第48話
そこに立っていたのは母だった。
ドレスを纏い、髪を高く結い上げた姿はいつも通り気品に満ちている。
だが普段見せない緊張が宿っていた。
兄弟姉妹は呼ばれていない。
父の不在時、この屋敷の当主代理は母だが、今日の客は明らかに「家族」ではなく「政治」を持ち込んでいる。
母に続いて室内へ入ると、広い応接間の中央に設けられた長テーブルを挟んで、二人の人物がすでに座っていた。
第一皇子アレクサンダー・フォン・ヴァルドリア。
普段の明るい笑顔は影を潜め、軍服の上に皇族のマントを羽織った姿は、即位を控えた皇帝のように厳粛だった。
そしてその隣──コンラート・フォン・ローエンハイム宰相。
黒を基調とした重厚な礼装に身を包み、灰色の髪を後ろに撫でつけた顔立ちは、
まるで彫刻のように無表情。
鋭い灰色の瞳が、ラインハルトを値踏みするように見据えていた。
ラインハルトと母は席に着いた。
宰相が口を開いた。
「エーゼルヴァルト卿夫人、そしてラインハルト・フォン・エーゼルヴァルト殿。本日は第一皇子殿下より、重要な御話がございます」
声は低く、抑揚を排した厳格な響き。
法廷で宣告する判事のように、一切の無駄がない。
母とラインハルトは同時に立ち上がり、帝国貴族の正式な礼を取った。
右手を胸に当て、深く腰を折る。
母の動きは優雅で完璧。
ラインハルトも体の記憶に従い、滞りなく礼を返す。
アレックスが、手を上げた。
「楽にせよ」
その声も、普段の明るさは一切ない。
低く、落ち着いた、しかし確かな威厳を帯びた響きだった。
母とラインハルトは再び席に着く。
宰相は無言でアレクサンダーに注目した。
アレクサンダーが口を開いた。
「ゲオルクが死んだ」
ラインハルトは息を呑んだ。
「……!?」
アレクサンダーは目を伏せ、言葉を続けた。
「いや……正確にはそう言われている。おそらく……」
宰相が割って入る。
「皇子、それは私からの方がよいかと」
アレクサンダーは頷いた。
「……そうだな。よろしく頼む」
宰相は姿勢を正し、抑揚を排した声で告げた。
「ゲオルクは先の決闘の後、ラインハルト・フォン・エーゼルヴァルト並びに神聖ヴァルドリア帝国第一皇子アレクサンダー・フォン・ヴァルドリア様の暗殺未遂の容疑がかかっていた」
ラインハルトの脳裏にあの事件がよみがえる。
街の運河沿いで、突然飛来した氷の針。
アレクサンダーが穏やかに言った。
「非公式の場だ。自由に発言してくれて構わない」
ラインハルトは軽く頭を下げ、口を開く。
「それは二人で出かけた時の事件の話でしょうか?」
「その通りだ」
宰相が補足する。
「アレクサンダー様を狙った魔法の残滓からシュタウフェン家の魔法構築式が確認された。その後帝国の監視下に置いていたところ、ゲオルク・フォン・シュタウフェンの血痕のみを残し、シュタウフェン家の庭師に至るまで姿を消した」
ラインハルトは静かに肺の澱を払った。
「……だから死んだと。……今日はそれを?」
アレクサンダーが首を振る。
「いや……それがだな」
宰相が重々しく言った。
「この事件の犯人がラインハルト・フォン・エーゼルヴァルト。あなたが容疑者に上がっています」
ラインハルトは目を見開いた。
「……はぁ!?」
応接間に短い息苦しさが訪れた。
母が鋭くラインハルトを睨んだ。
ラインハルトは慌てて姿勢を正す。
「……あ、いえ失礼いたしました」
アレックスが苦笑を浮かべた。
「驚くのも無理はない。もちろん私はそうだとは思っていない。コイツもな」
そう言って親指で宰相を差す。
ラインハルトは意外そうに目を向けた。
「宰相様が……ですか?」
宰相は無表情のまま答えた。
「徹底して魔力痕跡は分析しています。それに……」
アレックスが割り込んだ。
「こんなこと言っているが、お前の父親が前線で戦っている間のこの家でのトラブルは全部俺が面倒みるとか言ってんだぜ宰相」
宰相の眉が動いた。
「ちょっと殿下!」
アレックスはいつもの調子に戻る。
「あーもー、かたっくるしいのはやめだやめ。単刀直入に言うがヴィオレット嬢を中心にお前を取り巻く環境ってのは思ったより拗れていてな。少なくともこの国を動かす過半数を握ったことになっている俺も蚊帳の外じゃない。弟の派閥も一枚岩じゃないようだしな」
ラインハルトは静かに表情を引き締めた。
「……そうか。それで僕に何をして欲しいんだ?」
アレックスはまっすぐラインハルトを見つめ、はっきりと言った。
「騎士団に入る気はないか?」
「……騎士団って?」
「魔法の実力は申し分ない。だが今後護衛を任すにあたって剣術も学ぶ必要が出てくる。英知の四人のセレナが味方に付いてくれたことも大きくてな。魔力感知ができる彼女がいる以上、それ以外のものがお前には求められるってわけだ」
ラインハルトは嘲るように口元に余裕を漂わせた。
「それに監視もだな」
アレックスが苦笑交じりに頷く。
「そうだ。騎士団に入ることで騎士団からも帝国からも監視されることになる。学院生活は普通にできるだろう。日常生活に関しては……事件が解決するまでは……」
ラインハルトは首を振った。
「殿下は優しいな。狙われている以上、ヴィオレットを無駄に連れまわすわけにもいかない。気を使わなくていいさ」
アレックスは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「そう言ってくれるな。俺はお前たちにも幸せになってもらいたいんだ」
その時、宰相が咳払いをした。
「お二人ともそろそろよろしいですかな?」
アレックスが立ち上がり、懐から小さな徽章を取り出した。
金色の獅子が刻まれた帝国章だった。
「ってことで騎士団に入るにあたってこれを渡しに来た」
そう言って、ラインハルトに正式に手渡した。
ラインハルトはそれを受け取りながら眉を上げた。
「これは?」
宰相が言った。
「それを持って明日の朝、王城まで来なさい。騎士団見習の入団試験を行います」
ラインハルトは目を丸くした。
「分かりました。……明日の朝!?」
アレックスが笑う。
「ま、お前なら何とかすんだろ?」
宰相は立ち上がり、頭を下げた。
「では参りましょう」
アレックスと宰相は並んで部屋を出ようとする。
母が立ち上がり、宰相に向かって深く頭を下げた。
宰相は足を止め、表情を緩めた。
そして執事に連れられて、二人は応接間を出て行った。
廊下の遠くから、アレックスの声が聞こえてきた。
「素直じゃねーなー」
侍女がそっと扉を閉め、部屋に再び物音が消えた。
ラインハルトは静かに言葉を紡いだ。
「騎士団……か」
母は優しい表情を浮かべて、息子の隣に腰を下ろした。
「騎士団はお父様を慕うものも多いはずです」
ラインハルトは笑った。
「めちゃくちゃ気を使われていますね」
母は、銀色の髪を軽くかき上げる。
「彼はそういう人なのです。本当に」
窓から差し込む陽光が、帝国章の金色を照らしていた。
ラインハルトはそれを握りしめ、遠くを見つめた。
(人生はそうそう違えぬか)




