第十二話
アルの心は穏やかだった。隣の葵は、時々我侭を言うベンツのエンジン音を慎重に聞いているらしい。アルはその気配を感じながら、見慣れた家までの道を新しいもののように見ていた。胸の中に混じり合う痛みと甘さ。それらがゆっくりと攪拌されてひとつになっていく。諦めにとても似ている。けれど、明らかに似て非なるこの感情。
名づけるとすれば覚悟と呼べるのではないかと思う。
―――アルがいればそれでいい。
その声音、その表情を、大事に胸に仕舞う。それは男としての愛ではなかった。けれど率直な葵の言葉を聞いた瞬間に、泣きそうになった。鳩尾がぎゅっと鷲掴みにされたように熱くなり、息が苦しかった。抱き締めて欲しいと思った。葵への思いが一気に溢れた。自分の中身が全部流れ出してしまうのではないかと恐れた。
この身体を。小さなこの身ひとつを、葵が温かな腕で捕らえてくれたらと、そんな思いが強烈に湧き上がってきていた。
「そういう君は、印刷会社の女の子とどうするん?」
葵がぎょっとする。その顔が可笑しくて笑ってしまう。
「何でどいつもこいつも・・・!」
「あはははは、学生さんのネットワークは凄いで、あれはプロや」
「そのネットワークに何でお前が組み込まれてんだよ」
「何かと役に立つねん。お付き合いし始める報告はいらんで、そりゃ迅速にお知らせが回ってくるんやからな」
しらっと言ってのける。葵は口の中で罵りながらアクセルを踏み込んだ。ああ、否定はしないのだなと思う。けれどもういい。個展のことを教えなかったのは、いっそ疎遠になるのも良いと内緒で考えていたからだ。それを、今ははっきりと跳ね除けられる。葵が自分を大切な友人として位置づけしてくれている。葵の言葉が教えてくれた。はっきりと真っ直ぐに伝えてくれた。だからそれでいい。葵が誰かと幸せになり、今とは違う人生を歩むようになるそんな未来にも、自分は黙って傍に居る。友人として、よき理解者として。許される限り近いところで生きていくのだ。きっと悪くない。流れる車窓が少し滲んだが、ただそれだけのことなのだと思う。




