第五話 ユノ
夏の風が、
リーベルの街を抜けていく。
フェルノ村の災害から、
数ヶ月。
季節は、
もう夏になっていた。
胸の痛みは、
もうほとんど無い。
身体も動く。
ガルドとの訓練にも、
少しずつ慣れてきた。
とはいえ。
「遅ぇ」
「うぅ……」
今日も木剣を弾かれ、
ルークは尻もちをつく。
ガルドは容赦が無かった。
「今のは見えてただろ」
「だ、だって速いし……!」
「言い訳すんな」
そう言いながらも、
追撃はしてこない。
ルークはぶすっとしながら立ち上がった。
朝の訓練が終わる頃には、
汗で服が張り付いていた。
ガルドは木剣を肩へ担ぐ。
「買い物行くぞ」
「はーい……」
少し前まで、
一人で外を歩くだけでも怖かった。
人混み。
笑い声。
村を思い出す音。
全部が苦しかった。
でも。
今は少しだけ平気になっていた。
リーベルの市場は、
今日も賑やかだった。
「お、ガルドさん」
「今日は坊主も一緒か」
「……どうも」
ルークが小さく頭を下げる。
露店のおじさんは笑った。
「前より顔色良くなったなぁ」
「……そう?」
「最初は今にも倒れそうだったぞ」
「余計なこと言うな」
ガルドが低く返す。
おじさんは苦笑した。
「悪ぃ悪ぃ」
周囲の大人達は、
ガルドを見ると少し緊張する。
体格も大きいし、
目つきも怖い。
無口だから余計だ。
けれど。
「この前も灰狼追い払ってくれたんだろ?」
「助かったよ、ガルドさん」
市場の店主達が、
気さくに声をかけてくる。
ガルドは面倒そうに手を振った。
街の近くで魔物が出れば、
ガルドが討伐へ向かう。
狩りもする。
だからリーベルでは、
怖がられながらも頼りにされていた。
ルークにとっては、
もう見慣れたものだった。
「ルーク、“こむぎ亭”のパン買うぞ」
「ほんと!?」
ぱっと顔を上げる。
ガルドが少しだけ呆れた顔をした。
「お前、
こむぎ亭のパン好きだな」
「だって美味しいし!」
「昨日も食っただろ」
「でも好き!」
即答すると、
近くのおばさんが吹き出した。
「ふふっ、元気になったねぇ」
ルークは少し恥ずかしくなって、
慌ててガルドの後ろへ隠れる。
ガルドは小さく鼻を鳴らした。
買い物を終えた帰り道。
川沿いの道を歩いていると。
「……ん?」
ルークは足を止めた。
少し先。
川辺へ座っている女の子がいた。
白金色の髪。
陽の光を反射して、
きらきら光って見える。
年上だろうか。
ルークより少し大きい。
その子は、
ぼんやり川を眺めていた。
綺麗な子だ。
最初にそう思った。
すると。
少女がこちらへ気づく。
金色の瞳が、
まっすぐルークを見る。
「……?」
じっと見られて、
ルークは慌てて視線を逸らした。
なんとなく落ち着かない。
その時。
少女の視線が、
ルークの手元へ向いた。
「そのパン、美味しい?」
「え?」
思わず聞き返す。
少女は普通の顔で、
袋を指差していた。
「さっきから、
ずっと嬉しそうに持ってるから」
ルークは慌てて袋を抱え込む。
「こ、これは俺のパンだからな!」
「取らない」
少女は少しだけ笑った。
綺麗なのに。
全然嫌な感じがしなかった。
ガルドは少し後ろで腕を組み、
二人を見ている。
口は挟まない。
ルークは少女をちらりと見る。
「……美味しいよ」
「ふーん」
「……食べる?」
自分でも、
なんで言ったのか分からなかった。
少女は少し目を丸くする。
それから。
「じゃあ、一口だけ」
そう言って、
小さく笑った。
川辺を吹き抜ける風が、
白金色の髪を揺らす。
その光景が。
なぜか少しだけ、
綺麗だと思った。
次の日。
ルークは、
また川沿いへ来ていた。
別に約束したわけじゃない。
でも。
なんとなく、
またいる気がした。
すると。
「遅い」
「うわっ!?」
後ろから声が飛んできて、
ルークは飛び上がる。
振り返ると。
昨日の女の子が、
普通の顔で立っていた。
「びっくりした……」
「ルークが遅いから」
「なんで俺の名前知ってるんだよ!?」
「昨日、
ガルドさんが呼んでた」
「あ……」
確かに呼ばれていた。
ユノは小さく首を傾げる。
「ガルドさんって、
灰狼追い払ってる人でしょ?」
「……知ってるんだ」
「街で結構有名」
ユノは普通に言う。
ルークはなんだか、
少しだけ誇らしくなった。
「ガルド、強いぞ」
「知ってる」
「すっごい速いし!」
「うん」
「あと怖い!」
「それも知ってる」
ユノが少し笑う。
なんとなく。
笑われた気がした。
「……むぅ」
「でも、
ルークには優しい」
「え?」
思わず聞き返す。
ユノは川辺へ座った。
「昨日見てた」
「……見てたの?」
「うん」
ルークも少し迷ってから、
隣へ座る。
川の音が静かに響く。
風が気持ちよかった。
「今日はパンないの?」
「ある!」
ルークはすぐ袋を持ち上げる。
ユノが小さく目を丸くした。
「ほんとに好きなんだ」
「こむぎ亭のパン美味しいもん」
「ふーん」
興味あるのか無いのか、
よく分からない返事だった。
でも。
嫌な感じはしない。
ルークは袋からパンを取り出す。
「……食べる?」
「またくれるの?」
「一口だけだからな!」
「けち」
「ユノが食べすぎるかもしれないし!」
「そんな食べない」
ユノは少しだけ笑いながら、
パンを受け取った。
一口食べる。
「……美味しい」
「だろ!」
ルークはちょっと得意げになる。
ユノはそんなルークを見て、
また少し笑った。
その日から。
なんとなく、
一緒にいる時間が増えた。
川辺で石を投げたり。
市場を歩いたり。
意味もなく走ったり。
他愛ないことばかりだった。
でも。
その時間は、
不思議と嫌じゃなかった。
強かった日差しも、
少しずつ柔らかくなっていく。
季節は、
ゆっくり秋へ変わり始めていた。
夜。
悪夢で目を覚ます日も、
まだある。
村の光。
悲鳴。
父親の背中。
思い出すだけで、
胸が苦しくなる。
けれど。
朝になると。
「ルーク」
いつもの場所で、
ユノが待っている。
それだけで。
少しだけ、
前を向ける気がした。
ある日の夕方。
空が赤く染まり始めた頃。
ルークとユノは、
川沿いの道を並んで歩いていた。
「じゃあ、
また明日」
ユノが自然に言う。
まるで。
明日も会うのが当たり前みたいに。
「……うん」
ルークも自然に頷いていた。
明日。
その言葉を聞いて。
少しだけ。
本当に少しだけ。
明日が来るのが、
怖くなくなった気がした。
吐いた息が、
白く空へ溶けていく。
季節は、
もう冬になっていた。
ある日の昼。
家の扉が勢いよく開いた。
「よぉ、ガキ」
「クロウさん!」
ルークがぱっと顔を上げる。
そこにいたのは、
一年近くぶりのクロウだった。
相変わらず、
少し目つきが悪い。
でも。
笑っている顔を見ると、
なんだか安心した。
「おぉ、
ちゃんと元気そうじゃねぇか」
「もう普通に動けるぞ!」
「へぇ?」
クロウがにやりと笑う。
「旦那、
ちゃんと世話してたんだな」
「うるせぇ」
ガルドが眉を寄せる。
クロウは笑いながら椅子へ座った。
「ミレイアは?」
「セフィリアだ」
「あー……
まぁ忙しそうだったしな」
クロウが肩を回す。
それから。
少しだけ真面目な顔になった。
「……で、
フェルノ村の件だ」
部屋の空気が変わる。
ルークも自然と姿勢を正した。
クロウは机へ肘をつく。
「王国、
ギルド、
教会。
一応、
全部動いた」
低い声だった。
「かなり大規模に調査したらしい」
ルークは息を呑む。
「……わかったの?」
クロウは少し黙った。
それから。
「……原因不明だとよ」
「え……」
「魔力災害。
そういう自然災害の一種として処理された」
ルークは俯く。
原因不明。
つまり。
父親達が、
なぜ死んだのか。
結局、
誰にも分からなかったということだ。
「……そっか……」
小さく呟く。
胸の奥が、
少しだけ重くなる。
クロウは頭を掻いた。
「俺も納得してねぇけどな」
「クロウ」
ガルドが低く呼ぶ。
クロウは小さく肩を竦めた。
「まぁ、
今のは忘れろ」
それから。
ルークを見る。
「お前は、
ちゃんと生き残った」
その言葉は、
不思議と重かった。
「なら、
とりあえず前向いとけ」
ぶっきらぼうだった。
でも。
クロウなりに、
励ましてるのは分かった。
ルークは小さく頷く。
「……うん」
しばらくして。
クロウは立ち上がった。
「んじゃ、
俺はもう戻るわ」
「もう行くの?」
「仕事あるしな」
クロウはルークの頭を、
ぐしゃっと乱暴に撫でた。
「元気でやれよ、ガキ」
「うわっ」
「あと、
旦那困らせすぎんな」
「困らせてない!」
「どうだかな」
クロウが笑う。
その笑い方が、
少しだけ寂しそうに見えた。
扉が開く。
外の光が差し込む。
クロウは振り返らなかった。
「じゃあな」
それだけ言って。
家を出ていく。
扉が閉まる。
静かになる。
ルークはしばらく、
閉じた扉を見ていた。
『夜明の灯』。
信頼し合っていた、
ベテラン魔法士パーティー。
もう。
あの頃には戻らない。
みんな、
別々の場所へ進んでいる。
「……」
少しだけ寂しい。
でも。
嫌じゃなかった。
きっと。
前へ進むって、
こういうことなんだと思った。
「ルーク」
外から声が聞こえる。
ユノだった。
ルークは顔を上げる。
「今日、
川行く?」
いつも通りの声。
いつも通りの空気。
ルークは少しだけ笑った。
「行く!」
その返事を聞いて。
ガルドが、
小さく息を吐いた気がした。




