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第九話 別れ


 季節は、少しずつ流れていった。


 春が過ぎ、夏が来て、やがて風に冷たさが混じり始める。その間も、ルークとユノの日常は大きく変わらなかった。


 朝は、ガルドとの剣術訓練から始まる。


「遅ぇ」


「うっせぇ……!」


 木剣がぶつかる音。ルークが地面に転がる音。そこへ飛んでくる、ガルドの容赦ない声。


 それはもう、毎日のことだった。


 昼になると、ルークは川辺で魔力制御の訓練を続けていた。


「……っ」


 灰銀色の魔力が、指先から滲み出る。以前より、少しだけ長く留まるようにはなっていた。


 けれど、まだ形にはならない。火も起きず、風も起きず、何の現象にも変わらない。ただ灰銀色のまま、頼りなく揺れている。


「また消えた……」


 ルークが肩を落とすと、隣からユノが静かに言った。


「前より長い」


 白金色の髪が、風に揺れている。


 ユノもまた、訓練を続けていた。空中へ浮かぶ白煌色の魔法陣。その中心で生まれた小さな光弾は、以前よりずっと安定している。


 光を集め、前へ飛ばし、淡く発光させる。少しずつ、扱えることも増えていた。


「おお……」


 ルークは素直に感心した。何度見ても、やっぱり綺麗だった。


 ユノは少し照れたように視線を逸らす。


「まだ失敗する」


「いや十分すげぇって」


 ルークが笑うと、ユノも少しだけ笑った。


 そんな日々が続いていた。まるで、これから先もずっと変わらないみたいに。


◇


 何度も訓練を繰り返しているうちに、ユノの額へ薄く汗が滲んだ。


「……っ」


 息を整えようとした、その一瞬。


 集中がわずかに逸れた。


 術式の輪郭が揺れ、淡い光が端から霧のように散りかける。


 その時だった。


 少し離れた場所で訓練していたルークの灰銀色の魔力が、ふわりと流れた。


 引かれるように、ユノの白煌色の術式へ触れる。


 混ざった。


 ほんの一瞬、灰銀色の魔力が白煌色の光へ溶け込む。


「……えっ?」


 崩れかけていた術式が、静かに持ち直した。


 ユノは小さく目を瞬かせた。


 不思議だった。今のは、何だったんだろう。


 ちらりと隣を見ると、ルークも自分の指先から滲む灰銀色の魔力を見つめていた。


「……なんだったんだ? 今の?」


 思わず、そんな言葉がこぼれる。


 けれど、答えは分からない。ユノにも、ルークにも。


 だから、その違和感はお互い口にしないまま、静かに過ぎ去っていった。


◇


 数日後。


 リーベルへ、再び学園の使者がやって来た。


 以前よりずっと丁寧な馬車に、街の人達もすぐ気づいた。


「またユノちゃんか」


「今度は正式な話らしいぞ」


 そんな声が聞こえてくる。


 ルークは少し離れた場所から、その様子を見ていた。ユノの家へ使者達が入っていき、しばらくすると、街中へ話が広がった。


「特待生だってよ」


「やっぱりなぁ……」


「光属性だもんな」


 みんな嬉しそうだった。誇らしそうでもあった。


 リーベルから、セフィリア魔法学園中等部の特待生が出る。それは、街全体の自慢みたいなものだった。


 ルークも、本当に嬉しかった。


 ユノは凄い。


 それはずっと知っている。


 でも、胸の奥が少しだけ重かった。


◇


 その日の夕方。


 いつもの川辺で、ユノは少し静かな顔をして川を見ていた。


「……決まった」


 ぽつりと、ユノが言う。


 ルークは隣へ座った。


「中等部?」


 ユノは頷く。


「特待生だって」


「そっか」


 短い返事だった。


 でも、それだけで十分実感してしまった。


 ユノは、本当にセフィリアへ行く。


「来年の春」


 ユノが続ける。


「家族で、セフィリアへ移住する」


 ルークは少し黙った。川の音だけが、二人の間に流れていく。


「……そっか」


 もう一度、小さく呟く。


 分かっていた。いつかこうなるって。


 ユノは、ずっと特別だった。光属性で、魔力量も多くて、学園からも期待されている。


 全部、最初から自分とは違った。


 けれど実際に聞くと、思ったより胸が苦しかった。


 ユノは少し不安そうに、ルークを見る。


「……ごめん」


「なんで謝るんだよ」


 ルークは苦笑した。


「お前が凄いの、知ってるし」


 それは本音だった。


 嫉妬じゃない。悔しさはあるし、焦りもある。けれど、ユノに対して嫌な感情はなかった。


 ただ、置いていかれる気がした。


◇


 その日から、ルークはさらに訓練へ打ち込むようになった。


「……っ!」


 灰銀色の魔力が空中へ溢れる。維持しようとして、失敗して、霧散する。


「もう一回……!」


 また魔力を出す。失敗し、暴発し、手が震えても、それでも止めない。


 昼も、夕方も、日が落ちても、ルークは訓練を続けていた。剣術も止めず、木剣を振って、転んで、立ち上がって、また振る。


「休め」


 ガルドは、一度だけそう言った。


 でも、止めはしなかった。ルークが何を思っているのか、ちゃんと分かっていたから。


 ユノは少し離れた場所で、その姿を見ていた。苦しそうに。それでも、止められないまま。


 ルークはただ、前だけを見ていた。


 追いつきたかった。


 ユノに。魔法学園に。その先の未来に。


◇


 別れの日は、あっという間に来た。


 春の柔らかな風が、リーベルを吹き抜けていく。


 街外れには、一台の馬車が停まっていた。荷物を運ぶ音や人の声が混ざり、ユノの家族も忙しそうに出発の準備をしている。


 ルークは少し離れた場所で、その様子を見ていた。胸の奥が、妙に落ち着かない。


「ルーク」


 声がして、顔を上げる。


 ユノだった。


 旅用の白い外套を羽織った姿は、少しだけ大人っぽく見えた。


「……行くんだな」


「うん」


 短い返事だった。


 でも、その声は少しだけ震えていた。ユノも平気なわけじゃないのだと、ルークには分かった。


 少し沈黙が落ちる。風が吹き、馬車の布が揺れた。


 ルークは拳を握る。


 言わなきゃいけない気がした。


「俺、諦めないから」


 ユノが目を見開く。


 ルークはまっすぐ前を見た。


「絶対、魔法使えるようになる」


 灰銀色の魔力。


 まだ何にもならない力。


 それでも、ここで終わるつもりはなかった。


「いつか絶対」


 ルークは続ける。


「追いついてみせる」


 一瞬、ユノが泣きそうな顔をした。


 でも、すぐ小さく笑う。


「……うん」


 白金色の瞳が、少し潤んでいた。


「待ってる」


 その言葉だけで、十分だった。


 馬車が動き出す。ゆっくりと、少しずつ、セフィリアへ向かって遠ざかっていく。


 ルークは最後まで、前を向いていた。


◇


 馬車が見えなくなった後、川辺には静かな風だけが残っていた。


 いつもの場所。いつもの景色。


 でも、隣にはもうユノがいない。


 ルークは黙って木剣を握り、それから、ゆっくり手を前へ出した。


 灰銀色の魔力が、ふわりと滲み出る。


 まだ不安定で、すぐ消える。けれど、以前よりほんの少し長く残る。


 ルークは小さく息を吐いた。


「……やるか」


 春風が吹く。


 灰銀色の光が、静かに揺れていた。

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