第3話
学校から屋敷までは、歩いてもさほど遠くない距離だった。
ラインハルトは一人、石畳を踏みしめながら帰路についていた。
通りすがりの人々が、こちらをちらりと見てはすぐに地面に目を落とす。
商人風の男は荷物を抱えたまま道を譲り、立ち止まって仲間と小声で囁いた。
「……あれ、エーゼルヴァルト家の坊ちゃまじゃねえか?」
「珍しいな……」
果物を売る老婆は、笑顔で軽く会釈しながら、隣の客にそっと囁いた。
「坊ちゃま、今日はお歩きで……どうなさったのかしらね」
「元気そうでよかったわねぇ」
近くで荷物を運んでいた若い職人風の男たちは、目を丸くして互いに囁き合った。
「おい、見ろよ……貴族様が一人で歩いてるぞ」
「馬車が故障でもしたのか?」
子供を抱いた母親は、優しく頭を下げながら、子供に小声で言った。
「ほら、エーゼルヴァルト家の坊ちゃまよ。お辞儀しなさい……」
目を合わせると、誰もが軽く会釈して道を譲り、見送った。
(……ふむ。これがこの世界の貴族か)
ラインハルトは内心で苦笑した。
やがて、目の前に広がるのは重厚な鉄の門。
門の両脇には、甲冑を纏った門兵が二人、槍を立てて立っている。
「これは……立派なものだ」
ラインハルトは素直に感心した。
門に近づくと、年配の門兵がこちらを認め、目を丸くした。
「ぼ、ぼっちゃん! お一人でご帰宅とは……! 馬車はどうされたんです!?」
声に忠義の色が濃い。
長年エーゼルヴァルト家に仕えており、驚きながらも深い心配が滲んでいる。
ラインハルトは軽く手を上げて答えた。
「ちょっと……ね」
門兵は言葉に詰まったが、すぐに姿勢を正し、敬礼するように門を開けた。
「どうぞお通りくださいませ!」
屋敷の玄関に差し掛かる頃。
異変に気づいたらしい執事と若い侍女が、扉を勢いよく開けて飛び出してきた。
執事は普段は冷静沈着な男だが、今日は明らかに動揺を隠しきれていない。
「……お帰りなさいませ、ラインハルト様。いつもとは……お時間が、かなり早いようで……」
最後の一言は、言葉に詰まった。
長い銀髪を後ろに束ねた厳格な顔立ちが、珍しく強張っている。
侍女は慌てぶりが丸出しだった。
「ぼ、ぼっちゃん! お一人で!? ど、どうされたんですかぁ!?」
声が上ずり、両手を胸の前でぎゅっと握りしめている。
心配と驚きが混じった視線が真っ直ぐに注がれていた。
ラインハルトは再び、同じ言葉を繰り返した。
「ちょっと……ね」
執事と侍女が、互いに目配せを交わした。
その目に浮かんだのは、明らかに『何かあったな』という確信だった。
「いってきますっ」
侍女はすぐに踵を返し、急ぎ足で屋敷の奥──記憶が教えてくれるところでは、庭園の方角──へ走っていった。
おそらく、誰かに報告に行くのだろう。
「どうぞこちらへ」
執事が誘導しようとしたが、ラインハルトは軽く手を振って制した。
「自室で休む。構うな」
執事は口を開きかけたが、結局は深く頭を下げて道を譲った。
石造りの長い廊下を一人で歩く。
壁には歴代の当主たちの肖像画が等間隔に掛けられ、厳つい甲冑が飾り立てられている。
窓から差し込む柔らかな陽光が、磨き上げられた大理石の床に淡い影を落としていた。
遠くで噴水の水音が響き、屋敷の静けさをより深く感じさせる。
(……立派な屋敷だ。戦の匂い、血の匂いはあるものの。平和を作り上げている。父上はこの家族を大切にしているのだな)




