第八話 諦めない
翌朝、リーベルの空はまだ薄暗く、朝露の残る草を踏みながらルークは木剣を振っていた。ぶん、と風を切る音がする。けれど、その動きはすぐに止められた。
「遅ぇ」
正面からガルドの声が飛んでくる。
「……っ!」
次の瞬間、木剣同士が激しくぶつかった。
――ガンッ!!
「うわっ!?」
弾かれたルークは、慌てて足を踏み止める。
「踏み込み浅い」
「……分かってる」
「分かってねぇから崩れるんだ」
容赦がない。朝から、いつも通りだった。
ガルドは木剣を肩へ担ぎながら、じろりとルークを見る。
「寝不足か?」
「……ちょっと」
「だったらもっと動け」
無茶苦茶だった。けれどガルドは、昨日の検査について何も言わない。慰めもしないし、気を遣いもしない。ただ、いつも通り剣を叩き込んでくる。それが逆に、少しだけ楽だった。
「もう一回」
ルークは木剣を構え直す。悔しかった。昨日の言葉は、まだ頭に残っている。魔法は使えない。属性が無い。魔法不成立。
でも、それで終わりたくなかった。
「……っ!」
踏み込み、ガルドへ木剣を振る。けれど当然のように、簡単に流された。
「力入り過ぎだ」
「くそ……!」
「剣は振り回すな。流せ」
ガルドの木剣がまた飛んでくる。重く、速い一撃だった。それでもルークは食らいついた。何度弾かれても、何度転ばされても、木剣を拾ってまた構える。汗が流れ、腕が痛み、息も苦しくなっていく。
それでも、ルークは小さく呟いた。
「……まだだ」
ガルドが、ほんの少しだけ口元を緩める。
「その顔なら、まだ平気そうだな」
ルークは息を切らしながら、木剣を握り直した。悔しさは消えていない。昨日のことだって、全然受け入れられていない。
それでも、まだ諦める気にはなれなかった。
◇
朝の訓練が終わった後、ルークは一人、川辺へ座り込んでいた。腕が痛く、足も重い。それでも、それ以上に頭の中がぐちゃぐちゃだった。昨日の言葉が、まだ離れない。
属性が無い。
魔法不成立。
その事実を、完全に受け入れられたわけじゃなかった。
「……いや」
ルークは小さく首を振る。
「まだ決まったわけじゃない」
属性が無いことは分かった。けれど、魔力自体はある。しかも、測定不能と言われるくらいには。
だったら。
「出せるなら、何かできるはずだ」
ルークは自分の手を見つめた。昨日、水晶球の中で渦巻いていた灰銀色の魔力。あれは確かに、自分の中にあった。
ゆっくり目を閉じて集中する。胸の奥にある、重くて熱い感覚を探る。ガルドの剣術と少し似ている気がした。力任せじゃなく、流れを意識する。
「……出ろ」
小さく呟いた次の瞬間、ふわっ、と灰銀色の光が指先から滲み出た。
「……っ!」
ルークは目を見開く。
出た。本当に。
けれど、それは一瞬だった。灰銀色の光は、空気へ溶けるように消えていく。
「あっ……!」
慌てて、もう一度集中する。胸の奥から魔力を出し、維持しようとする。けれど、またすぐに消えた。形にならず、残らない。
「なんだよこれ……」
ルークは眉を寄せた。
もう一度試しても、また失敗する。また霧散する。何度やっても、結果は同じだった。
無属性には術式がない。だから魔法にはならない。火も起きないし、風も吹かない。ただ灰銀色の魔力が、空気へ溶けるように消えていく。
「魔法って、難しすぎるだろ……」
ルークはそのまま草の上へ倒れ込んだ。
空は青く、春風が吹いている。なのに、自分だけ置いていかれているみたいだった。けれど不思議と、完全には折れていない。ほんの一瞬だったけど、確かに魔力は出た。昨日までは、それすらできなかった。
だったら。
「……もう一回」
ルークは起き上がる。悔しかった。けれど、本当にわずかでも、前へ進めた気がしていた。
「……何してるの?」
声がして、ルークは顔を上げた。ユノだった。白金色の髪が、春風に揺れている。
ルークは地面へ座ったまま、軽く手を振った。
「魔力制御」
「できてる?」
「全然」
即答だった。
ユノが少しだけ笑う。
「でも、魔力は出てた」
「一瞬だけな……すぐ消える」
ルークがため息を吐くと、ユノは隣へ座り、少し考えるように空を見た。
「私も最初、全然できなかった」
「まぁ、見てきたしな」
ルークが苦笑する。最初の頃のユノは、本当にすぐ魔力が霧散していた。形を保てず、何度も失敗していたのを覚えている。
「でも、前よりはできるようになった」
そう言って、ユノは少しだけ胸を張った。
「さっき、学園の人が来た」
「また?」
「うん。初級光属性魔法の術式、教えてもらった」
「術式……」
ルークの目が少し輝く。魔法陣。術式。そういう話は、昔から好きだった。
「まだ簡単なのだけ」
ユノは片手を前へ出した。白煌色の術式が、空中へ淡く浮かび上がる。
「おお……!」
ルークは思わず声を上げた。線は複雑なのに、どこか綺麗だった。
「小さい光弾の術式らしい」
「すげぇ……」
ルークが真剣に術式を見つめると、ユノは少し照れたように視線を逸らした。
「じゃあ……やってみる」
白煌色の魔力が、術式へ流れ込む。ユノは小さく息を吸った。
「集いて、灯して」
「――《灯光》」
幼い声の詠唱とともに、少しだけ不安定な術式が白煌色の光で満たされていく。次の瞬間、小さな光弾が生まれた。
光弾はふわりと前へ進み、川辺の草を淡く照らす。
「おおっ!」
ルークが声を上げる。光弾は少し不安定だったけれど、確かに前へ飛んでいた。数秒後、ふっと消える。
「……成功」
ユノが小さく息を吐いた。
「いや今のすげぇって!」
「まだ遅いし、短い」
「それでもすげぇ!」
ルークは本気で感心していた。嫉妬ではない。ただ純粋に、綺麗だと思った。
魔法って凄い。
そう思った。
「ルークも、そのうちできる」
ユノが静かに言う。
ルークは少し苦笑した。
「属性無いのに?」
「でも、魔力はある」
ユノはまっすぐルークを見る。
「いっぱい」
その言葉に、ルークは少しだけ黙った。昨日、周囲はみんな気味悪がっていた。けれどユノだけは、そういう目をしない。
「……ありがとな」
小さく言う。
ユノは首を傾げた。
「なんで?」
「いや……なんとなく」
上手く言葉にできない。それでも、少しだけ胸の重さが軽くなっていた。
春風が吹き、白煌色の光粒がまだ少しだけ空中に残っている。
その後も、ルークは何度も灰銀色の魔力を外へ流そうとした。指先から灰銀色の魔力が溢れても、一瞬後にはまた空気へ霧散する。
「ああもうっ……!」
ルークは思わず声を上げる。
何回目かも分からない。出るのに、残らない。ただ消えるだけ。
「くそ……!」
もう一度集中する。胸の奥にある、重く熱い感覚を引き出し、流し、維持する。そう意識した瞬間。
――ぶわっ!!
「うわっ!?」
灰銀色の魔力が、突然大きく膨れ上がった。ルークは慌てて後ろへ下がる。次の瞬間、魔力は霧のように弾け、周囲へ散った。
「げほっ……!」
勢い余って尻もちをつき、草がぐしゃりと潰れる。
「……大丈夫?」
ユノが少し心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫じゃない……」
ルークは地面へ倒れ込む。空が見える。青い空だった。さっきから、何回失敗しているんだろう。
腕で目を隠す。
「なんでできないんだ……」
声が漏れた。
ユノは何も言わず、ただ隣へ座る。ルークは拳を握った。ユノはできている。他の子供達だって、術式を使えば魔法になる。
なのに、自分だけ何も形にならない。
「俺、本当に魔法使えないのかな……」
ぽつりと漏れた。言いたくなかった言葉だった。それでも、口から出てしまった。
春風が吹く。しばらく沈黙が続いた。
その時。
「だから力み過ぎだっつってんだろ」
後ろから、呆れた声が飛んできた。
ガルドだった。いつの間にか、少し離れた木の近くに立っている。
「見てたのかよ……」
「見える位置で暴発してんだから、嫌でも見える」
ガルドは小さく鼻を鳴らし、ゆっくりルークの前へ来た。
「魔力も剣も同じだ」
「……同じ?」
「止めようとし過ぎなんだよ」
ガルドは、地面へ落ちていた小枝を軽く蹴る。小枝は草の上を滑るように転がった。
「流れに逆らうから暴れる」
「……」
「お前の魔力、無理に押さえ込もうとすると跳ねてるだろ」
ルークは少し目を見開く。確かに、さっきの暴発はそんな感覚だった。
「剣も同じだ」
ガルドが木剣を肩へ担ぐ。
「力で止めようとする奴から崩れる」
ルークは黙って聞いていた。
少しだけ。本当に少しだけ、何か分かりそうな気がした。
◇
夕方になり、空は少しずつ赤く染まり始めていた。川辺には、春の風が静かに流れている。
ルークは、もう一度手を前へ出した。灰銀色の魔力。何度も失敗したし、暴発もした。けれど、さっきのガルドの言葉がまだ頭に残っている。
流れに逆らうな。
止めようとするな。
「……流す」
小さく呟く。
胸の奥にある、重く熱い感覚。それを無理に掴まない。押さえ込まない。ただ、外へ流す。ゆっくり。本当にゆっくり。
次の瞬間、ふわっ、と灰銀色の魔力が指先へ滲み出た。
ルークは息を呑む。まだ消えるな。焦るな。掴もうとするな。
流す。
その感覚だけを意識する。
灰銀色の光が、小さく空中へ留まった。
「……っ!」
一秒。本当に一瞬。
でも、確かに消えなかった。
次の瞬間、ふっと霧散する。
それでも。
「……できた」
ルークが小さく呟く。
自分でも、少し信じられなかった。今までより、ほんの少し長かっただけだ。けれど、そのほんの少しだけ、前へ進んだ。
「ルーク」
隣で、ユノが少し嬉しそうに笑う。
「今の、前より長かった」
「……うん」
ルークは灰銀色の残滓を見る。もう消えている。けれど、確かにそこにあった。
「……まだいける」
自然と、そんな言葉が漏れた。
悔しさは消えていない。まだ何もできない。普通の魔法も使えない。それでも、ルークは少しだけ笑っていた。
春の夕陽が、灰銀色の瞳を静かに照らしていた。
◇
帰り道、夕陽がリーベルの街を赤く染めていた。昼間より少し冷えた風が、草を揺らしている。
ルークは木剣を肩へ担ぎながら、ゆっくり歩いていた。
「疲れた……」
本音が漏れる。腕も重い。足も痛い。魔力制御なんて、思った以上に難しかった。それでも、不思議と気分は悪くなかった。
「でも、ちょっとできた」
ルークがぽつりと言う。
隣を歩いていたユノが、小さく頷いた。
「うん。ちゃんと残ってた」
「一瞬だけな」
「それでも前進」
ユノは少し得意そうに言う。
ルークは苦笑した。
「なんか、ユノの方が嬉しそうだな」
「嬉しいから」
即答だった。
ルークは少しだけ目を丸くする。ユノはそのまま前を見ていた。
「ルーク、昨日より元気」
「……まぁ」
少し考える。昨日は、本当に終わった気がしていた。魔法士になれない。全部無理なんだって。
でも今日、ほんの少しだけ魔力が残った。本当に小さなことだ。普通の魔法士なら、笑われるくらい。
それでも、ルークにとってはちゃんと前進だった。
「……まだできそう」
自然と、そんな言葉が出る。
ユノが少し笑った。
「うん」
短い返事。でも、それだけで十分だった。
前を歩くガルドが、小さく鼻を鳴らす。
「だったら明日もやれ」
「うげ……」
「止まったら終わりだ」
相変わらず容赦がない。
でも、ルークは少しだけ笑った。
「……やるよ」
夕陽が沈んでいく。春の風が吹く。
その中を、ルークは前を向いて歩いていた。




