第一話 セフィリア学園都市
街道の先に、それは見えた。
最初は、遠くの白い壁にしか見えなかった。
けれど近づくほど、その巨大さが嫌でも分かってくる。
幾重にも連なる外壁。
空へ伸びる白亜の塔。
都市全体を包み込むように展開された半透明の防護結界。
そして――その中心。
丘の上に築かれた巨大な学園群。
「……でか」
思わず声が漏れた。
御者のおじさんが小さく笑う。
「初めて見る奴はみんなそう言うんだよ」
「セフィリア学園都市。レグナリア最大の魔法都市だ」
ルークは荷物を抱え直しながら、改めて都市を見上げた。
ここが、セフィリア学園都市。
王国中から魔法士を目指す者達が集まる場所。
そして――ユノがいる場所。
「坊主、受験か?」
「あ、はい。魔法士学科を」
「ほぉ」
御者が少しだけ目を丸くした。
「魔法士学科ねぇ……大したもんだ」
「まあ、死ぬなよ?」
「縁起悪いですよ……」
苦笑しながら返す。
けれど、冗談だけでもなかった。
魔法士学科。
それは学園の花形だ。
同時に、危険職でもある。
実戦訓練。
クエスト。
魔物討伐。
卒業前から実地へ出ることも珍しくない。
ガルドからも散々言われた。
『魔法士は派手に見えるが、怪我も死にも近ぇぞ』
ぶっきらぼうな声が脳裏によみがえる。
その顔を思い出して、少しだけ口元が緩んだ。
『……まあ、お前なら行くだろうとは思ってたがな』
今朝の別れ際。
ガルドは結局、最後までいつもの調子だった。
頑張れとも言わなかった。
期待してるとも言わなかった。
ただ、
『死ぬな』
『あと、無茶はするな』
それだけ。
でも、十分だった。
ルークはゆっくり息を吐く。
緊張している。
当然だ。
属性適性ゼロ。
そんな自分が、本当に魔法士学科へ入れる保証なんてどこにもない。
それでも。
ここまで来た。
四年間、ずっと積み重ねてきた。
無理だと言われても、諦めたくなかった。
「……行こう」
馬車がゆっくりと都市へ近づいていく。
巨大な外壁の門が開かれ、その向こうから一気に喧騒が流れ込んできた。
人の声。
金属音。
呼び込み。
魔力機関の駆動音。
リーベルとは比べものにならない熱気。
ルークは、目の前に広がる巨大都市を見上げた。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「ここが……俺の始まる場所か」
外縁層は、思っていたよりずっと騒がしかった。
門を抜けた瞬間から、人の流れが途切れない。
重そうな鎧を鳴らしながら歩く魔法士。
巨大な荷物を運ぶ商人。
武器を背負った冒険者達。
その全部が、同じ場所へ溶け込んでいる。
「すげぇ……」
ルークは自然と周囲を見回していた。
通り沿いには武器屋が並んでいる。
長剣。
短槍。
魔法刻印入りの盾。
属性鉱石を埋め込んだ魔導武器。
店先では店主らしき男が怒鳴っていた。
店先では、店主らしき男が魔導剣を片手に声を張り上げていた。
「おい! この風刻印、まだ調整が甘いぞ!」
「今日中にギルドへ納品する約束だろうが!」
奥の作業場から、若い職人が顔を出す。
「無茶言うなって! 昨日修理依頼が戻ってきたばっかだぞ!」
「実戦帰りの武器なんだから、そんなすぐ直るかよ!」
怒鳴り合っているのに、どこか慣れた空気だ。
少し先では、酒場から笑い声が聞こえる。
「だから黒霧側はやめとけって言ったんだよ!」
「うるせぇ、勝ったからいいだろ!」
「死にかけただろうが!」
そんな会話を聞きながら、ルークは小さく息を呑んだ。
――本物だ。
ここには、本当に魔法士達がいる。
ガルドみたいな人達が。
命を懸けて戦っている人達が。
自然と視線が向く。
歩き方。
武器の持ち方。
周囲への目配り。
何となくだけど分かる。
強い。
特に、通りを横切った大剣使いの男。
鎧は傷だらけなのに、妙に隙が無い。
視線だけで周囲を確認している。
「……ガルドに似てるな」
思わず呟く。
男は一瞬だけルークを見ると、そのまま仲間の方へ歩いていった。
隣では、ローブ姿の魔法士が魔道具店へ入っていく。
店内には浮遊灯や通信結晶らしき物が並んでいた。
魔力で動く荷車まである。
見れば見るほど、この街は魔法で回っている。
そんな中。
ふと、ギルド支部の建物が目に入った。
石造りの大きな建物。
入口には魔法士達が集まり、依頼票らしき紙を見ている。
「次どこ行く?」
「南西。魔物増えてるらしい」
「黒霧側かよ……」
その言葉に、ルークは少しだけ反応した。
黒霧の森。
フェルノ村へ続く危険地帯。
高濃度魔力霧による感知阻害。
凶暴化した魔物。
視界不良。
通常なら、誰も好き好んで通りたがらない場所だ。
でも、夜明の灯はそこを突破した。
フェルノ村の魔力災害調査のために。
もし安全な街道を使っていたら、到着はもっと遅れていた。
ガルド達が黒霧を抜けてくれたから、自分は助かった。
あの日のことを、ルークは完全には覚えていない。
けれど。
傷だらけで立っていたガルド達の背中だけは、今でもはっきり覚えている。
ルークはギルドを見上げながら、静かに拳を握った。
まだ遠い。
今の自分は、あそこに立つ人達よりずっと未熟だ。
でも。
「……行くか」
ルークは視線を上げる。
外縁層の先。
坂道の向こうに、中間層へ続く大通りが見えていた。
外縁層を抜け、坂道を上がっていく。
少しずつ、空気が変わっていった。
武器や酒の匂いが薄れ、人の声もどこか落ち着いていく。
代わりに増えたのは――制服姿の学生達だった。
「わっ、急げ急げ!」
「次の授業間に合わないって!」
数人の女子生徒が笑いながら駆け抜けていく。
黒を基調とした制服。
肩や胸元には、学科ごとに違う色の装飾が入っていた。
広い通り沿いには商店街も並んでいる。
昼食を売る屋台。
魔道具店。
学生向けの喫茶店。
外縁層よりずっと平和で、賑やかだった。
「ここが中間層か……」
ルークは思わず辺りを見回す。
年齢の近い学生ばかりだ。
リーベルでは、こんなに同世代が集まる場所なんて無かった。
少しだけ居心地の悪さを覚える。
その時だった。
「魔法士学科って、午後から実戦訓練なんでしょ?」
近くを歩いていた一般学科の男子生徒達の声が聞こえた。
「怪我する人もいるって聞いた」
「クエストもあるらしいよ。俺は無理だなぁ……」
「でも花形じゃん。普通にカッコいいって」
ルークは少しだけ歩く速度を落とした。
魔法士学科。
やっぱり特別なんだ。
憧れられる場所。
でも同時に、危険と隣り合わせの場所。
ガルド達みたいに、命を懸けて戦う側。
胸の奥が少し熱くなる。
怖くないわけじゃない。
でも。
そこへ行きたいと思っている自分もいる。
ふと、前方が騒がしいことに気づいた。
学生達が一方向へ視線を向けている。
「ユノ先輩だ……」
「やっぱり別格……」
そんな声が聞こえる。
ルークも自然とそちらへ目を向けた。
そして。
白金色の長い髪が、視界へ入った。
人混みの先。
一人の少女が歩いていた。
周囲の学生達が自然と道を開けていく。
誰も騒いではいない。
けれど、視線だけが集まっていた。
白金色の長髪。
光を反射するような透明感。
制服姿ですら、妙に絵になる。
ルークは、その姿を見た瞬間に分かった。
「……ユノ」
小さく呟く。
昔より少し背が伸びていた。
雰囲気も変わった。
幼かった頃より、ずっと大人びて見える。
けれど。
歩き方も。
静かな目も。
どこか柔らかい空気も。
ちゃんと知っているままだった。
周囲の学生達が小声で話している。
「高等部二年の特待生だよ」
「光属性だっけ……?」
「発動速度、学園でもトップクラスらしい」
「ていうか近寄りづらくない?」
最後の言葉に、少しだけ空気が止まる。
けれど否定する者はいなかった。
皆、ユノを見ている。
でも、誰も話しかけない。
距離を空けたまま、ただ視線だけを向けている。
ユノは綺麗だった。
完成されていた。
だからこそ、周囲は距離を取る。
憧れるほど、近づけなくなる。
その光景を見ながら、ルークはほんの少しだけ胸が痛くなった。
昔のユノは、もっと普通に笑っていた。
よく怒って。
よく困って。
でも、楽しそうだった。
今の彼女は、どこか一人で立っているように見える。
それでも。
ルークの口元は自然と緩んでいた。
「やっぱりユノだ」
憧れじゃない。
安心に近かった。
その時。
ふと、ユノの足が止まる。
金色の瞳が、ゆっくりこちらへ向いた。
一瞬。
視線が合う。
周囲の学生達は気づいていない。
でもルークだけは分かった。
ユノの目が、少しだけ見開かれた。
驚いたみたいに。
けれど次の瞬間には、またいつもの静かな表情へ戻る。
ほんの僅かに。
本当に僅かにだけ。
口元が緩んだ気がした。
そのままユノは、取り巻きの教師達と共に歩いていく。
声を掛ける距離ではない。
今はまだ。
でも。
ルークはその背中を見ながら、静かに前を向いた。
「……ここなら、俺も」
まだ何者でもない。
属性も無い。
魔法士として成立しているのかすら分からない。
それでも。
ここまで来た。
ルークはセフィリア魔法学園へ続く道を歩き出す。
その先には、大勢の受験生達が集まっていた。
セフィリア魔法学園。
白を基調とした巨大な校舎群は、近くで見るとさらに圧倒的だった。
高く伸びる塔。
空中回廊。
魔力灯の埋め込まれた石畳。
正門前には、すでに大勢の受験生が集まっている。
「うわ……」
思わず声が漏れる。
皆、いかにも“魔法士”という雰囲気だった。
杖を背負った者。
武器を携えた者。
ローブ姿の者。
緊張した空気の中でも、自信を隠していない。
ルークは少しだけ自分の手を見る。
灰銀色の魔力。
属性無し。
ここにいる誰とも違う。
「……いや」
小さく首を振る。
今さらだ。
四年間、それでもここへ来るためにやってきた。
逃げる理由にはならない。
受付へ向かおうとした時だった。
ふと、視界の端に赤い髪が映る。
一人の少女が、少し離れた場所で腕を組んで立っていた。
長い赤髪を高めに結んでいる。
目つきは強め。
近寄り難い空気。
周囲と距離を取るように、一人でいる。
「……」
ルークは少しだけ気になった。
怒っているようにも見える。
でも、よく見ると肩に妙な力が入っていた。
緊張している。
そんな感じだった。
少女はルークの視線に気づいたのか、軽く睨むように見返してくる。
ルークは慌てて目を逸らした。
「な、なんだ……?」
怖い。
でも、少しだけ無理してる感じもした。
ふと。
別方向に視線を向ける。
今度は、静かな銀髪の少女が目に入った。
壁際。
本を読みながら、何かを空中へ指で描いている。
薄い氷色の魔法陣が、一瞬だけ浮かんでは消える。
術式構築の練習だろうか。
周囲の喧騒をまるで気にしていない。
「……すご」
ルークは思わず呟く。
かなり複雑だ。
独学で魔法を学んできたルークでも分かる。
あれは普通じゃない。
ただ。
少女はふと眉を寄せると、小さく息を吐いた。
魔法陣が途中で霧散する。
「……違う」
小さな声。
納得していない顔だった。
さらにその近く。
「あっ、ご、ごめんなさいっ」
柔らかい声が聞こえた。
今度は茶髪の少女が、落とした書類を拾い集めている。
ぶつかった受験生へ、逆に頭を下げていた。
「い、いや!? こっちこそ!」
相手の男子生徒が慌てて離れていく。
少女は困ったように笑った。
「えっと……ありがとうございました」
ふわっとした雰囲気。
安心感のある声。
さっきの二人が少し尖った空気だった分、余計に柔らかく見える。
ルークは少しだけ肩の力が抜けた。
その時。
学園校舎側から、拡声魔法が響く。
『――これより、セフィリア魔法学園、魔法士学科入学試験を開始します』
空気が変わる。
受験生達の表情が、一気に引き締まった。
ルークも静かに息を吸う。
少しだけ、手が汗ばんでいる。
怖くないわけじゃない。
属性無し。
そんな自分が、本当にここへ立てるのか。
それでも。
ルークはゆっくり拳を握った。
四年間、積み重ねてきた。
逃げるためじゃない。
ここへ来るために。
「……行こう」
いよいよ始まる。
自分が、ここへ来た理由。
その第一歩が。




