第十四話
アルが葵の研究室を訪れたのは、その数日後のこと。師走まで残り僅かとなり、余りの忙しさに葵の心身が日々疲弊し始めていた、そんな最中の出来事だった。
突然の訪問に、葵は驚いた。
しかも晴れ晴れした妙にすっきりした笑顔でアルは、挨拶の言葉よりも、皮肉の応酬よりも、何よりも前に。扉を開けるなり、無言の笑顔で葵が座るデスクまで歩み寄ってくる。なんだ、何が始まる?内心警戒した葵に、アルはまるで世間話をするかのような気軽さで。告げた。
「俺、葵のこと男として好きや」
一瞬、何を言ってるのか、アルが何を口にしたのか。意味が分からなかった。理解不能だった。頭の中が真っ白になった。相当、間抜けな顔を晒していただろう。
予想としていなかった、まったく想像外だ。
しかし、冗談にするには言葉が余りにも鮮鋭過ぎた。
それでも、だからこそ、頭は答えを出そうと回転し始めていた。
そんな葵を、アルは静かに穏やかな眼差しで、笑っている。
何故だろうと、葵は思う。目の前の人間がこんなにも優しい笑みを浮かべているのに、何故こちらの心臓をこうも乱暴に突き刺してくるのだろうか。息苦しく喉を塞ぐのか。目を、焼くのか。アルはただそこに立っていた。眩い彩りも熱も持たない、月のように、全てを引き寄せるような、そんな引力を身に纏って。
「何がしたいとか、求めてない。期待もしてない。だからそんな悩まんでええ。ただ、好きやってだけ。それだけの話や」
葵は、その言葉に奥深く身体を支配される。
そして、ひたすらに穏やかなアルに、気付く。
「お前とどうにかなろうなんて考えてへん」
答えを、望まれていないことに。その事実に言葉を失った。言葉どころか、音も発せないままの葵をそのままに、回れ右をしてアルは研究室のドアノブに手を掛けた。
肩越しに笑いながら、葵に視線を送る。
「印刷会社の子に振られた時は精々笑ってやる。友人としてな」
いつも通りのアルがそこにいた。穏やかにゆったりと笑い、確かな重圧感を持って存在していた、先までのアルは微塵も残さず。長年知っているアルが笑って立っていた。
「ほんじゃ、邪魔したね」
ひらりと手を振り、来た時と同じように帰っていった。まるで嵐のように。残された葵は、しばらくの間動けずにいた。
夜の帳が、静かに下りてくる。
(ああ、電気をつけなければ)
そう分かってはいても、身体が動かない。葵の背中では闇が広がりだす。静寂が、室内に漂う。
(アルが、俺を・・?)
それを破る音は、未だ発せられないまま。
孤独の闇、その沈黙が呼ぶのは誰の名前なのだろうか。




