3- 32 悪霊にビンタする効果
涼子と良子という2人の霊が成仏して消え去った。その直後に現れた、中年男に取り憑いていた悪霊である長髪男も、結羽に触れた直後に消え去った。
幽霊たちが消え去った森の県道脇には、結羽と可南だけが残された。
しかし、もう一人、残っている。それは、長髪男に憑依されて可南を襲った中年男だ。中年男は、県道脇の森の中で気を失って倒れている、はずだった。
結羽は、森に顔を向けた。その先には、中年男が倒れている。
「可南さんを襲ったおじさん、まだ動きがないですね」
可南は無言のまま、結羽が見つめている森の奥を警戒しながら見つめた。
「憑依される前は、普通だったのに······」
可南が呟くと、結羽は頷いた。
「霊に憑依されると、全く人格が変わっちゃいますからね。それにしても、YouTubeで流した不動明王真言のお経、少しは効いたみたいで良かった」
「少しは? お経のおかげで悪霊が退散したわけじゃなかったの?」
結羽は可南に顔を向けると、はにかんだ笑みを浮かべた。
「動画のお経だから悪霊退散っていうほどの力はないはず。例えるなら、悪霊にビンタした程度かも」
「ビンタ?」
可南は思わず悪霊がビンタされる場面を想像してしまい、クスッと笑った。
「不動明王真言というお経と、可南さんに渡した黒曜石のお守りが悪霊に効いたんだと思います」
結羽が発した「黒曜石」という言葉を耳にした可南は、思い出したような表情を浮かべると、首からぶら下げている黒曜石のネックレスを握りしめた。
「結羽さんが私に貸してくれた黒曜石が私を守ってくれたんだ。そうだ、結羽さんへの依頼は達成されたんだから黒曜石を返さないとね」
可南が黒曜石のネックレスを首から外そうとしたとき、結羽は声をあげた。
「あ、まだ返さなくて大丈夫です」
「どうして?」
可南は、外しかけた黒曜石のネックレスを元の位置に戻した。
「まだ、やることがあります」
「結羽さんへの依頼は、一緒に女井戸トンネルを訪れて、涼子が悪霊ではなかったことを知ったことで完了されてるはず。しかも、涼子を成仏させてくれたんだし」
可南の言葉に、結羽は頭を掻きながら照れた表情を浮かべた。
「成仏は、私の力じゃないんですけどね······」
「同じことよ」
可南は笑みを浮かべながら言った。
結羽は、可南の愛車である青いハスラーに近づくと、艶のあるボディに優しく触れた。
「可南さん。もう少しだけ私に付き合ってくれませんか?」
「もちろん。私は、結羽さんを東京まで送らないといけないからね」
「ありがとうございます! 実は、あと1つだけ確認したいことがあるんです」
結羽は、そう答えながらハスラーを見つめた。その素振りに気がついた可南は、結羽の意図に気がついた。
「分かった! 女井戸トンネルの近くで動画配信者たちが起こした事故について調べるのね?」
「はい! もしそれが別の悪霊による仕業なのなら、今後のためにも対処しなきゃと思って」
結羽の説明に可南は納得して何度も頷いた。
「うん、私もそう思うよ。さっそく、車で向かいましょう!」
さっそくハスラーの運転席側へ回り込もうと動き始めた可南を、結羽が制した。
「車で行くのは危険かもです! もし本当に悪霊の仕業なら、可南さんも巻き込まれてしまうかもしれないです」
「そっか。じゃあ、歩いていくしかないね」
「はい。ただ、事故現場が分からないんですよね······」
結羽は、森に囲まれた県道の下り坂を見つめながら前途多難を思ってため息をついた。
ガサガサッ!
そのとき、突然、県道脇の森の茂みが大きく揺さぶられる音が響き渡り、結羽と可南を驚かせた。2人が反射的に森に顔を向けると、そこには逞しい両腕を晒した中年男が立っていた。
中年男は、目の前に可南が立っていることに気がつくと呆然と見つめ、首を傾げた。
可南は警戒しながら身をこわばらせ、結羽は中年男の目を見据えた。
「ああ。さっき俺の車に乗せた女の子じゃないか。それなのに、気づいたら森の中で寝ていたんだけど、なんでなんだろ?」
中年男は、そう言うと頭を左右に振った。
「何も覚えてないんですか?」
「あんたを車に乗せて女井戸トンネルに入ったことは覚えてるんだけどな。そっから先の記憶がないんだ······」
可南は、中年男には悪霊に憑依されてからの記憶が無い、と判断すると、警戒心を解いた。
中年男は、結羽に顔を向けた。
「あんたは、誰?」
「私は、その人の友人です」
中年男に尋ねられた結羽は、可南を見やりながら答えた。
結羽は、中年男には悪霊が取り憑いていない、と判断すると、可南に笑みを向けながら軽く頷いた。それを見た可南も同感とばかりに笑みを浮かべた。
中年男は、可南と結羽を交互に見ると、若い女性にかっこよく見られたいのか、急に背筋を伸ばした。
「じゃあ、俺は行くから。気をつけてな。つい最近も、この先で事故があったばかりだからな」
中年男は、そう言いながら県道脇に停めている小型車に向かって歩き始めた。その言葉を結羽は見逃さなかった。
「おじさん! 事故のこと知ってるんですか?」
中年男は振り向いて結羽を見つめた。
「知ってるも何も、そのうちの1つに俺も関わったからな」
結羽と可南は真剣な表情で顔を見合わせると、チャンスとばかりに大きく頷いた。
(つづく)




