後日談1.魔女の薬屋さん
市場の並ぶ大通りから少し奥まった目立たない場所に、開業して半年ほど経つ小さな薬屋があった。
木製の扉には小さなドアベルが付いた金属製の看板が掲げられている。そこには店名が書いていない代わりに、奇妙な注意書きが記されていた。
『当店のルール:処方された薬は店内ですべて飲み切ってください。薬の店外持ち出し、往診はお断りしています』
薬屋の店主クロエが患者を送り出すために扉を押し開くと、ドアベルがチリンチリンと軽やかな音を立てた。
治療を終えた患者は来店時の悲壮な表情とは真逆で、憂いの晴れた満面の笑みを浮かべている。
「ありがとうな、クロエさん」
「はい。お大事にしてくださいね」
「やれやれ、庭の手入れしてて腰をやっちまったときはどうしようかと思ったが。これで明日の仕事を休まずに済みそうだ。助かったよ」
「まだ完治はしてないから、無理はだめよ?」
「ハハ、わかってるさ。じゃあ失礼するよ」
クロエはひらひらと手を振って患者を見送ったあと、扉の看板を裏返した。
そこには『昼休憩中。しばらくお待ちください』と書かれている。
「これでよし」と呟くと、クロエ大きくひとつ伸びをして店の中へ戻った。
少し前から店の中にまで良い匂いが漂ってきていて、仕事中のクロエの食欲をいたずらに刺激していた。
不機嫌そうな音を鳴らすお腹を宥めながら居住スペースまで移動し、黒髪の頭を傾げてひょいとキッチンを覗き込む。
「ルーくん、わたしお腹空いちゃった」
「ああ、ちょうど用意できたところだ。昼食にしよう」
準備の手を止めずクロエを見た柘榴色の瞳が、穏やかに細められる。
テーブルにはルーウェンお手製のチキンスープとミモザサラダ、そして市場で買ってきた焼きたてのパンが並んでいた。
クロエは早速手を洗い、テーブルに着く。
食事の用意はいつの間にかルーウェンの担当となってしまっていた。
クロエはといえば、簡単な下ごしらえや食器洗いを手伝うくらいだ。
生活を共にするようになった当初はふたりとも料理経験のない似たもの同士だったのだが、横並びだったのは最初だけで、ルーウェンは瞬く間に簡単な家庭料理をいくつか覚えた後日々研鑽を積み、今となっては確実に素人の域を超え始めている。
ちなみにクロエはどうにも火加減が怪しくて、迂闊にひとりで作ろうとすると焦げたものや生焼けのものを生産しがちだった。
単に不器用とも言う。
「あ、このスープいつもと味が違うね?」
「市場で南部の香辛料を見つけたから試してみたんだ。 ………どうだ?」
「ピリ辛ですごくおいしいよ! ルーくん、もう料理で身が立てられそうじゃない? レストランとか、どこかのお屋敷の専属料理人とか」
「べつにそういうつもりで料理してるわけじゃない」
「はー、おいしくてついつい食べ過ぎるから、最近お腹におにくがつき始めちゃってどうしよう……」
「クロエはそもそも痩せすぎだ。体力をつけるためにもう少し太ったほうがいい」
ルーウェンはそっけない口調だが、ほのかに口角が上がっている。
初めて試した味付けの評価が良かったことに満更でもない様子だ。
『聖女クロエ』が冤罪によって処刑されてから、一年ほどの月日が経っていた。
教会がクロエを犠牲にしてまでお膳立てした王太子とジュスティーヌだったが、二人が挙式したという話は一向に聞こえてこない。とはいえ、もうあの国に特別な関心はないので、詳しい理由は知らないままだ。
クロエとルーウェンは生国を見限って西の国境を越えた後、いくつかの土地を転々とした。今はこのクーベル領に拠点を置き、クロエが小さな薬屋を開いて半年ほどになる。
ルーウェンはクロエを手伝いながら、店が忙しくない時は街道沿いに出る害獣の駆除や商人の臨時護衛などの割の良い日雇い仕事を引き受けていた。
それなりに危険な仕事のはすだが、当人はけろりとして怪我もなく帰って来るので、やはり彼はかなり腕が立つのだろう。
薬屋は表立った宣伝はしないので開店当初こそ閑古鳥が鳴いていたが、利用者たちの評判が口伝えに広がり、今はなかなかの忙しさだ。
最近は患者を取られたと怒鳴り込んでくる医者や、特別な成分を調べようと患者を装ってコッソリ薬を持ち帰ろうとする同業者が現れるようになって、少し困っている。
クロエの薬の秘密は、彼らが考えるよりずっと面倒なものだ。
患者の症状に合わせて数種類のハーブをブレンドし、それらしい香りづけをするものの、それはあくまでも演出に過ぎない。
真の効能は、薬水に溶かし込まれたクロエの神聖力にあるのだから。
この薬は神聖力を他人に分け与えることができるクロエの特殊能力を応用したもので、かつてと同じように保存が効かず、持ち帰ってもしばらくすれば効果が消えてしまう。
そして、『薬』を作り出す際に神聖力を使うところを他人に見られないように。
また、薬を分析し秘密を暴こうとする者から真実を隠し通せるように。
それらを考えた末に生まれたものこそが、表の看板に掲げられている『ルール』だった。
「そういえば、これ来てたぞ」
ルーウェンがクロエに一通の手紙を差し出す。
厚みのある上質な封筒だ。裏返してみても差出人の名はなかったが、凝った意匠の封蠟がされているのを見てクロエは少し眉を寄せた。
ペーパーナイフで封を切り内容に目を通す間、ルーウェンは口を挟まない。
最後まで読んでほぼ思った通りの内容だと確認すると、クロエはため息を零し天井を仰いだ。
「どこからだ?」
「クーベルの領主様。長々書いてあるけど、要は『評判の薬師を屋敷に招きたい』って」
「………そうか」
それを聞いたルーウェンは特に表情を変えず短い返事をし、スープを口に運んだだけだった。
本編へのブックマーク、リアクション、お星様をありがとうございました!
新たな二人の物語がお楽しみいただけますように。




