第16話
向かう先は、校舎裏。
ユーリウスが足を止め、振り返る。
その表情に、屈辱と別の感情が混ざっていた。
「……お前、どこまで本気だ?」
ラインハルトはユーリウスを見据えた。
「お前に何か関係あるのか」
「関係って……」
「特に用がないなら僕は戻る。ここにいい思い出もないしな」
足を踏み出そうとしたその時。
袖が、強く掴まれた。
ラインハルトは振り返り、手を振り払おうとして──動きを止めた。
ユーリウスの顔が、涙で歪んでいた。
「おい……どうした」
ユーリウスは、深々と頭を下げた。
「お前にやったことは……悪いと思ってる。本当に死んだのかと思って焦ったし。あいつらもいたから虚勢張っちまって……」
ラインハルトはユーリウスを見下ろした。
「もう、その話はいい。僕の中では解決している」
ユーリウスは首を横に振った。
「それでも謝らせてくれ。すまな……ごめんなさい」
声が途切れ、肩が小刻みに揺れていた。
ラインハルトは一度、深く息を吐いた。
(すまないラインハルト……)
「謝って済む問題ではない」
ユーリウスの肩が、びくっと跳ねた。
顔を上げられず、ただ俯いたまま身を縮めた。
ラインハルトは続けた。
「だが、謝らなければ見えない世界もある」
ユーリウスが、顔を上げた。
ラインハルトをまっすぐに見つめる。
「それで……謝るだけの為に呼んだんじゃないんだろう?」
ユーリウスは唇を噛み、涙をそのままに語り始めた。
声は低く、抑えていた。
「ゲオルク先輩は……第二皇子派閥の中でも過激派なんだ。俺も呼び出されて、何度も殴られたことがある。……意味もなく」
「その腕もか?」
「あぁ……」
「そんなところだろうと思っていた」
ユーリウスは息を整え、続ける。
「ヴィオレットはシュヴァルツ家、どちらかと言えば第一皇子派閥寄りの中立だ。だが彼女の家は司法の家系だ」
ラインハルトの眉が動いた。
「行政と司法……過半数を取りに行こうとしていると」
ユーリウスが頷く。
「シュタウフェン家は目的のためなら手段を選ばない……。現にヴィオレットとの婚約も、家の借金の肩代わりだったんだ」
「なぜそんなことを知っている」
「ヴァインベルク家のやれることなんて、諜報くらいだから……」
「……悪いことを聞いたな」
ユーリウスは一歩近づき、必死に言葉を続けた。
「だからラインハルト。彼女のことは諦めた方がいい。ゲオルク先輩が黙っていても、第二皇子の過激派閥が出てくることになる! そうなったらお前は……」
だが、その声は次第に震え、どこか別の感情が滲み出していた。
ユーリウスは俯き、包帯の腕をぎゅっと握りしめた。
「……お前に負けてから、俺はもう見放されたんだ。過激派の連中から、何度も呼び出されて……意味もなく殴られた……ただのストレスのはけ口だよ。もう俺は役立たずだってさ」
自嘲の笑みが浮かぶ。
「惨めだよな。結局はこうだ。……せめて、お前にやられた分くらい、仕返ししてやりたかった。それが叶わなくて、余計に悔しくて……」
ラインハルトは静かにユーリウスを見据えた。
「……よし」
拳が飛んだ。
右ストレートが、ユーリウスの顔面を真正面から捉える。
「ぐはっ!」
ユーリウスが後ろに吹っ飛び、地面に尻餅をついた。
鼻血がぽたぽたと流れ、頰が腫れ上がる。
ラインハルトは一歩近づき、拳を握り直した。
「お前が追いかけた背中であろう。男なら自身の手で答えを求めろ!」
もう一発。
左フックがユーリウスの腹にめり込む。
「ぐっ……!」
「力がないなら鍛えろ!」
右ストレート、再び顔面。
「技がないなら鍛えろ!」
左ボディ。
「心が弱いなら鍛えろ!」
ユーリウスは地面に這いつくばりながら、必死に腕を振り上げた。
「しょうがないじゃないか!
俺はお前みたいに強くないんだからっ!」
その拳が、ラインハルトの頰をかすめた。
弱々しい、しかし確かに届いた一撃。
ラインハルトは一瞬動きを止め、口元に薄い笑みを浮かべた。
そして、最後に──渾身の右ストレートを、ユーリウスの肩口に叩き込む。
衝撃でユーリウスが地面に仰向けに倒れる。
ラインハルトは拳を下ろし、静かに見下ろした。
「殴り返せる拳があるじゃないか」
ユーリウスは荒い息を吐きながら、血塗れの顔でぼんやりと空を見上げていた。
涙と鼻血が混じり、頰を伝う。
ラインハルトは背を向け、歩き出しながら言った。
「立場があるのだろう? ここで僕は何も聞かなかったことにしてやる」
少し間を置いて、静かに続けた。
「だが、同じ学友として、同じ道を歩む者として……案じてくれたその気持ちには答えてやろう」
足を止め、振り返らずに。
「強くなれ」
ユーリウスは地面に座ったまま、呆然とその背中を見つめていた。
やがて、ゆっくりと体を起こし、血と涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭った。
「……くそっ……」
かすれた声。
だが、その瞳には、初めての光が宿っていた。
ユーリウスは拳を握り、力なく──しかし確かに、頷いた。
ラインハルトは校舎に戻りながら、拳を開いたり閉じたりした。
(少し……痛いな)
表情の端に、冷ややかながらもどこか温かな余裕が宿った。




