第42話
第五階層は、ただの小さな空間だった。
中央に、光玉が一つだけ浮かんでいる。
罠も敵も、一切ない。
ラインハルトはセレナを抱えたまま、光玉に手を伸ばした。
(……これで終わりか)
指先が光玉に触れる。
セレナが小さく呟く。
「おめでとう……合格よ」
「……ありがとうございます」
光が広がり、二人は外へと転移された。
演習場の外、広場はすでにクリアを果たした生徒たちで賑わっていた。
転移陣の周囲では、仲間同士で輪になって戦闘の自慢話に花が咲いている。
「俺のペア、ゴブリンを一撃で三匹まとめて吹き飛ばしたぜ!」
「うちは狼の大群に囲まれたけど、風魔法で竜巻作って一掃したんだよねー!」
「巨岩兵? 上級生と連携してコア狙ったら一発だったわ! 楽勝楽勝!」
笑い声と拍手が飛び交い、まるで小さな祭りのような雰囲気だった。
みんなが次のペアの登場に期待を膨らませ、転移陣を眺めている。
──その瞬間。
広場のざわめきと笑い声が、ぴたりと止まった。
そこに現れたのは、お姫様抱っこされたセレナと、それを抱えるラインハルトだった。
周囲が凍りついた。
そして、誰よりも待っていたであろうアレックスの後ろで──ヴィオレットの姿があった。
顔が青ざめ、唇が引きつっていた。
ラインハルトが慌てて口を開く。
「あの……これはだな」
アレックスが大げさに叫んだ。
「あーあーあー!」
ヴィオレットが、ぽろりと涙を零した。
彼女は唇を噛み、俯いたまま踵を返した。
その瞬間、足元で土の魔力が爆発的に膨張し、地面が彼女の足裏を強く押し上げた。
まるで「行け」と促すように、地面が彼女を前へ、前へと押し進める。
ドンッ!
ヴィオレットの体が矢のように飛び出した。
誰も追えないほどの超高速で、広場を突き抜け、視界から消えていく。
「ヴィオレット! これは!」
ラインハルトが叫ぶが、声は届かない。
セレナがラインハルトの胸を軽く叩いた。
「今すぐ追いなさい馬鹿!」
ラインハルトはセレナを地面に立たせ、アレックスの顔とセレナの顔を交互に見た。
セレナがため息混じりに柔らかな表情に戻した。
「逃げないし、ちゃんと説明してあげるから。早く行ってきなさい!」
アレックスが拳を握りしめて叫んだ。
「とにかく謝れ! 理由は関係ない! 謝れ! それだけだ!」
ラインハルトの瞳に、珍しく焦りが宿った。
「分かった!」
足に魔力を込め、風をまとう。
さらに雷魔法を全身に巡らせ、筋肉を極限まで強化。
地面を強く踏み込んだ。
ラインハルトの体が視界から消えた。
これまで出した中で、最も高い速度。
風を切り、雷を纏い、ただ一心にヴィオレットの背中を追う。
残されたセレナが、額の血を拭いながら静かに言った。
「まだ……あんなものも隠してたのね」
アレックスが苦笑を浮かべてセレナを見た。
「あなたは確か……セレナ・フォン・クロイツィンガー先輩でしたよね」
セレナは優雅に会釈した。
「カップルが帰ってきたら、ちゃんと話すわ」
演習場の喧騒が、再びざわめき始めた。
誰もが、同じことを思っていた。
──あのラインハルトが、あんなに必死な顔をするなんて。
広場の端で、ヴィオレットの小さな背中が、涙を零しながら遠ざかっていく。
新たな誤解と、初めての本気の恋の試練が、今始まろうとしていた。




