最終話
「アル、一緒に暮らさないか?」
飛び出しかけていた罵りの言葉が。
「・・・・はあ!?」
ひっくり返った甲高い声になった。葵は眉を寄せる。
「お前、一世一代のこの場面でその奇声はなんだ」
「なんだとはなんだ!?自分の唐突さにいつでも俺がついていくと思うなよ!?」
「ああ・・・そうか?」
納得したように肯き、葵は考え込む。
そしてゆっくりと言葉を紡いだ。
「つまり・・、お前と一生一緒になるには俺しかいないだろう?」
「・・・はあああああああ!?」
思い切り引き伸ばす、小莫迦にしたニュアンスの返答をしつつも、アルはなんとなく葵の意図を悟っていた。信じられないけど、きっと、間違いない。それは昨夜のこともあるかもしれないけれど。この嘘くさいまでに真面目な顔つきで、訳の分からない理論を展開するのは、要するに照れているのだと思う。長い付き合いだから分かる。
「あれや、何言うてんの、お前。つまり、の意味が分かってへんのとちゃうか。全然つまってへんし。もっと、端的に言え」
呆れたフリで視線を外す。胸が苦しい。
どうして、とか、何で急に、とか、聞きたいことはあるけれど。
もし葵の口から一言でも望む言葉を聞けたなら。理由なんてどうでもいいと思った。
ああ、泣いてしまう。アルはワンピースの裾をぎゅっと握った。
葵はその手をゆっくりと、まるで大切なものを扱うかのように掬いとる。そして、告げた。
「アル、好きだ」
優しく触れてくる少しかさついた掌。大事なものを包むような、眼差し。逃げられない。友情からはみ出している。その覚悟を決めた瞳を睨みながら。
「ちっくしょう、葵・・・お前!」
「うん」
深みを帯びていく眼差しにアルは泣きそうになるのを必死に堪えた。
「いいか、お前から別れようとかは絶対許せへん、いいか!」
「いいよ。嫌いになっても我慢するさ」
そんな日はこないことを葵は知っている。出会って十年にもなると言うのに、未だこんなに葵を惹きつけて止まないのだ。きっとずっと。いつまでもこの引力に逆らえないままだろう。
「当たり前や、終わるときは俺からやぞ、俺がええて言わんかったら、絶対離れんな!」
怒ったようなアルに堪らなくなる。手を引いて腕の中に閉じ込めた。泣きたいような、大声で笑いたいような気分だ。さらりと柔らかな髪が頬を掠める。
あのマフラーと同じ、アルの匂い。それが今、腕の中にある。アルそのものが。
その現実に、葵は腕に力を込めた。
「強烈。さすが画家だな、自分の単純さが恥ずかしいくらい、最高の告白だ」
おどおどと背中に回される腕に、笑みが零れる。その怯えごと愛してる、と言ったらどんな顔をするだろう。
「一秒先ですら未来は見えない。なあ、アル」
「・・いきなりなんや」
「特別な誰かを作ることに勇気が必要だろう?お前は失う怖さを知っているから尚更」
「ええんや、失うもんが増えるのは、幸せやって今気付いたから」
そう言って、泣きそうに笑うアルがどうしようもなくて。溢れ出した感情はまるで奔流のようで。
「愛してる」
どちらの囁きか分からなかった。ただ、互いに互いを愛しいと感じた。
そしてそれを打ち明けられる。それはとても素敵で、なんて幸運なことなのだろうと、アルは葵の腕の中でそう思った。お互いを探す道行そのものを、人は愛と呼ぶのだろうか。
なら、これはふたりで始めたばかりの愛だ。ひとりではない。その恐怖と幸福に、アルは葵の腕の中で泣いた。静かに、嗚咽すら零さず。ただ静かに涙を流した。
葵は何も言わず、抱き締める。アルの涙の意味は分かっていた。だからこそ、何も言わなかった。浮かぶ言葉全てが、余りに陳腐すぎて。静かに涙を流すアルが綺麗すぎて。
頬を伝う雫を舌で舐め取る。葵は、思いの他小さく細い身体を抱き締め、息を吐く。
きっとこれからも、幾重にも重ねられていく絵の具に。孤独を見出すことがあるだろう。だが、全て知る必要はない。
恋や愛は夢でも理想でもない、生身の人間同士の厳しい現実だ。自分の思う通りには決していかない。それに耐えられるかどうか、それが関係の分かれ目なのだろう。
だからこそ葵は、それでいいと思う。多分、隠された部分は、一生見えないままだろう。知ることがないものが存在するということ。
それを、一生忘れられないでいるだろう。それでも、それを包括して尚、アルのことが愛おしい。
そして今アルが見せた、愛する者の本質に。切ないほどの幸福を知った。
導くことが出来なくとも、せめて暗闇の中ひとりにならないよう。この腕の中の存在が、生まれ変わるのでなくていい。全てを内包したままでいい。最も暗い闇の世界で、一番初めに出会えるように。いつだって暁の方向にいる。
そうして、葵は窓に広がり始めた漆黒の闇路を辿る。
「ひとりじゃない」
そう呟くとアルは、震える指先で手を握ってくる。力強く葵は握り返した。
恐れるなら、怯えるなら、何度でも繰り返す。
「もう、ひとりにはなれないんだ」
覚悟しとけと葵は告げる。それに、アルが笑う気配がした。
そうだ。ひとりになど、させない。闇路になど、置き去りにしない。
葵は、広がる暗い夜を睨みつけた。このムーンリバーサイドが三途の川のものであっても、葵は絶対にこの手を離すつもりはなかった。
それが遅すぎる恋に落ちた、己への罰だなんて想わない。
恐怖も不安も近く、多分等しい。それならば、もし同じであるというのならば。違いは、恐れないという心構えなのだろう。
むしろ、それは歓喜に近かった。
これにて完結です。
気づけば二十話を超え、お付き合いくださった皆様には心よりお礼申し上げます。
皆様のおかげで書き終えることができました。
本当にありがとうございました。
まあ、長く友人関係を築いてきた二人が恋人関係に慣れるにはすったもんだありそうですし。
神崎もこのままだと世話焼きおばさんみたいなので、阿部とどうこうなって欲しい親心もありますし。
そもそも二人の出会いって美化されてるんじゃないの。
などなど、書きたいことがまだ少しありますので、もしお付き合いくださる方がいらっしゃいましたら今後ともよろしくお願いいたします。
それでは、最後になりましたが。
ここまでお読み下さり誠にありがとうございました。
またお会いできればうれしく思います。




