7 我慢と限界
こんな田舎へ引っ越しに来る人は珍しい。
どの家に誰が住んでいるのか皆知っている。
お隣が挨拶に来た時に父と楽しそうに話していた。
管理職をしていて転勤の多い会社だそうだ。
短くて半年の予定で引っ越してきたと言っていた。
そこに元気なよく通る声も加わった事を今でも耳に残っている。
「はじめまして!」
「おやおや。利発そうなお嬢さんですね。 はじめまして」
「好奇心が強くて困ってしまう程ですよ」
「困ってないくせに良く言うわ!」
「澪!」
「寿澪です。 今度遊びに来てもいいかしら?」
「半田久史です。 いつでもおいで」
「ありがとう」
二階の階段の上から笑顔で礼を言って帰っていく姿を見ていた。
とっても可愛い笑顔で誰とでも話す少女だった。
「高校生の息子がいるんですが大人しい子で部屋に籠ってばかりですよ」
「男の子は、その位が丁度いいんじゃないですか? 娘は宿題もリビングでするくらい私達にべったりなので、私が子離れ出来るか今から不安ですよ」
「ははは。 妻が畑の世話が好きで夏野菜いっぱい取れるので今度持っていきますよ」
「では、その野菜を使って一緒に夕食でもどうですか?」
「いいですね。 美味しい日本酒もあるんで是非」
父は、上から俺が見ていたことに気付いていたようだ。
お隣さんが帰った途端に父と視線が合う。
「久了! そこにいるのなら、下りてきて挨拶くらいしなさい! 10歳でも出来る事を何故お前が出来ないんだ!!」
また怒鳴っている。
人の顔を見る事が好きだ。
好きだから、見ない様にしている。
見てしまうと、思わず触りたくなる。
昔、気持ち悪い。
変だ。
そう言われた。
よく分からなかった。
人との適切な距離感。
その点、動物はいい。
餌付けしていれば大丈夫だ。
どんなに見ても。
どんなに触れても。
言葉がなくても心を許してくれる。
なんて可愛いんだろう。
ただ何を言っているか分からない。
とっても残念だ。
もっと色んな鳴き声を聞きたい。
もっと僕を興奮させておくれ。
「澪ちゃん」
君はきっとイイ声で鳴いてくれるんだろうな。
ドカドカドカ
バンッ
「久了!! お前がやったのか!?」
「何を?」
「しらばっくれるんじゃない!!」
「ああ。 去年のこと?」
「やっぱりお前なのか?」
「猫をみたんだろ?」
「そうだ。 使ってなかった倉庫から大量の骨が…!?」
「猫に飽きたから。 ただそれだけの事だよ。 あんなに大騒ぎになるなんて思ってなかった」
「もう限界だ! 子供の頃から変わっていると思っていた。 ただの人見知りのせいだと思おうとしてきたが…。 目が合った時のお前は嬉しそうに隠れたりせず、怖いほどに凝視する」
父が僕の座っている椅子を回し、僕の髪に触れて、前髪を掻き上げる。
「警察へ行こう!!」
人との至近距離は久しぶりだ。
思わず、父の顔に手を振れる。
ゆっくり喉元まで手を掛ける。
思わず恍惚の笑みが漏れる。
そのまま左手に力を入れて、父を押し倒す。
ドゴンッ
ガターンッ
椅子が倒れてキャスターがカラカラ回転する。
喉元を押し潰され、呼吸が出来なくなる父の姿をうっとりと眺める。
「ああ。 ずっと、ずっと、こうしたかった」
手足をバタつかせる父親。
狭い部屋の本棚が倒れる。
バサバサバサッ
グァターンッ
「もう僕も限界だ! 我慢しないよ」
バタついていた父の手足も静かになる。
目、鼻、口から溢れ出て来るものを眺めながら僕は微笑む。
騒音に駆けつけた母がその光景に廊下で腰を抜かす。
「今日は記念日だよ。 母さん」
「やっぱり…お前は…」
「ああ。 一番最初に僕を気持ち悪いって言ったの。 母さんだったな」
必死に一階へ逃げる母。
「だって! お前は開いていい? そう何度も尋ねるんですもの!!」
「ああ。 見た方が早いと思ったんだ」
四つん這いになって、必死に電話の方へ逃げていく母。
「懐かしいな」
思い出しながら、邪魔な前髪を掻き上げる。
「牛乳はどう作られるの?」
母の後ろをゆっくり追いながら、昔の質問をする。
「猫のお腹はどうなってるの?」
母が電話に手を掛ける。
「鼻の奥はどうなってるの?」
必死にボタンを押している母を見ながら、コンセントを抜く。
「口の奥は?」
母が抵抗して色んなものが飛んでくる。
植木鉢が窓ガラスを割った。
ガシャーンッ
母に近づき後ろから羽交い締めにする。
「母さんのお腹はどうなってるの? 開いていい?」
母の口を押え、カッターの刃を伸ばしていく。
カチカチカチカチッ
とっても楽しい一日だった。
でも楽しい日が終わるのは早い。
翌日の夕方、窓越しに澪ちゃんが見えた。
最近、裏道を良く通っている。
今日も可愛い。
君に触れたい。
君の匂いを嗅ぎたい。
君の鳴き声を聞きたい。
もう我慢しなくていい。
倉庫とウサギ小屋に行って、君と遊ぶ方法をゆっくり考えよう。
今までを思い出しながら、したことのないことをしよう。
澪ちゃんと何して遊ぼうかな。
「美味しい!!」
「たこ焼きなんて久しぶりだよ。 色んなものが入れられていいね」
「ちらし寿司や手巻き寿司の方が良いかと思ったんだけど、どうせお父さんも隼さんもお酒飲むだろうしね」
「そうそう。 ご飯余るのよねぇ」
「次、コーン入れたい!」
「じゃぁ、ウインナーとチーズも入れちゃいましょう」
「おっ! パパもそれ食べたいな」
「じいちゃんも食べるぞ」
「本当!? 澪回す!! 失敗しても絶対食べてよね」
「「もちろん」」
二人して声がハモリ、賑やかに笑い声が響く。
夜風が隣の食卓の良い匂いを運んでくる。
暗い部屋でゆっくりと隣の家を眺める久了。
今まで視界を隠していた前髪をしっかり掻き上げて、見つめ続けていた。
「最後の夜を最高の夜にしよう」




