第2話 参謀の秘め事と、数字で測れぬ狂気
「……ふぅ」
副官の足音が遠ざかり、天幕に一人の静寂が戻ると、レオン少佐は机に突いた肘からゆっくりと体重を抜いた。
瞬間、激痛が背骨を駆け抜ける。
レオンは歯を食いしばり、声を殺して右脚を押さえた。
過去の魔導事故により、彼の腰から下はすでに半分麻痺している。立つどころか、座っていることすら激痛を伴うのが現実だ。
だが、軍の最高幹部やメディアの前で、彼は絶対に杖すら突かない。
脚に特殊な鋼鉄の固定具(装具)を仕込み、激痛に耐えながら「自力で力強く立つ優秀な参謀」を演じ続けている。
「障がいを持つ弱者」に、一万の兵を率いる資格などないと、軍上層部から切り捨てられることを知っているからだ。
(この身体も、いつまで保つか……)
冷や汗を拭い、レオンは机の引き出しの最奥から、一通の小さな手紙を取り出した。
本国で彼を待つ、密かな恋人からの手紙だ。
世間的には「冷血なデータ主義者」と恐れられるレオンだが、本国に残した妻との関係はとっくに冷え切っている。彼の孤独な心を唯一救っているのは、身分違いの彼女と交わす、この暗号化された秘密の便りだけだった。
「……こんな鉄くずと砲煙の島から、早く君の元へ帰りたいものだな」
手紙を愛おしそうに撫で、胸ポケットに仕舞い込む。
自分が生き残るため、そして部下たちを一人でも多く生きて家族のもとへ返させるためにも、この作戦に「曖昧な精神論」や「無駄な流血」を挟む猶予など微塵もなかった。
だからこそ――聖イグニス王国軍の行動が理解できなかった。
「報告します。敵部隊、進軍速度を維持したまま、我が方の『第一警戒ライン』を通過。依然として隊列を崩さず、真っ直ぐ中央門へ向かっております!」
魔導通信機のスピーカーから、前線監視所の焦った声が響く。
レオンは固定具の軋む音を忍ばせながら立ち上がり、戦況モニター(立体魔導地図)を凝視した。
画面上には、赤く光る一千の光点が規則正しく並び、一直線に帝国軍の防衛線へと向かってきていた。
夜間だというのに、灯火も点けず、散開もせず、ただ密度を保ったまま歩兵が歩いてくる。
「散開すらしないだと……? 投射兵器(砲撃)の好都合な標的になるだけだぞ」
レオンの隣で、副官の中尉が呆然と呟いた。
「少佐、やはり何か罠では? 我々の火力を誘い出し、裏から本隊を叩く気では……」
「いや、周辺海域・上空ともに敵の影はない。後続も、別動隊も存在しない」
レオンは冷静に、しかし冷徹に言い放った。
「彼らはただ、本当に『これで勝てる』と信じて進軍しているのだ。一千の命を、一円の価値もない博打に投じている」
レオンは、胸ポケットの手紙の上から、自分の胸を強く押さえた。
帝国では、兵士一人の命を守るために巨額の予算を投じて装甲を鍛え、野戦病院を整備する。命を生かして持ち帰ることこそが、指揮官の最大の責務だからだ。
しかし、目の前の敵将イグナシオは違う。
部下の命を「燃やして使い捨てる燃料」としか思っていない。
(……許し難いな)
自分は、病んだ身体を押してでも生きて愛する者の元へ帰ろうとしている。
それなのに、目の前の男は、一千もの若者の命を「美徳」という名の狂気で捨てようとしているのだ。
「全小隊、射撃準備完了。敵が『第3殺傷地帯』に入り次第、手加減なしで発射を許可する」
レオンは冷たい声で、マイクに命じた。
「教え込んでやれ。命を粗末にする者に、我が軍の鉄壁は破れんと」
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