第15話
ラインハルトが教室に戻ると、すでに空気は熱を帯びていた。
廊下での一件は、火に油を注いだかのように瞬く間に学院中に広がっていた。
話題はただ一つ。
『ラインハルトの略奪愛』
その中心にいるのは、当然のようにアレックスだった。
リリアが、誰よりも早く駆け戻り、事の次第を大仰に伝えたらしい。
教室に入るなり、ざわめきが一気にこちらへ向かった。
「え、マジでゲオルク先輩に宣戦布告したの!?」
「婚約者から奪うとか、小説みたい……!」
「ちょっと男子、聞いてきなさいよ」
女生徒たちは目を輝かせて互いに耳打ちし、くすくすと笑いを噛み殺している。
男子生徒たちは興味津々でこちらを盗み見ながら、肘で小突き合って囁き合っていた。
ヴィオレットはラインハルトの隣で、顔を真っ赤にして俯いている。
長い黒髪が顔を隠すように垂れ、肩が小さく震えていた。
ラインハルトは教室を見回し、天井の隅を見上げた。
……そこに、いる。
天井裏の隙間から、気配が漏れている。
誰かが潜み、息を潜めてこちらを見下ろしている。
学院の噂好きか、それともモントフォール派のスパイか。
あるいは、ゲオルクの差し金か。
気配の主が、ラインハルトの表情に気づいたのか、びくっと体を揺らした気配がした。
(間者か……)
ラインハルトは、胸の奥で思った。
「まぁいいか。悪いことにはなるまい」
(情報が広がるのは、むしろ好都合だ。ゲオルクの耳にも届くだろう。相手がどれだけ本気か、探る手がかりになる)
その時だった。
「ラインハルト!」
明るく、よく通る声が教室を切り裂いた。
アレックスが、クラスメイトを数人引き連れて大股で近づいてくる。
アレックスは躊躇なくラインハルトの両肩をバンバンと叩いた。
「君も男だなぁ! 略奪愛なんて劇でしか見たことがないぞ!」
力強い一撃に、ラインハルトの体が揺れる。
「……気に食わなかった、それだけだ」
アレックスはヴィオレットに向き直った。
「いやはや、君にも春がくるなんて想像してなかったよ! よほど素敵な女性なのだろうね!」
派手にウインクしてみせる。
「ひっ……」
ヴィオレットが声を漏らし、教科書に隠れるように俯いた。
「君に相応しい、よい目をしている」
アレックスは満足げに頷くと、突然教室の中央へ歩み出た。
両手を広げ、舞台に立つ役者のように声を張り上げる。
「皆の者! よく聞け! 今ここに、新たな物語が始まった! 愛と欲、恋と策略が交錯する、熱きドラマだ! その主役は我が友、ラインハルト・フォン・エーゼルヴァルト! そして、深窓の令嬢、ヴィオレット・フォン・シュヴァルツ! 二人は運命に導かれし出会いを果たした! だが、それを阻むのは、古き約定──家同士の政略婚約! 果たして勝つのは、真実の愛か? それとも、貴族のしきたりか! 我ら学院の誇りにかけて、見届けてやろうではないか!」
大仰な演説だった。
アレックスは最後に両手を高く掲げ、劇的なポーズを決める。
教室が静まり返った後──拍手と興奮の叫びが一気に巻き起こった。
「殿下、最高!」
「ラインハルト、がんばれー!」
「ゲオルク先輩も負けてないよ!」
女生徒たちは目を輝かせ、男子生徒たちは拳を握って盛り上がっている。
まるで祭りのような騒ぎだ。
ラインハルトは、やれやれと、自分の席に腰を下ろした。
(相変わらずアレックスは元気だな)
ヴィオレットが隣に座り、恐る恐る顔を上げてこちらを見ている。
「……あの、ラインハルト様。……ごめんなさい、私のせいで」
「気にするな」
ラインハルトは短く答え、窓の外に向き直った。
まだ騒ぎが続くその時だった。
意外な人物が、近づいてきた。
ユーリウス。
まだ右腕に包帯を巻いたまま、顔色は悪い。
だが、目はどこか真剣で、いつもの虚勢が感じられない。
ユーリウスはラインハルトの前で立ち止まり、息を整えた。
「……ちょっといいか」
ラインハルトは頷いた。
「あぁ」
二人は無言で席を立ち、教室を出た。




