第14話
さらに数日が過ぎ、学院の日常は表面上だけ穏やかに流れていた。
ヴィオレットは、まるで小さな影のようにラインハルトの後ろを歩くことが増えていた。
最初は遠慮がちに声をかけ、教科書を抱えて同じ方向へ歩くだけだった。
それが今では、休み時間に隣の席に座り、演習の合間に質問をするまでになっていた。
ラインハルトはそれを拒まなかった。
アレックスはその様子を面白がり、廊下ですれ違うたびにからかってくる。
「おいラインハルト、また彼女と一緒か?」
そんな時は、ラインハルトは切り返した。
「アレックスこそ、たまにはご自身の婚約者と過ごしたらどうだ?」
アレックスは大笑いしながら肩を叩き、ヴィオレットは顔を赤らめて俯く。
そんなやり取りが、最近の学院でのささやかな娯楽になっていた。
その日も廊下を二人は並んで歩いていた。
ヴィオレットが小さな声で尋ねた。
「……ラインハルト様。あの、土属性の初級魔法で、精度を上げる方法を、もう一度教えていただけますか?」
ラインハルトは足を止めず、答えた。
「魔力を流すのではなく、読むんだ。土は物だが動かないものではない。世の全てが胎動している。相手の動きを先読みし、必要な分だけを──」
その時だった。
前方から、一人の男が近づいてきた。
二年次生の制服を纏い、肩幅の広い体躯に金髪を後ろに撫でつけた青年。
年齢は十三か十四。
貴族らしい端正な顔立ちだが、口元に浮かぶ笑みはどこか冷たく、視線は獲物を値踏みするように鋭かった。
周囲の生徒たちが、彼の姿を認めて自然と道を譲り始めた。
「……ゲオルク先輩だ」
「……やばい、近づかない方がいい」
「静かにしろよ、巻き込まれたくない……」
ひそひそと囁きが広がり、廊下の空気が一瞬で張り詰めた。
男は二人の前で立ち止まり、ヴィオレットを見下ろした。
ヴィオレットの肩が、ぴくりと引きつった。
彼女は顔を青ざめさせ、教科書を抱える手に力がこもる。
男ははっきりと告げた。
「ヴィオレットを返してもらおうか」
声は低く、抑揚が少ない。
それでいて、廊下の空気を凍りつかせた。
ラインハルトは男をまっすぐに見据え、ヴィオレットに尋ねた。
「あいつは?」
ヴィオレットは唇を噛み、俯いたまま小さな声で答えた。
「……ゲオルク・フォン・シュタウフェン。二年生で、私の……婚約者です」
その言葉に、ラインハルトの眉が動いた。
ゲオルクは皮肉めいた弧を口元に浮かべ、ラインハルトを上から下まで値踏みするように眺めた。
「一年のラインハルト・フォン・エーゼルヴァルトか。最近は派手にやってるらしいな。だが、ヴィオレットは僕の婚約者だ。近づかないで貰えるかな?」
周囲の生徒たちが息を呑み、廊下が静まり返る。
ヴィオレットはさらに俯き、指先を強く絡めて教科書で隠すように握りしめた。
ゲオルクは一歩近づき、ヴィオレットの腕を掴もうと手を伸ばした。
「行くぞ、ヴィオレット」
ラインハルトは一歩前に出た。
ゲオルクの手が、ヴィオレットの腕に届く前に止まる。
ラインハルトは告げた。
「僕の女に手を出すな」
空気が張り詰め、廊下に緊張が走った。
ゲオルクの表情が引き締まった。
「……何を言っている」
ラインハルトは自嘲の笑みを漏らした。
「婚約がどうした? 今彼女は僕の側にいる。無理に連れていくなら──」
言葉を切らずに、ラインハルトは右手を翳した。
「嫁盗みといこうか」
魔力が微かに渦を巻き、廊下の空気が重くなった。
ゲオルクの表情が強張った。
ヴィオレットが、驚いたようにラインハルトを見上げた。
複雑な感情が揺れていた。
恐怖、戸惑い、そして──ほんの少しの、希望のようなもの。
ゲオルクは手を下ろした。
「……面白い。では、正式に決着をつけよう。王立学院の決闘規定に従ってな」
そう言い残し、背を向けて歩き去った。
残された二人の間に、言葉が途絶えた。
ラインハルトは胸の奥から熱を吐き出し、ヴィオレットに向き直った。
「婚約者、か」
ヴィオレットは頷き、息を詰まらせながら答えた。
「……はい。家同士の政略で……私は、拒否できなくて……」
言葉を続けられず、彼女は俯いた。
ラインハルトは心の中で考えを巡らせた。
「……楽しくなってきた」
新たな強者。
新たな戦い。
武蔵の血が、熱を帯び始めていた。




