第1話 戦況分析
本堂に響いていた読経が、静かに終わる。
法要を終えたばかりのだだっ広い本堂には、冷えた空気が漂っていた。
並べられた座布団には、空席がやけに目立つ。
数えていないのに、体感でわかる。
少ない。圧倒的に少ない。
「……今日も少ないな」
この古びたお寺の跡取り息子――真木炎真は、静かなため息とともに経本を閉じる。
去年、大学を出て、今は副住職として修行中の身だ。
――のはずだが、数字を前にすると、僧侶より“戦況分析官”の顔になる。
本堂の隅に置かれた檀家名簿と寄付額一覧。
炎真はそれを手に取り、ページをめくる。
前年比、減少。
その前の年も減少。
その前も、減少。
右肩下がりというより、もはや滑落である。
「……戦況、悪化の一途だな」
誰もいない本堂で、ひとり物騒なつぶやきが落ちた。
そこへ、父の照炎と檀家総代が入ってきた。
二人の表情は重い。いや、重いというより、覚悟を決めた顔だ。
「若先生」
総代が腕を組んで言う。
「若い檀家が増えない。このままでは維持できん。
……若先生の得意の孫子の兵法で、何とかならんですかね」
皮肉八割、期待二割、といった声音である。
炎真は苦笑した。
「兵法は万能じゃありませんよ」
そう言いながらも、胸の奥がざわつく。
自分がSNSに上げている“孫子×仏法”の法話動画――『風林火山』。
再生回数は、ほぼゼロ。
正確に言えば、十二回。
そのうち三回は自分で確認再生した回数だ。
だが、兵法で状況を読む癖だけは、しっかり身についていた。
炎真は名簿を閉じ、深く息を吸う。
「まずは現状把握だな」
高齢層依存。
新規流入なし。
行事の固定化。
広報力、皆無。
頭の中で、淡々と分析が進む。
『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』
――現状を知らずして、打開なし。
寺は己を知らず、客層も読めていない。
いや、そもそも客層という言い方が正しいのかどうかも怪しい。
炎真は結論づける。
「分析が足りない。……それが敗因だ」
彼は“戦況を読む人間”なのだ。
少なくとも、本人はそう思っている。
***
自室に戻った炎真は、ノートPCを開いた。
「寺 若者 集客」
「寺 イベント 成功例」
検索結果をスクロールしていく。
ヨガ。写経カフェ。マルシェ。マインドフルネス体験。
「……なるほど、すでに出尽くしているな」
その中で、ひとつの記事が目に留まった。
――寺フェス成功事例。
音楽ライブ。
キッチンカー。
若者来場。
寄付増加。
炎真の目が、数字に反応する。
「寄付増加……二割増しか」
僧侶の顔が、完全に経営コンサルの顔になる。
「……これは再現可能か?」
寺フェス。
若者。
寄付。
頭の中で、戦略図が組み上がっていく。
動線設計。
ターゲット層。
費用対効果。
「イベント……か」
その瞬間、炎真の中で“戦の火”が灯った。
仏教的に正しいかは、いまは考えないことにした。
***
「寺でライブ?」
檀家総代の息子であり、炎真の友人でもある門前雷太が、目を丸くした。
「何をするんだ?」
「地下アイドルだ」
「は?」
雷太の顔が、完全に停止した。
炎真は淡々と説明を始めた。
「小規模で動ける。ギャラが安い。ファンの熱量が高い。
……つまり、低コストで話題性がある」
「いや、理屈はわかるけどさ」
雷太は頭をかいた。
「どうして地下アイドルなんだよ」
炎真は即答した。
「若年層を動員できるからだ。
だから、アイドルオタのお前に来てもらった」
「雑に使うな」
雷太はため息をつき、スマホを検索する。
「……まあ、紹介できる子たちはいるけどさ。
下心があるんじゃ、うまくいかないと思うな」
「アイドルなど関心はない。純粋に経営改善だ」
炎真は真顔で言い切った。
「それが一番怖いんだよ。
それで人が動くと思ってるなら、だいぶズレてるぞ」
***
雷太がスマホを差し出した。
「この子たち、今一番勢いあると思う」
地下ライブハウスで歌う三人組アイドル――マインマイン。
白を基調にした衣装。
狭いステージで全力で踊る姿。
センターで立つ、紅葉麻里亜。
黒髪ロングをハーフアップにした清楚系で、歌い出すと表情が一気に強くなる。
観客をまっすぐ射抜くような目が印象的だった。
隣には、茶髪ボブのかわいい系・風見美香。
もう一人は、黒髪ショートのクール系・山口麗奈。
歌い出した瞬間、空気が変わる。
麻里亜の視線が、画面越しに炎真まで貫いた。
***
炎真は最初、数字だけを見ていた。
知名度低。
予算内。
現実的。
だが、麻里亜の視線が胸に引っかかる。
ほんの一瞬。
再生ボタンをもう一度押そうとして、指を止める。
(……声の伸び、安定している)
なぜか音程分析まで始めてしまう。
「……動員見込みは、どうなっている」
炎真は、わざと感情を押し殺した。
数字に戻す。
分析に戻す。
だが、胸の奥に小さな熱が残ったままだった。
***
寺の客間。
炎真は企画案を提示した。
「寺フェスを開催します。
地下アイドルを招致し、若年層をターゲットにします」
総代は眉をひそめる。
「アイドルなんて……
失敗すれば檀家の信用を失いますぞ」
炎真は即答した。
「動かなければ、衰退は確定です」
間髪入れずに返したため、総代が少し引いた。
「『軍争は利たり、軍争は危たり』――利を得るが、危険も伴う」
炎真は“危険を承知で利を取る”選択をした。
父・照炎は静かに言った。
「孫子を知る良い機会になるかもしれないな」
(孫子を知るって?
俺の卒論が『孫子と仏教』だって忘れたのか?)
炎真は一瞬、違和感を覚えた。
だが、父の穏やかな目に、それ以上は言えなかった。
***
「照炎和尚がそうおっしゃるなら、若先生にお任せします」
炎真は、満足そうに頷いた。
「やれやれ、寺が遊び場になるのか。
ご先祖様に申し訳ない……」
総代は小さくため息をついたが、炎真は気に留めなかった。
炎真はその場でライブハウスへ連絡し、面談日を取り付けた。
電話を切ったあと、再び麻里亜の映像が脳裏に浮かぶ。
あの真っ直ぐな視線。
炎真は首を大きく振る。
「感情はノイズだ、排除すべき存在。
これは戦なのだ」
ノートPCを引き寄せ、動員予測のグラフをもう一度開いた。




