第二十二話
葵はマンションで朝寝を貪っていたアルを連れ出し、ベンツの助手席に押し込んで車を出した。まだ寝起きのアルは、訳が分からないまま隣にぼんやりと乗っている。
もう少し目が覚めたら、盛大に文句を言われるだろう。と、アルが葵の煙草を勝手に奪って火を点けた。
「なあ、どこ行くんや」
「いいからほら、降りた降りた」
駅前の立体駐車場に車を入れた葵は、アルを急きたててエレベーターに乗り込んだ。
人の流れに乗って歩き、小綺麗なアーケードが連なる一角の、やけに白い壁が目に付く店内に入る。ゆったりしたスペースに、少ない商品。モダンでございますといった風のインテリア。服屋としてやっていけるのかどうか甚だ疑問ではあったが、神崎の薦めなのだからまあ大丈夫なのだろう。
「いらっしゃいませ」
そつのない上品な声がかかる。出てきたのはアルと同年輩と思われる女性店員だった。
開店直後、しかも平日の朝ということもあるのか、他に客はいない。店員は直ぐに葵が誰が誰だか分かったらしい。にこりと笑う。
「葵様ですね?神崎様から伺っております、お待ちしてました」
そう言ってから、葵の背後に半身を隠しているアルを眺めた。不躾にならない程度に観察している視線だが、当のアルは居心地が悪いらしい、もぞもぞと更に葵を盾にする。
「おいこら、どう言うことや。神崎さん?神崎さんて何や」
押し殺した声は怒っていたが、半ば戸惑いも滲み出ている。葵は何と答えたものか悩む。明確な理由があるのに迷うのは珍しい。自分のそういう変化を、葵は嫌いではなかった。その僅かな隙に、不意に店員が数字を三つ、呟いた。
背後でアルが驚愕する気配がしたが、それをものともしない様子で、店員は身を翻して店内を飛び回り始める。
そしてあっと言う間に両腕一杯の服を集めると、最初に迎えてくれた店員がさっとアルの横に立つ。
「さあ!」
「へ?」
「さあさあ、どうぞあちらへ!」
「へ?」
へどもどしているアルはどうも状況がよく掴めていないようだが、店員は全く気にする様子もなく、笑顔のまま歩き出した。何となくつられてアルもそちらへ歩く。
アル相手に有無を言わせぬ対応、見事だ、と葵は感心した。
一番奥にあるフィッティングルームに連れ込まれたアルは、それから一時間ほども出てこなかった。正確には出てくることさえ許されなかったと言えるだろう。
軽い拉致監禁だ。犯人である店員達だけが、時折出てきては違う服を見繕い、ショウウィンドウからアクセサリを根こそぎ掴み取り、或いは中央の大きなテーブルから化粧品を熱心に選んでは、また戻っていく。公式の仕事以外で、禁煙場所にこんなに長くいるなど正気じゃない、と葵が自分を責めだした頃、ようやく奥からアルが出てきた。
「葵ぃ・・・貴様、覚えてろ」
恨み言を取り合えずひとつ。
それでも、言葉ほどに機嫌は悪くない。長い付き合いでそれが分かる。
しかし傍らの店員も満足げに笑っている。案外、分かりやすいのかも知れない。
葵は、洋服のことなどよく知らない。ファッションにも疎いし、化粧や髪型なんてものには金輪際、興味を持つこともないだろう。けれど、柔らかそうなワンピースが色素の薄いアルによく似合っていることは分かる。
「いかがです?」
じれったそうな口調で店員が聞く。
「ああ」
「・・・ああ、で、ございますか?」
「うん。支払いはカードでいいか?」
「はあ・・・」
辛うじて笑顔を保っているような店員が、葵をキャッシャーに案内する。ぶらぶらと店内を見回っているアルを横目で見ながら、小声で会話を交わす。
「ええと、着て頂いているものの他に何点かお持ち帰りと、お伺いしておりますが」
「ああ。適当に頼む」
「試着して頂いたものの中から、奥様のお気に入られた数点を選んでおきましたので」
どうせ見せても無駄と思ったのだろう。綺麗にたたんで次々と紙袋に詰め始める。
奥様?
しばし絶句してしまった葵には、ちょうど良いタイムアウトだった。服飾品にかける金額としては生涯でも破格の値段をカードで払い、総出のお見送りを受けながら外に出る。アルは押し黙ったままだ。
もう少しで完結します。




