第41話
巨岩兵を倒した四階層のボス部屋。
転移陣の青白い光が、すぐ眼前で穏やかに脈打っていた。
安堵したのも束の間──ラインハルトの背後から冷たい声が響いた。
「待ちなさい」
(……来たか)
ラインハルトは振り返る。
「なんですか、先輩。早く行かないと、後ろが詰まってますよ」
セレナは髪を軽く揺らした。
「大丈夫よ。日没を越えても光玉を持ち帰れば問題ないのだから」
その言葉と同時に、彼女は杖を構えていた。
魔力が、しかし確実に渦を巻き始め、空気が熱を帯びる。
ラインハルトは胸を沈めた。
「冗談じゃないんですよね」
セレナの唇が、妖しく弧を描く。
「魔力連打による枯渇状況で、私に勝てると?」
「このような状況で勝つか負けるか……そういう考えもあるんですね」
「……?」
「生きるか死ぬか。それ以外、知らないもので」
言葉が落ちたその時、セレナの杖が閃いた。
「生意気なんだから! フレイム・ロータス!」
ゴオオオオオ!
中級の炎魔法──爆炎の渦が、赤い蛇のようにラインハルトを目がけて殺到する。
「この程度なら、避けきれる!」
ラインハルトは杖を構える動作を中断し、風魔法を足裏に纏わせて横に跳んだ。
バンッ!
爆炎が地面に着弾し、周囲へ炎の花弁を撒き散らす。
熱風が頰を焦がし、石床が赤く溶け始めた。
ラインハルトは着地と同時に、冷静に言葉を漏らした。
「ほう……こういう魔法か。下手に弾くと炎で全身が焼かれるな」
セレナは杖を軽く回しながら、余裕たっぷりに笑う。
「さぁ、出力も範囲も私の方が上だけど……何を見せてくれるのかしら?」
空洞の空気が、熱と魔力で重く淀み始めた。
転移陣の光が、二人の影を長く、歪に伸ばしていた。
ラインハルトは息を整える。
(魔力は確かに分が悪い。だが……)
セレナの瞳が輝いた。
「来なさい、ラインハルト」
戦いが始まった。
「これは……立派に挑戦者だな」
ラインハルトは無詠唱で風魔法を身に纏って近づこうとする。
だが、それをセレナは当然のように見越していた。
花弁の一枚が、ラインハルトの肩先を掠める。
ボンッ!
触れた直後、小さな爆発が起こり、熱と衝撃が制服を焦がした。
「避けたはずだが……距離を見誤ったか? 威力は大したことはないが魔力を削られるな」
ラインハルトは一歩下がり、冷静に距離を取る。
セレナが優雅に杖を振るう。
「この炎の花弁は魔力に反応して追尾するの。攻防一体の花弁、あなたは突破できるかしら?」
花弁はじわじわとラインハルトへと近づいてくる。
ラインハルトは考えを巡らせた。
「攻めれば焼かれ、逃げれば追うか。さてどうしたものか。魔力を使わないとなると……」
地面を見下ろす。
足元には、先ほど砕いた巨岩兵の欠片が散らばっていた。
「もう少し遊んでみたかったのだが、仕方があるまい」
ラインハルトは一つを拾い上げる。
親指大の、鋭く尖った石片。
「では、石合戦といこう!」
体に魔力を込め、思い切りセレナに向かって投げつけた。
「へっ」
セレナが息を漏らす。
超高速で迫る石礫。
ババババババアアアアアンッ!
正面の炎の花弁を叩き、爆炎と共に砕け散る。
だが、その勢いは止まらず、花弁の一割へごっそりと穴を開けた。
ラインハルトが更にもう一個を手に取り、手の上でポンポンと弾ませた。
「おぉ、思ったよりよい火力だな。さすがは門兵、よい素材が使われている」
ロック・ショットでは到底出せない、純粋な物理の威力。
セレナの目が、初めて丸くなった。
「あっ、あのラインハルトくん? そういうのじゃなくてね?」
ラインハルトは手の中で風魔法を展開し、地面の石を片手に持てないほど掻き集める。
「卑怯だと言わないでくれますか?」
そして、再び思い切り投げつけた。
同時に風魔法で回転をかける。
ババババラララララララッ!
石の散弾が、嵐のように飛び、セレナの花弁を次々と撃ち抜く。
爆風の連鎖が起き、視界が炎と煙に覆われる。
「ふっざけないでよっ! こんなの魔法の勝負じゃ……ってこれ貴族決闘じゃなかったわね」
セレナは慌てて花弁を前に集中させるが、威力の差に押され、防御に隙が生まれた。
ラインハルトはその隙を見逃さなかった。
「ロック・ショット!」
風魔法と身体強化を両方発動し、一瞬でセレナの後方に回り込む。
しかしセレナは魔力の動きを敏感に察知し、振り向きざまに花弁を集中させた。
「……残念ね。ゲオルク戦でブラフマジックが使えることは知っているわ。当然、見えてるわ!」
ラインハルトは静かに唇に弧を刻んだ。
「そうだろうな。だから置いてきた」
その言葉と同時に、セレナの後頭部を小さな岩弾が穿った。
ロック・ショット──回り込みの動きに合わせて、最初から後方に放っていた一撃。
そしてそれとは別に無詠唱で発動した風魔法と身体強化。
二つの偽りがセレナを陥れることに成功した。
セレナの体がびくりと強張り、膝が崩れた。
杖が地面に落ち、炎の花弁が一斉に霧散する。
セレナはよろよろと体を起こし、頭を押さえながら振り返った。
「……くすっ……あはは……」
低く、掠れた笑い声。
血が頰を伝い、表情を歪めた。
「あなた……本当に、面白いわ」
ラインハルトは距離を取り、杖を構え直した。
「まだ続けますか?」
セレナは首を振り、立ち上がろうとした。
「いいえ。今日はもう十分だわ」
セレナの膝が崩れかけたその時、ラインハルトは近づいた。
「失礼します」
彼女はびくっと体を震わせたが、ラインハルトは無言で腰を屈め、セレナの体をそっと抱き上げた。
お姫様抱っこだ。
セレナの瞳が見開かれる。
「あのっ……置いていって貰っていいからっ!」
声が上ずり、頰が赤く染まった。
普段の妖艶さはどこへやら、ただの少女のように慌てている。
ラインハルトは答えた。
「友達から女性には紳士的であれと教えられたので。あと少しだけ嫌がらせです」
セレナは言葉を失った。
「……馬鹿ね」
その言葉は小さかったが、どこか優しい響きを帯びていた。
ラインハルトはセレナを抱えたまま、転移陣を踏んだ。
「そういえば僕が戦わずにこれで逃げていたらどうしていたんですか?」
「……その発想もなかったわね」
青白い光が二人を包み、視界が白く染まった。
二人は第五階層へと飛ばされていた。




