第2話 推し活を理解せよ
地下のライブ会場。
炎真は雷太と並んで階段を下りる。
胸の奥に、妙な高揚感があった。
マインマインはライブが終わり、控室で待っている。
「『先に戦地に処りて敵を待つ者は佚す』
――先に動いた者が主導権を握る」
炎真は小声でつぶやく。
「お前、今日も兵法モードかよ」
雷太が笑う。
「交渉は主導権を握った方が勝つ。これは常識だ」
そう言いながら、炎真はノックした。
***
控室の片隅にマインマインが座っていた。
壁にはライブ写真や寄せ書きが貼られ、手作り感がある。
「こんにちはー!」
茶髪ボブの風見美香が元気よく手を振る。
黒髪ショートの山口麗奈は軽く会釈した。
「こんにちは、お電話しました真木炎真です。えっと……」
「はじめまして、マインマインの風見美香です」
「山口麗奈です、よろしくお願いします」
アイドルらしい元気な笑顔。
「えっと……」
「あっ、麻里亜は今、事務所の人と打ち合わせ中です」
「それじゃあ……」
炎真は企画書を差し出す。
「寺フェスの提案です。地域密着型で、露出機会にもなります。
ギャラは少額ですが、実績としては――」
「仏像の前でライブ!? 映えそう!」
美香が目を輝かせる。
「ろうそくとサイリウムって合うかも」
麗奈も珍しくテンションが高い。
炎真は内心、手応えを感じていた。
(戦況、有利……悪くない)
***
そのとき、ドアが開いた。
「遅れてすみません」
紅葉麻里亜が入ってきた。
ステージ衣装とは違い、落ち着いた私服。
白いブラウスにロングスカート。
それでも、どこか凛とした空気をまとっている。
炎真は思わず姿勢を正した。
麻里亜は無言で企画書を受け取り、目を通す。
表情は変わらない。
炎真は合理的に説明を続けた。
「こちらとしても若年層を呼び込めますし、
あなたたちの利益にもなります」
「私たちの利益って?」
麻里亜が顔を上げ、炎真を見据える。
動画で見た“優しい笑顔”とは違う。
プロの目だ。
その気迫に押され、炎真は思わず本音を言ってしまう。
「は、はい、売れてない地下アイドルには、チャンスのはずです。
寺という異色の舞台は話題性も高い。双方に利益が――」
「“売れてない”って、誰が決めたんですか?」
「い、いや、これは言葉のあやで……皆さんに売り出すチャンスを提供……」
炎真は虚を突かれ、しどろもどろになる。
空気が変わった。
***
麻里亜は静かに言った。
「チャンスかどうかは、私たちが決めることです。
……あなた、アイドルに興味は?」
――下心があるとうまく行かない。
雷太の忠告を思い出した。
「それは、大丈夫です」
「大丈夫って?」
「はい、興味はないので安心してください。
純粋にビジネスです」
胸を張る。
沈黙。
雷太が、額を押さえ天を仰いだ。
(完璧な回答のはずだが?)
麻里亜が首を傾げる。
「私たちに、興味がない?」
「はい。決して変なオタクになる心配はありません」
「やめろ」
雷太が即座に止める。
炎真は言葉を失う。
『兵は詐を以て立ち、利を以て動く』
――人は得な方に動く……はずなのに?
(兵法が……通じない?)
***
麻里亜はため息をつく。
「あなた、私たちのライブ見たことあります?」
「動画で拝見しました」
「現場は?」
「未確認です」
「推しのことも?」
「……はい」
「私たちのこと、何も知らないんじゃ話になりません」
炎真の胸に、冷たいものが落ちた。
「孫子曰く――『彼を知り己を知れば百戦して殆うからず』
――俺は、何も知らなかった」
「お前は、自分のことも知らないだろ」
雷太が言葉をかぶせる。
***
ひと呼吸おいてから、麻里亜は言った。
「現場に来て、最前で振ってください」
「振る?」
雷太が笑う。
「サイリウムだよ」
「合理性が見えません」
「推しは合理性で語るものじゃないんです」
美香が元気よく言う。
「コールも覚えてください!」
「コール?」
麗奈が補足する。
「MIX」
「混合?」
雷太が肩を叩く。
「詠唱みたいなもん」
炎真は軽く混乱した。
麻里亜は静かに告げる。
「私たちを“推し”として理解してください。
現場に来ること。
ファンの熱量を見ること。
表と裏を知ること。
……それから、もう一度、話しましょう」
「どーも、すみませんでした。
僕が次までに、ちゃんと教えときますから」
雷太の言葉に、炎真は力なく頷いた。
***
小さなライブハウス。
炎真は作務衣姿で立っていた。
周囲はTシャツと法被。
完全に浮いている。
ファンに声をかけられた。
「その服、カッコいいね。あなた、新兵さん?」
「しんぺい?」
「マインマインのファンは“兵士”って呼ぶんだ。
新人だから新兵ね」
仲間たちが笑う。
「寺の跡取りが新兵か」
「面白いの来たな」
開演。
MIXが始まる。
「チャペ、アペ、カラ、キナ……?」
炎真は遅れて小声で復唱する。
「……チャペ?……カラ……?」
(何の呪文だ? お経より難しい)
雷太が、隣で笑いを押し殺している。
***
ステージに麻里亜が現れた。
照明が当たると、表情が一気に変わる。
その瞬間、麻里亜が炎真を見つけた。
ほんの一瞬だけ驚いた顔。
すぐに笑顔に戻る。
炎真は、その笑顔から目が離せない。
何もかもが全力だ。
汗も、声も、視線も。
“理屈”で説明できない熱量。
炎真は思考を止めた。
***
終演後。
雷太に、半ば強引に特典会の列へ押し込まれる。
麻里亜が目の前に来た。
「どうだった?」
炎真は言いかけた。
「想定した動員数より多かった、この分なら――」
「それより、あなたの感想は?」
炎真は沈黙した。
数字以外の言葉を探す。
「……すごかった」
麻里亜は一瞬だけ目を丸くした。
それから、いたずらが成功した子供のように、くしゃりと顔をほころばせた。
「ありがとう」
その笑顔に、炎真の胸の奥が、ライブ会場の熱を閉じ込めたように熱くなった。
***
帰り道。
炎真は、まだ、サイリウムを持ったまま歩いていた。
推し活は非合理。
だが、確かに人を動かす。
炎真は決意した。
“理解してから来い”
ならば理解する。
今度は本気で。




