
彼は必ず手を差し伸べ、掬い上げてくれる。
もうルーウェンがいない日常が想像できないくらい、クロエにとって大切なひとだ。
けれど、逆はどうだろうか。
クロエは聖女でありながら大罪人の汚名を着せられ、既に一度死んだ人間で、他人の身体を使って蘇り、聖女ではなくなった今も規格外の神聖力を持っている。
尋常ではない面倒事ばかりだ。
何の罪もない彼に普通の生き方を取り戻すため、いつかは彼の手を離すべきだという思いがクロエにはある。
しかしそれでも、その『いつか』がずっと遠ければいいと、つい願ってしまうのだ。
******
外出したルーウェンは、思いの外長い時間戻って来なかった。
クロエがそろそろ店を閉めようとしたとき、ガラランとドアベルが鳴った。
夕闇の中訪れたのは、お仕着せをきっちり着込んだどこかのお屋敷の従者風の男性で、彼は丁寧な仕草で頭を下げた。
「私、クーベル領のご領主であられるセルゾ様にお仕えする者でございます。我が主が、薬師クロエ殿を屋敷へお招きしたいと申しております。是非とも応じていただくようにと言付かって参りました」
断られるとは微塵も考えていない口調で、従者はにっこりと笑いかける。
しかし以前の領主の手紙に対してクロエが明確な返答をせず放置していることは、先方も承知しているはずだ。
クロエはあまり表情を変えず、頬に手を置き細い首を傾げた。
「看板にあるようにうちは往診をお断りしてますし、領主様ほどの方なら腕の良い専属の医師がいらっしゃるはずでしょう? わたしのような若輩の薬師を招かれる必要なんてないと思いますけど」
「いえ……治療ではなく、晩餐会へのご招待なのでございます」
「それなら猶更です。面識のない方のご招待を受ける理由もないですし………謹んでご辞退させていただくと、失礼のないようにお伝えくださいね。それでは」
従者の塗り固められたような笑顔に厄介事の気配を感じたクロエは、早めに会話を切り上げ扉を閉じようとした。
「いやそれは! しばしお待ちを! これは大変名誉なことなのですよ⁈ 領主様が目をかけたとなれば貴女にとって悪い話では……」
「名誉のために薬屋をやっているわけではないので。お引き取りくださいな」
「なんと無礼な! 平民の薬屋風情がどういうつもりで………」
「何をしている?」
取りつく島のないクロエの態度に腹を立て憤慨した従者の後ろから、突然ルーウェンが現れた。
「最近出没しているという不埒者か? それなら憲兵に付き出すが」
「んな⁈」
「ううん、領主様のところの方ですって。もうお帰りいただくところだから大丈夫よ」
「そうか」
ルーウェンが冷たい眼差しをひたりと従者に向ける。
それだけで従者は震えあがり、そそくさと逃げるように店を後にした。
「すまない遅くなって。嫌な思いをさせた」
ルーウェンが苦い表情をする。店を長時間空けたことに責任を感じているのだろう。
(あなたのせいなんかじゃないのに)
だからクロエはちゃんと彼の顔を真っ直ぐ見る。
「危ないことなんて何もなかったよ? それに、いざとなれば何とでもなるって知ってるでしょう。なんたって、わたしはコワ~イ魔女なんだから」
クロエは両手で爪を尖らせるようなポーズをしてにやりと口角を上げた。
その仕草が怖い魔女というよりはイタズラ好きの仔猫のようだったためか、ルーウェンが硬い表情を崩して笑う。
「とはいえ……そろそろかなあ? んー、………前回よりも薬の効き目は抑えてたんだけどね」
「それでも確実に効くからな。それを知ってしまえば次回もと患者が思うのは当然だろう。………準備は進めておく」
ルーウェンが一段声を低くした。クロエも表情を正してしっかり頷く。
「ありがとう。お願いね。それで、そっちはどうだったの?」
「ああ。悪かったな、思いの外時間がかかった。食事の準備をしながら話そう」
そしてルーウェンは見てきた一部始終をクロエに話して聞かせた。




