第二十三話
「腹減ってるか。メシでも行くか」
時計を見ると、もう昼が近い。朝も食べていないアルは、そろそろ空腹で機嫌が悪くなる頃だ。
「・・それより先に、何か説明する気はないんかい」
「説明?いや別に。お前、前の服捨てちまったみたいだから」
「理由になってへん。それで何でお前にわざわざ連れ出されて買うてもらわなあかんの」
「だってお前、そういう服が好きだろう?」
アルがちょっと目を見開く。ふたりは駐車場に入ると、葵の車を目指した。助手席に乗ってからようやく。
「金、払うから」
「別にお前が自分で買えないと思ってる訳じゃない」
「分かっとるわ、阿呆。理由がない言うてるんや」
葵はしばし間をとった。多少の迷いがあったが、正直に口にする。
「好きな服を好きなように着て欲しかった。それでは駄目か?」
駄目やないけど、とアルが呟く。
「何でこんなやり方なんや」
「買ってやると言ってお前が素直についてくるとは思えない」
「どういう意味や、コラ。・・別に俺かて、そのうち買いに行こうかな思うてたんや。お前は行動が早すぎんねん」
「そうか?」
「そうや」
「そうか。何だか早く、お前らしくなってくれればいいと思った」
曖昧ながら、自分の行動を振り返ってみてそう思う。焦ってでもいるような強引なやり方は、普段の自分にはないものだ。何故だろう。
しばし、沈黙が車内を満たす。車は郊外の、小さなレストランに向かっている。
「葵」
「ん?」
「前見て運転せぇ」
反射的に顔を前に戻す。アルが溜息をついた。
「葵、俺はな。確かに家族のために兄さんみたいになろうとした。・・・いや、家族だけやないか。神崎さんや、・・・俺のためにもやな。兄さんが死んだ時、ずっと泣いてた母さんが俺を見て笑ったんや。」
・・・俺はそれが嬉しかった。消えそうな告白。
そして、言葉が途切れる。アルの、浅く呼吸をする気配が車を満たす。葵はその言葉に耳を傾ける。ただ、誰もが愛し方を見失って間違ってしまったのだろう、そう思った。愛したことに変わりはないのに。
「それから、兄さんの真似を始めた。ずっと、それこそ学生ん時からずっと、君の前でもそうやった。それでも、俺は演技しとった訳やないと思うねん。――前向けったら!」
また流れかけた顔を、アルの手が強引に頬を押して前に戻す。
「四六時中誰かのフリするなんて、無理や。君なんてずっと一緒やんか。酔っ払ったり、落ち込んでたり、浮かれすぎて鴨川に落ちかけたり」
「あったな、そんなこと」
「そういう時に、自分を曝け出せへんなんて、そんな辛いことに俺が耐えられる筈ないやんか。そんなん有り得へん。俺は君の前で・・俺らしくいられたことが嬉しい。こんなんよう言わんけど、ええもん買うて貰ったしな」
ふざけるように付け足された最後の言葉は、葵の耳には余り入ってこなかった。ただひたすら、込み上げてくる気持ちと戦っていた。解ったのだ。
性急に服を買い与えたことも、学生時代を無闇に思い起こしていたことも、アルの言うようにそれが演技だと感じていたからだ。長い時間を過ごし、作り上げてきた関係が、全て偽物であったという考えに取り付かれ。ならば早く本来のアルに戻り、またやり直したいと思った。早くしないと間に合わない。本当のアルに間に合わない。
「葵?」
けれどもし、過去の全てを否定しないでいてくれるなら。
「なんやねん、黙り込んで」
「いや、お前が洗濯嫌いなのも、締め切り前に三日も風呂に入らないのも、レトルト大王なのも、全部ありの侭なんだなと思ってさ」
アルはゆっくりと前を向き、ごく真面目な口調で答えた。
「はい、そうです」
葵は久しぶりに、声を出して笑った。
雰囲気の解れたふたりは、到着した店内で上手く席を見つけ、食事にありついた。昼時までまだ間があるせいか、人もまばらな店内。早々に平らげて、腹がくちくなったら今度は眠くなったらしいアルに苦笑し、帰ることにする。並んで立ったレジ脇に、今までなかったテーブルが出してあることに、アルが気付いた。
「おお!」
どうやら店主手作りの菓子らしい。小さなマドレーヌや、クッキーなんかがどっさり積み上がっている。アルがふらふらと引き寄せられていく。
「葵、ちょっと待て!しばし待て!」
「・・・申し訳ない」
そう言って、レジを待って貰う。嬉々として菓子を選んでいるアルを、レジの女性は嫌な顔ひとつせず待っていてくれる。もしかしたら彼女の手作りなのかもしれない。ふくよかな身体をした彼女の手は、甘い生地をこねるのがとても似合っている。にこにこしながら、彼女は。
「甘いものがお好きなのねえ。全部ふたつずつ」
「ああ・・私も好むからでしょう」
「あらあら、まあまあ」
ご機嫌で戻ってきたアルを見ながら、ますます破顔する。
「でもおふたりともお痩せになっているのねえ、羨ましいわ。ねぇ、とっても可愛らしい奥様ですものねえ」
二度目だったので、葵は動じなかった。すぐ横で動揺しているアルを尻目に。
「ありがとうございます」
そう言って、笑った。例えば段差で手を貸したり、ドアを開けてやったり、荷物を持ってやったり――昔からずっと自分達はそんな風にして過ごしてきたのではなかったか?
そう、とても大切にしてきたんだ。とても。
ラストスパートです。




