第13話
その日、ラインハルトは演習の合間に、校舎裏の人気のない中庭を通りかかった。
そこに、黒い長髪の少女がいた。
背はラインハルトより少し低く、制服のローブが少し大きめに見える。
長い黒髪は丁寧にまとめられ、腰まで届いている。
金髪が主流の学院で、黒髪は目立つ。
いや、目立たせたくないからこそ、彼女はいつも隅にいるのだろう。
元来、魔力量が多い者は金髪になりやすい、という。
魔力が体の毒素を外に排出する傾向にあるらしい。
だから黒髪は、魔力が少ない者の象徴として扱われやすい。
童話の悪役はみな黒髪だ。
子供たちは、無意識にそれを刷り込まれ、いじめの対象にしやすい。
彼女へのそれは、ラインハルトが受けていたほど直接的ではない。
だが、到底貴族子女が受けていいものではなかった。
中庭の隅で、数人の女生徒が彼女を取り囲んでいた。
「また一人でいるの? 黒髪の魔女さん」
「教科書汚しちゃってごめんねー。わざとじゃないんだけど」
「ほら、今日も席空けてあげるから、隅っこで勉強してたら?」
笑い声が響く。
少女は俯いたまま、唇を噛んで耐えている。
ローブの裾に、墨の跡が残っているのが見えた。
食堂では、いつも端の席に追いやられ、誰も隣に座らない。
演習では、グループを組むときに最後まで残る。
直接的な暴力はない。
だが、それが余計に陰湿だ。
「……世の常とはいえ。見ていて気持ちのいいものではないな」
ラインハルトは足を止め、その様子を観察した。
少女の名は、記憶が教えてくれる。
ヴィオレット・フォン・シュヴァルツ。
土属性の魔法を得意とするが、魔力量が少なく、形態変化もままならないらしい。
だからこそ、標的にされやすい。
女生徒の一人が、ヴィオレットの教科書をわざと落とした。
本が地面に落ち、ページが開いて泥がつく。
「きゃっ、ごめんねー」
くすくすと笑いが広がる。
ヴィオレットは屈み、本を拾おうとした。
その背中が、固くなっている。
「黒髪は……嫌いではないな」
ラインハルトは歩み寄った。
足音に気づいた女生徒たちが振り返る。
「ライ、ラインハルト様……?」
「ここで何をしておる」
低く、静かな声。
だが、それだけで十分だった。
女生徒たちは顔を見合わせ、慌てて後ずさる。
「い、いえ、ただヴィオレットと話してて……」
「そうか、仲睦まじいのはいいことだな」
ラインハルトは一歩、また一歩と近づく。
女生徒たちは青ざめた。
種子島の記憶が、学院中に広がっている。
触れてはいけない存在。
それが、今のラインハルトだった。
「ならば、続けろ」
告げると、女生徒たちは互いに目配せし、逃げるようにその場を去った。
中庭に、残るのは風の音だけになった。
ヴィオレットはまだ屈んだまま、本を抱えて立ち上がろうとしない。
長い黒髪が顔を隠している。
ラインハルトは彼女の前に立ち、言った。
「立てるか」
ヴィオレットが、顔を上げた。
透き通るような紫の視線。
驚きと、わずかな警戒が混じっている。
「……ありがとう、ございます」
声が掠れていた。
ラインハルトは彼女に手を差し出した。
「弱さは罪だ。だが強くなればいい。簡単な話だ」
短く告げる。
ヴィオレットは目を丸くし、それから首を振った。
「でも……私は、魔力が少なくて……みんなのように、華やかな魔法は……」
「華やかさが強さだと?」
ラインハルトは皮肉を込めて唇を歪めた。
「形態を飾るより、精度を極めよ。魔力の量ではなく、流れを読むのだ」
ヴィオレットは瞬きを繰り返し、ラインハルトをまっすぐ見つめた。
その表情に、初めて決意の色が浮かんだ気がした。
「……ラインハルト様」
彼女はゆっくりと右手を伸ばした。
白く細い指先が、ためらいがちに近づき──そっと、掴んだ。
冷たく、わずかに震えているヴィオレットの手だった。
でも、しっかりと力を込めて、ラインハルトの掌に指を絡めてきた。
ラインハルトは軽く引き上げるように力を込め、ヴィオレットを立たせた。
二人は一瞬、至近距離で視線を交わした。
ヴィオレットの紫の瞳に、涙の膜が張り、しかしその奥に揺るぎない光が灯った。
「……ありがとう、ございます」
ラインハルトは手を離し、静かに頷いた。
「気にするな」
ラインハルトは背を向け、歩き去ろうとした。
その背中に、ヴィオレットの声が追いかける。
「どうして……助けてくれたのですか?」
ラインハルトは足を止め、振り返らずに答えた。
「どうにも黒髪が好みでな」
「……えっ」
風が吹き、髪が揺れた。
その日から、学院の空気が、また少し変わり始めた。




