第一話 セフィリア学園都市
街道の先に、それは見えた。
最初は、遠くに白い壁が見えるだけだった。けれど馬車が近づくほど、その巨大さが嫌でも分かってくる。
幾重にも連なる外壁。空へ伸びる白亜の塔。都市全体を包み込むように展開された、半透明の魔法防壁。そして――その中心、丘の上には巨大な学園群が築かれていた。
「……でか」
思わず声が漏れると、御者のおじさんが小さく笑った。
「初めて見る奴はみんなそう言うんだよ」
「セフィリア学園都市。レグナリア最大の魔法都市だ」
ルークは荷物を抱え直しながら、改めて都市を見上げた。
ここが、セフィリア学園都市。
王国中から魔法士を目指す者達が集まる場所。そして――ユノがいる場所。
「坊主、受験か?」
「あ、はい。魔法士学科を」
「ほぉ」
御者が少しだけ目を丸くする。
「魔法士学科ねぇ……大したもんだ」
「まあ、死ぬなよ?」
「縁起悪いですよ……」
苦笑しながら返したものの、それは冗談だけでもなかった。
魔法士学科は学園の花形であり、同時に危険職でもある。実戦訓練にクエスト、魔物討伐。卒業前から実地へ出ることも珍しくない。
ガルドからも、散々言われていた。
『魔法士は派手に見えるが、怪我も死にも近ぇぞ』
ぶっきらぼうな声が脳裏によみがえる。その顔を思い出して、ルークは少しだけ口元を緩めた。
『……まあ、お前なら行くだろうとは思ってたがな』
今朝の別れ際、ガルドは結局、最後までいつもの調子だった。頑張れとも、期待しているとも言わなかった。ただ、
『死ぬな』
『あと、無茶はするな』
それだけ。
でも、十分だった。
ルークはゆっくり息を吐く。
緊張している。当然だ。属性適性ゼロの自分が、本当に魔法士学科へ入れる保証なんてどこにもない。
それでも、ここまで来た。
五年間、ずっと積み重ねてきた。無理だと言われても、諦めたくなかった。
「……行こう」
馬車がゆっくりと都市へ近づいていく。
巨大な外壁の門が開かれ、その向こうから一気に喧騒が流れ込んできた。人の声、金属音、呼び込み、魔道具の駆動音。リーベルとは比べものにならない熱気が、門の向こう側から押し寄せてくる。
ルークは、目の前に広がる巨大都市を見上げた。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「ここから……始まるんだな」
◇
外縁層は、思っていたよりずっと騒がしかった。
門を抜けた瞬間から、人の流れが途切れない。重そうな鎧を鳴らしながら歩く者、武器を背負った魔法士達、巨大な荷物を運ぶ商人。その全部が、同じ場所へ溶け込んでいた。
「すげぇ……」
ルークは自然と周囲を見回していた。
通り沿いには武器屋が並んでいる。長剣、短槍、魔法刻印入りの盾、属性鉱石を埋め込んだ魔導武器。店先では、店主らしき男が魔導剣を片手に声を張り上げていた。
「おい! この風刻印、まだ調整が甘いぞ!」
「今日中にギルドへ納品する約束だろうが!」
奥の作業場から、若い職人が顔を出す。
「無茶言うなって! 昨日修理依頼が入ってきたばっかだぞ!」
「実戦帰りの武器なんだから、そんなすぐ直るかよ!」
怒鳴り合っているのに、どこか慣れた空気があった。少し先では、酒場から笑い声が聞こえてくる。
「だから黒霧側はやめとけって言ったんだよ!」
「うるせぇ、勝ったからいいだろ!」
「死にかけただろうが!」
そんな会話を聞きながら、ルークは小さく息を呑んだ。
――本物だ。
ここには、本当に魔法士達がいる。ガルドみたいな人達が、命を懸けて戦っている人達が。
自然と視線が向く。歩き方、武器の持ち方、周囲への目配り。何となくだけど分かる。
強い。
特に、通りを横切った長剣使いの男は、鎧こそ傷だらけなのに妙に隙が無く、視線だけで周囲を確認していた。
「……ガルドに似てるな」
思わず呟くと、男は一瞬だけルークを見て、そのまま仲間の方へ歩いていった。
隣では、ローブ姿の魔法士が魔道具店へ入っていく。店内には浮遊灯や通信結晶らしき物が並び、魔力で動く荷車まで置かれていた。
見れば見るほど、この街は魔法で回っている。
そんな中、ふとギルド支部の建物が目に入った。
石造りの大きな建物。その入口には魔法士達が集まり、依頼票らしき紙を眺めている。
「次どこ行く?」
「南西。魔物増えてるらしい」
「黒霧側かよ……」
その言葉に、ルークは少しだけ反応した。
黒霧の森。
フェルノ村へ続く危険地帯。高濃度魔力霧による感知阻害、凶暴化した魔物、視界不良。通常なら、誰も好き好んで通りたがらない場所だ。
でも、夜明の灯はそこを突破した。フェルノ村の魔力災害調査のために。もし安全な街道を使っていたら、到着はもっと遅れていた。ガルド達が黒霧を抜けてくれたから、自分は助かった。
あの日のことを、ルークは完全には覚えていない。
けれど、傷だらけで立っていたガルド達の背中だけは、今でもはっきり覚えている。
ルークはギルドを見上げながら、静かに拳を握った。
まだ遠い。今の自分は、あそこに立つ人達よりずっと未熟だ。
でも。
「……行くか」
ルークは視線を上げる。
外縁層の先、坂道の向こうに、中間層へ続く大通りが見えていた。
◇
外縁層を抜け、坂道を上がっていく。
少しずつ、空気が変わっていった。武器や酒の匂いが薄れ、人の声もどこか落ち着いていく。代わりに増えたのは――制服姿の学生達だった。
「わっ、急げ急げ!」
「次の授業間に合わないって!」
数人の女子生徒が笑いながら駆け抜けていく。
黒を基調とした制服。その肩や胸元には、学科ごとに違う色の装飾が入っていた。
広い通り沿いには商店街も並んでいる。昼食を売る屋台、魔道具店、学生向けの喫茶店。外縁層よりずっと平和で、賑やかだった。
「ここが中間層か……」
ルークは思わず辺りを見回す。
年齢の近い学生ばかりだ。リーベルでは、こんなに同世代が集まる場所なんて無かった。そのせいか、少しだけ居心地の悪さを覚える。
その時だった。
「魔法士学科って、午後から実戦訓練なんでしょ?」
近くを歩いていた一般学科の男子生徒達の声が聞こえた。
「怪我する人もいるって聞いた」
「クエストもあるらしいよ。俺は無理だなぁ……」
「でも花形じゃん。普通にカッコいいって」
ルークは少しだけ歩く速度を落とした。
魔法士学科。
やっぱり特別なんだ。
憧れられる場所。でも同時に、危険と隣り合わせの場所。ガルド達みたいに、命を懸けて戦う側。
胸の奥が少し熱くなる。
怖くないわけじゃない。それでも、そこへ行きたいと思っている自分がいる。
ふと、前方が騒がしいことに気づいた。学生達が一方向へ視線を向けている。
「ユノ先輩だ……」
「やっぱり別格……」
そんな声が聞こえる。
ルークも自然とそちらへ目を向けた。
そして、白金色の長い髪が視界へ入る。
人混みの先を、一人の少女が歩いていた。周囲の学生達が自然と道を開けていく。誰も騒いではいない。けれど、視線だけが集まっていた。
白金色の長髪。光を反射するような透明感。制服姿ですら、妙に絵になる。
ルークは、その姿を見た瞬間に分かった。
「……ユノ」
小さく呟く。
昔より少し背が伸びていた。雰囲気も変わった。幼かった頃より、ずっと大人びて見える。
けれど、歩き方も、静かな目も、どこか柔らかい空気も、ちゃんと知っているままだった。
周囲の学生達が小声で話している。
「高等部二年の特待生だよ」
「光属性だっけ……?」
「発動速度、学園でもトップクラスらしい」
「ていうか近寄りづらくない?」
最後の言葉に、少しだけ空気が止まる。けれど、否定する者はいなかった。
皆、ユノを見ている。でも、誰も話しかけない。距離を空けたまま、ただ視線だけを向けている。
ユノは綺麗だった。
確かに近寄りがたいほど、目立っていた。だからこそ、周囲は距離を取る。憧れるほど、近づけなくなる。
その光景を見ながら、ルークはほんの少しだけ胸が痛くなった。
昔のユノは、もっと普通に笑っていた。よく怒って、よく困って、でも楽しそうだった。
今の彼女は、どこか一人で立っているように見える。
それでも、ルークの口元は自然と緩んでいた。
「やっぱりユノだ」
憧れじゃない。安心に近かった。
その時、ふとユノの足が止まる。金色の瞳が、ゆっくりこちらへ向いた。
一瞬、視線が合う。
周囲の学生達は気づいていない。けれど、ルークだけは分かった。
ユノの目が、少しだけ見開かれた。驚いたみたいに。けれど次の瞬間には、またいつもの静かな表情へ戻る。
ほんの僅かに。
本当に僅かにだけ。
口元が緩んだ気がした。
そのままユノは、同行していた教師達と共に歩いていく。声を掛ける距離ではない。
今はまだ。
でも。
ルークはその背中を見ながら、静かに前を向いた。
「……ここなら、俺も」
まだ何者でもない。属性も無い。魔法士として成立しているのかすら分からない。
それでも、ここまで来た。
ルークはセフィリア魔法学園へ続く道を歩き出す。
その先には、大勢の受験生達が集まっていた。
◇
セフィリア魔法学園。
白を基調とした巨大な校舎群は、近くで見るとさらに圧倒的だった。高く伸びる塔、空中回廊、魔力灯の埋め込まれた石畳。正門前には、すでに大勢の受験生が集まっている。
「うわ……」
思わず声が漏れる。
皆、いかにも“魔法士”という雰囲気だった。杖を背負った者、武器を携えた者、ローブ姿の者。緊張した空気の中でも、自信を隠していない。
ルークは少しだけ自分の手を見る。
灰銀色の魔力。属性無し。
ここにいる誰とも違う。
「……いや」
小さく首を振る。
今さらだ。五年間、それでもここへ来るためにやってきた。逃げる理由にはならない。
受付へ向かおうとした時だった。ふと、視界の端に赤い髪が映る。
一人の少女が、少し離れた場所で腕を組んで立っていた。長い赤髪を高めに結び、目つきは強め。近寄り難い空気をまといながら、周囲と距離を取るように一人でいる。
「……」
ルークは少しだけ気になった。
怒っているようにも見える。でも、よく見ると肩に妙な力が入っていた。
緊張している。そんな感じだった。
少女はルークの視線に気づいたのか、軽く睨むように見返してくる。ルークは慌てて目を逸らした。
「な、なんだ……?」
怖い。でも、少しだけ無理してる感じもした。
ふと、別方向に視線を向ける。今度は、静かな銀髪の少女が目に入った。
壁際で本を読みながら、何かを空中へ指で描いている。薄い氷蒼色の術式の光が、一瞬だけ浮かんでは消えた。
術式構築の練習だろうか。周囲の喧騒をまるで気にしていない。
「……すご」
ルークは思わず呟く。
かなり複雑だ。独学で魔法を学んできたルークでも分かる。あれは普通じゃない。
ただ、少女はふと眉を寄せると、小さく息を吐いた。術式の光が途中で霧散する。
「……違う」
小さな声。
納得していない顔だった。
さらにその近くで、柔らかい声が聞こえる。
「あっ、ご、ごめんなさいっ」
今度は茶髪の少女が、落とした書類を拾い集めていた。ぶつかった受験生へ、逆に頭を下げている。
「い、いや!? こっちこそ!」
相手の男子生徒が慌てて離れていく。少女は困ったように笑った。
「えっと……ありがとうございました」
ふわっとした雰囲気。安心感のある声。さっきの二人が少し尖った空気だった分、余計に柔らかく見える。
ルークは少しだけ肩の力が抜けた。
その時、学園校舎側から拡声魔法が響く。
『――これより、セフィリア魔法学園、魔法士学科入学試験を開始します』
空気が変わる。
受験生達の表情が、一気に引き締まった。ルークも静かに息を吸う。
少しだけ、手が汗ばんでいる。
怖くないわけじゃない。
属性無し。
そんな自分が、本当にここへ立てるのか。
それでも、ルークはゆっくり拳を握った。
五年間、積み重ねてきた。逃げるためじゃない。
ここへ来るために。
「……行こう」
いよいよ始まる。
自分が、ここへ来た理由。
その第一歩が。




