第十話 灰銀の魔法
季節が流れていく。
春が過ぎ、夏が来て、秋が深まり、冬を越える。そしてまた春が巡ってきても、ルークは一日も訓練を止めなかった。
朝になれば、木剣を握る。
「遅ぇ」
「っ……!」
ガルドの一撃に木剣を弾かれ、ルークは地面へ転がった。それでもすぐに起き上がり、土を払うより先に木剣を握り直す。
踏み込みも、受け流しも、体の動きも、少しずつ変わっていった。ガルドとの剣術は毎日続き、相変わらずその一撃は重かったけれど、昔のように一瞬で終わることは減っていた。
昼になれば、川辺へ向かう。
ルークは手のひらに灰銀色の魔力を滲ませ、静かに留める。昔のように出したそばから霧散することはなく、淡い灰銀色の魔力が手のひらの上に残っていた。
けれど、そこまでだった。
ルークは足元に描いた簡易術式へ、灰銀色の魔力を流し込む。
「……」
何も起きない。
火にも、風にも、どの属性にも変わらない。術式は淡く光るだけで、魔法として発動しなかった。
「……またか」
何度やっても同じだった。
魔力を出すことも、留めることもできるようになった。それなのに、属性魔法の術式は使えない。
夜になれば、ランプの灯りの下で魔力制御を続ける。
眠気で霞む視界をこすりながら、細く、静かに、魔力を扱おうとする。けれど集中が乱れた瞬間、灰銀色の魔力が弾け、机の上の本が吹き飛んだ。
「うおっ!?」
慌てて本を拾い集める。そんなことも、何度もあった。
ある日は魔力を使いすぎて床へ倒れ込み、そのまま眠ってしまった。朝起きると、ちゃんと毛布が掛かっている。
「……」
ガルドは何も言わない。ただ、何も言わないまま、ルークが続けることを止めなかった。
季節が変わるたび、ルークの手には剣ダコが増えていった。身長も伸び、体つきも少しずつ変わっていく。
でも、灰銀色の魔力はまだ魔法にならない。
それでもルークは止まらなかった。
ユノへ追いつく。
その想いだけで、前へ進み続けていた。
冬。
白い息が漏れる冷え切った川辺で、ルークは手を前へ出した。灰銀色の魔力が、手のひらの上で揺れている。
「……なんで魔法にならない」
小さく呟く。
何年も試した。けれど、結果は変わらない。普通なら、ここで諦めているのかもしれない。
でも、ルークは止まれなかった。
灰銀色の魔力は、魔法にはならない。それでも、消えずにここへ残っている。
「……属性に変わらないなら」
ふと、考えが浮かんだ。
だったら、別に。
属性魔法じゃなくても、残せるなら。
冬の風が吹き、灰銀色の光が手のひらの上で静かに揺れた。
それから、ルークの訓練は少しずつ変わっていった。
属性魔法の術式へ流すのではなく、灰銀色の魔力そのものを形として残す。そのための訓練へ。
剣のような複雑な形は、難しい。薄い板も、球体も、安定させる感覚が掴みにくい。
なら、もっと単純な形。
角と面だけでできた、余計な構造の少ない形。
立方体。
「……っ」
手のひらに滲み出た灰銀色の魔力が、ゆっくり形を変える。角を作り、面を作り、小さな箱のような輪郭を作ろうとする。
けれど、次の瞬間。
――パキッ。
「うわっ!?」
形になりかけた魔力が砕け、灰銀色の粒子が弾け飛んだ。ルークは顔をしかめる。
「またか……」
角を作ろうとすれば、そこから崩れる。面を保とうとすれば、全体が歪む。無理に固めようとすれば、今度は内側から砕けた。
それでも、手応えはあった。
魔法としては発動しない。けれど、形になろうとはしている。
「……もう一回」
ルークは、もう一度手のひらへ灰銀色の魔力を集める。
角を作る。
面を保つ。
余計な構造を混ぜない。
ただ、形だけを残す。
一瞬。
小さな立方体が、手のひらの上に現れた。
「っ……!」
ルークが目を見開く。
けれど、次の瞬間には、また砕けた。
灰銀色の粒子が、冬の空気へ散っていく。
「……惜しい」
それでも、今までとは違った。確かに一瞬だけ、“形”として存在した。
鼓動が少し速くなる。
「……いける」
小さく呟く。
冬の夜風が、灰銀色の残滓を揺らしていた。
◇
二月。
冬の冷気が、リーベルを包んでいた。深夜の川辺には誰もいない。ただ静かな風だけが流れている。
ルークは一人、いつもの場所へ立っていた。白い息が漏れ、指先は冷たい。けれど、そんなことが気にならないくらいには慣れていた。
「……」
手を前へ出すと、灰銀色の魔力が滲み出た。以前より、ずっと安定している。
でも、まだ完成じゃない。
ルークは目を閉じる。
ただ、灰銀色の魔力そのものを形として残す。
立方体。
角。面。輪郭。
余計な構造を作らない。
「……っ」
灰銀色の魔力が、ゆっくり形を作り始める。揺れ、崩れそうになる。それでも、今までみたいに無理やり押し込まない。
形を保つ。
崩さない。
その感覚だけを意識する。
次の瞬間、灰銀色の光が手のひらの上で止まった。
「……」
ルークの目が、ゆっくり開かれる。
そこにあった。
小さな立方体。
灰銀色の魔力が、形として手のひらの上に残っている。揺れない。崩れない。
「……っ」
喉が震えた。
信じられなかった。今までとは違う。
初めて、ちゃんと“残った”。
震えるもう片方の手を、ゆっくり近づける。指先が灰銀色の立方体へ触れた。
硬い。
壊れない。消えない。ちゃんと、そこに存在している。
「……は」
小さく息が漏れた。
今まで、何度も失敗した。砕けて、散って、消えて、それでも諦めずに続けてきた。
その魔力が、今は手のひらの上に残っている。
ルークは小さく息を呑む。
そして、震える声で呟いた。
「――できた」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、一気に込み上げてきた。
「……はは」
小さな笑いが漏れ、力が抜けた。その場へ座り込みそうになった、その時。
「……やっとできたか」
後ろから、低い声が聞こえた。
ルークが振り返ると、少し離れた場所にガルドが立っていた。腕を組み、静かにこちらを見ている。
いつからいたのかは分からない。
でも、ガルドは少しだけ笑っていた。
しばらく、誰も喋らなかった。風の音だけが響いている。
やがて、ガルドが小さく息を吐いた。
「……そこまでやったなら」
ルークが顔を上げる。
ガルドは、いつも通りぶっきらぼうに言った。
「学園へ行け」
「……え?」
思わず聞き返す。
「でも、金が――」
「魔法士時代の蓄え舐めんな」
ガルドが鼻を鳴らす。
「ガキ一人、学園に行かせるくらい余裕だ」
ルークは少し目を見開いた。
ガルドは視線を逸らしたまま、続ける。
「どうせお前、もう止まらねぇだろ」
「……」
返事ができなかった。
胸の奥が熱かった。
ガルドはそれ以上、何も言わない。でも、その背中だけで十分だった。
ルークはもう一度、手のひらの上に残る小さな立方体を見る。
少なくとも、ルークの知るどんな魔法とも違う。
自分だけが、ようやく辿り着いた形だった。
◇
春。
柔らかな風が、リーベルを吹き抜けていた。
街外れには、一台の馬車が停まっている。荷物が積み込まれ、旅支度を終えた人達が忙しそうに動いていた。
ルークは荷物袋を肩へ掛けながら、小さく息を吐く。
セフィリア魔法学園。
ようやく、そこへ向かう。
「忘れ物はねぇだろうな」
後ろから、ガルドの声が飛んでくる。
「多分」
「多分じゃねぇ」
いつものやり取りだった。
でも今日でしばらく、これも無くなる。
ルークは少しだけ笑った。
馬車へ荷物を積み込みながら、ガルドがぶっきらぼうに言う。
「全寮制だ」
「……うん」
「合格したら、しばらく帰って来れねぇぞ」
ルークは少し黙った。
そこでようやく、実感が湧いた。
リーベルを出る。ガルドとの生活も、この川辺も、しばらく離れる。
「……そっか」
小さく呟く。
でも、不思議と不安は少なかった。
あの日、灰銀色の立方体は確かに生まれた。そこから先も、ルークは止まらなかった。失敗して、崩れて、また作り直して。それを何度も繰り返すうちに、少しずつ自分の魔力の扱い方が分かってきた。
まだ完璧じゃない。
それでも、何もできなかった頃とは違う。
今なら、前へ進める気がした。
「行ってくる」
ルークが言う。
ガルドは、いつも通りぶっきらぼうに鼻を鳴らした。
「おう」
短い返事。
でも、それだけで十分だった。
ルークは馬車へ乗り込む。車輪がゆっくり動き出し、リーベルの景色が少しずつ遠ざかっていく。
その時、ルークは馬車の上から振り返った。
「……今までありがとう」
少し間が空く。
そして。
「親父」
ガルドの目が、ほんの少しだけ見開かれた。
けれど、すぐ背を向ける。
片腕だけを軽く上げた。
「おう」
短い返事。
それだけ。
背を向けたガルドの目元で、春の光がほんの少しだけ揺れた。
ルークは気づかない。
馬車はそのまま、セフィリアへ向かって進んでいく。
春風が吹く。
その風を背に受けながら、ルークは新しい場所へ向かっていった。
やっと第一章 完結
次の第二章からタイトル回収に入ります!
ここまで読んで下さった方、
本当に感謝です!!




