第六話 夕暮れの水辺
合宿十四日目。
昼食の時間になり、五人はいつものように食卓を囲んでいた。
「ユノ、そのお皿取って」
カレンが何気なく声を掛ける。
「うん。」
ユノは皿を手渡した。
「ありがと。」
それだけのやり取りだったが、誰も気に留めない、ごく当たり前の光景だった。
「今日のスープも美味しいですね。」
フィアが嬉しそうに微笑む。
「フィア、それ毎回言ってない?」
「だって、本当に美味しいんです。」
照れ笑いを浮かべるフィアにつられ、カレンも笑う。
シエルは静かにスープを口へ運び、小さく頷いた。
「美味しい。」
短い一言にまた笑いが広がり、ユノも自然とその輪の中で笑っていた。
少し前までなら、こんな食卓に自分が馴染めるとは思っていなかった。けれど、今は違う。
誰も特別扱いしないからこそ、自分も気負わずにいられる。
そんな穏やかな昼食は、あっという間に終わった。
「せっかくだし、このあと甘いもの食べに行かない?」
食器を片付けながら、カレンが声を弾ませる。
「賛成です。」
フィアがぱっと表情を明るくした。
「甘いもの。」
シエルも静かに頷く。
カレンはユノへ顔を向けた。
「ユノも行くでしょ?」
「……うん。」
迷うことなく返事が返る。
「よし、決まり!」
すると、ルークが椅子から立ち上がった。
「じゃあ俺は、その間に少し自主訓練してくるよ。」
「また訓練?」
カレンが苦笑する。
「日課だからな。」
「ほんと真面目だよね。じゃ、女子だけで楽しんでくる!」
カレンを先頭に、四人は楽しそうにコテージを後にした。
その姿を見送りながらルークは苦笑すると、木剣を手に取り、ゆっくりと外へ出る。
「さて。」
午後の穏やかな風が、湖畔へ向かって吹き抜けていた。
湖畔沿いに建つ人気のカフェは、多くの客で賑わっていた。
木の温もりを感じる落ち着いた店内からは、穏やかな湖を一望できる。
「ここ、前から気になってたんだよね!」
カレンが楽しそうにメニューを開く。
「あっ、これ!」
指差した先には、たっぷりの果物と生クリームが彩る、見るからに豪華な季節限定のパンケーキが載っていた。
「美味しそうですね。」
フィアが目を輝かせる。
「食べたい。」
シエルも静かに頷き、ユノも写真へ視線を向けた。
「……これにする。」
四人が限定パンケーキを一皿注文すると、店員が申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ございません。限定パンケーキは大変ご好評をいただいておりまして、ご提供まで三十分ほどお時間をいただいております。」
カレンは三人を見回した。
「じゃあ、待ってる間にケーキも食べよ!」
その一言で話はまとまり、ショートケーキにカップケーキ、季節のタルトと、すぐに用意できるスイーツもそれぞれ注文して、パンケーキを待つことにした。
やがて、テーブルに色とりどりのケーキが並べられた。
「いただきます。」
甘い香りが漂う中、それぞれケーキを口へ運ぶ。
「もう二週間ですね。」
フィアが窓の外を眺めながら呟く。
「ほんと、あっという間だったね。」
カレンも頷いた。
「毎日見てるのに、この景色飽きないなぁ。」
窓の外では、午後の日差しを受けた湖面が穏やかに輝いている。
「朝と夕方で全然違う。」
シエルが静かに言うと、ユノも小さく頷いた。
「……綺麗。」
「このお店も人気みたいですね。」
フィアが店内を見回す。
「限定パンケーキ目当てのお客さんも多そう。」
そんな他愛ない話をしながら、四人はゆっくりとケーキを食べ進めた。
ふと窓の外へ目を向けたカレンが口を開く。
「カップル多いね。」
フィアも外を見る。
「デートスポットなんですかね。」
「景色も綺麗だから。」
シエルが答える。
その言葉を聞いたカレンが、ふと思い出したようにユノを見た。
「そういえばさ、ユノってルークと幼馴染なんだよね?」
ユノは少しだけ目を細める。
「……うん。」
「昔のルークってどんな感じだったの?」
ユノは少し懐かしそうに笑った。
「……昔から変わらない。」
三人は自然と耳を傾ける。
「私の光属性が分かったあとも、ルークだけは変わらなかった。訓練に誘ってきて、勝手に競争して……。」
その頃を思い出し、ユノはわずかに笑う。
「そのあと、自分が無属性だって分かった時だけは一度落ち込んでたけど、次の日にはもう訓練してた。」
「毎日続けても魔法は使えなかった。でも、魔力制御だけは私より上手だった。」
カレンが驚いたように目を丸くする。
「え、それすごくない?」
「剣の訓練も毎日。ガルドさんとの稽古で何度倒されても、すぐに立ち上がってた。」
どこか誇らしげな声だった。
「私が中等部へ進学する時も言ってた。」
ユノは、その時のルークの姿を思い浮かべる。
『絶対に魔法を使えるようになる。』
『追いついてみせる。』
「……どれだけ頑張ってたか、私はずっと見てきたから、入学試験で顔を見た時は……本当に来たんだって、嬉しかった。」
少し照れたように目を伏せながら、柔らかな笑みを浮かべる。
その表情を見たカレンが、小さく笑った。
「ねぇ。」
ユノが顔を上げる。
「ルークの話してる時さ。」
「……?」
「なんか、いつもより柔らかい顔するよね。」
ユノはわずかに目を瞬かせた。
「……そう?」
「うん。自分じゃ分かんない?」
ユノは少し考えたが、答えは出なかった。
「みんなも、ルークのことを特別に思ってる?」
フィアは困ったように笑う。
「特別……では、あると思います。」
「私も。どういう意味かまでは、まだ分かんないけど。」
カレンも肩をすくめた。
三人の視線がシエルへ集まる。
「大切。」
迷いのない返事だった。
「ルークは大切。でも、それ以上は分からない。」
静かな沈黙が流れたが、それ以上の言葉を誰も持っていなかった。
「お待たせいたしました。」
店員が大きな皿を運んでくる。
「限定パンケーキでございます。」
色とりどりの果物が山のように盛られたパンケーキに、四人の表情がぱっと明るくなった。
「わぁ!」
カレンが思わず声を上げる。
「すごいですね……。」
フィアも目を輝かせる。
「これ、食べ切れるかな。」
カレンが苦笑すると、ユノが真顔で呟いた。
「……別腹。」
一瞬だけ静まり返ったあと、三人が同時に吹き出した。
「あははっ!」
「ふふっ。」
ユノは不思議そうに首を傾げる。
「……?」
「その真顔はずるいって。」
笑いながら言うカレンの隣で、シエルが小さく頷いた。
「分かる。」
その一言でまた笑いが広がり、窓の外では穏やかな湖面が午後の光を映していた。
女子会を終えた四人は、コテージへ戻ってきた。
夕方からはいつもの器官干渉型共鳴の検証が予定されており、それまでの一時間、四人はそれぞれの時間を過ごすことになった。
「私は少し昼寝してくる!」
カレンはそう言って部屋へ向かう。
シエルは荷物から本を取り出し、いつもの席へ腰を下ろした。
「夕食の仕込み、少し進めてきます。」
フィアはそう言うと、キッチンへ向かった。
ユノは窓の外へ目を向ける。
西へ傾き始めた陽が湖面を橙色に染め、昼間とは違う穏やかな景色を作り出していた。
「……少し、歩いてくる。」
誰に言うでもなく呟き、静かにコテージを後にした。
◇
湖畔沿いの道をゆっくり歩いていると、向こうから見慣れた姿が近づいてきた。
「ユノ?」
木剣を肩に担いだルークだった。額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「自主訓練?」
「ああ。ちょうど終わったところ。」
短い返事のあと、少しだけ沈黙が流れる。
いつもなら、そのまま挨拶を交わして別れていただろうが、今日は違った。
「……少し、一緒に歩く?」
言葉にした瞬間、自分でも少し驚いた。
考えるより先に口が動いていたのだ。
ルークも少し目を丸くしたが、すぐに笑う。
「もちろん。」
二人は並んで湖畔を歩き始めた。
夕暮れの風が心地よく吹き抜ける。
「また自主訓練?」
「ああ。やらないと落ち着かなくてさ。」
「……昔から変わらない。」
ユノが小さく笑う。
「そんなに強くなりたい?」
ルークは少し考えてから答えた。
「もちろん強くはなりたい。でも、それだけじゃない。」
「?」
「目標があるから。」
「目標?」
「卒業したら、パーティーを組みたい。」
ユノは少し目を瞬かせる。
「パーティー?」
「ああ。夜明の灯みたいな。」
「あの夜明の灯?」
「ガルドたちみたいなパーティー。」
夕日に照らされた湖を見つめながら続ける。
「ただ強いだけじゃない。信頼できる仲間と一緒に戦って、一緒に笑う。そんなパーティーだったから。」
少し照れくさそうに笑う。
「俺も、そんな仲間が欲しい。」
ユノは静かにその横顔を見つめた。
昼間、カレンに言われた言葉が不意に頭をよぎる。
ルークの話をしている時だけ、表情が違う。
自分ではまだよく分からないが、一つだけ確かなことがある。
「みんなが嫌じゃなければ、そのまま卒業後も一緒に続けられたらいいな。」
その言葉を聞いて、胸の奥にあった迷いがわずかにほどけた。
ルークがユノへ視線を向ける。
「ユノは?」
少しだけ考える。
「私は……。」
その先は、これまで迷うことなく決まっていた答えだった。
「特待生だから、多分王国騎士団。ずっと、そうなるものだと思ってた。」
幼い頃から努力を続け、特待生になった今、その道へ進むものだと疑ったこともない。
「でも。」
ユノは静かに微笑む。
「最近は少しだけ、分からなくなった。」
王国騎士団だけが、自分の居場所なのだろうか。そんな考えが、少しずつ心の中に生まれていた。
しばらく歩いたあと、ユノは湖面へ視線を落とし、小さく息を吸った。
「……私も。」
ルークが足を止める。
ユノは少しだけ勇気を振り絞った。
「その中に、一緒にいてもいい?」
ルークは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、次の瞬間には柔らかな笑みへ変わった。
「もちろん。ユノがいいなら。」
その一言だけで十分だった。
胸につかえていたものがすっと軽くなり、自然と笑みがこぼれる。
「……よかった。」
遠くにコテージの屋根が見えてきた。
「あ、そろそろ時間だな。」
ルークが訓練場の方へ目を向ける。
「うん。」
二人はそのまま歩き出し、湖畔近くの訓練場所へ向かった。
◇
訓練場所には、すでにカレン、フィア、シエルとミレイアが揃っていた。
「それじゃ、始めるわよ。」
ミレイアの一言で、その日の検証が始まる。
器官干渉型共鳴を始めてから二週間が経ち、今では誰も緊張した様子はなく、静かに手順を確認しながらそれぞれの番を待っていた。
最初はカレン。
ルークが背中へ手を添え、静かに干渉を始めると、カレンは目を閉じて体内へ意識を向けた。
以前よりも短い時間で混合魔力が満ち、ルークの手が触れている背中から、ごく微量の緋銀色の魔力が霧のように零れる。
二人はほぼ同時に距離を取った。
「いくよ!」
カレンが魔力を解放する。
緋銀槍突。
収束した炎槍はわずかに軌道を揺らしながらも、以前より形を保ったまま標的へ突き進んだ。
「うん、いい感じ!」
手応えを感じたように笑うカレンを見て、ミレイアも小さく頷く。
「安定してきたわね。」
続くシエルの共鳴も滞りなく終わり、生み出された氷槍の表面は滑らかで、最後まで大きく揺らぐことはなかった。
「うん。」
短く頷くシエルの表情には、確かな手応えが浮かんでいた。
フィアの共鳴も、以前より短い時間で安定する。
「いきます。」
風読を発動すると、風が湖畔を駆け抜けた。
以前ほど大きく散ることなく、周囲の情報がフィアのもとへ集まってくる。
「前より、分かりやすいです。」
嬉しそうに微笑むフィアを見て、ミレイアも静かに頷いた。
最後はユノ。
共鳴を終えたユノは静かに呼吸を整え、光弾を一つ放つ。
続けて二つ、三つと生み出し、そのまま途切れることなく四つ、五つと放たれた光弾は、すべて標的を正確に撃ち抜いた。
ユノが魔法を解くと、フィアは周囲へ意識を巡らせる。
「……五発とも、干渉はありません。」
「……うん。」
ユノは小さく息を吐いた。
ミレイアは四人を見回す。
「順調ね。この調子で続けましょう。」
四人は静かに頷く。
劇的な変化ではないが、毎日積み重ねてきた時間は、確かな成果となって現れ始めていた。
◇
その日の検証を終え、五人は並んでコテージへの道を歩いていた。
西の空は茜色から藍色へと移り変わり、湖畔には涼しい夜風が吹き抜けている。
今日も一日が終わろうとしていた。
「そういえば。」
先頭を歩いていたルークが振り返る。
「今日、みんなで出かけてただろ。何話してたんだ?」
カレンがにやりと笑う。
「内緒。」
「えぇ?」
「女の子同士の話だから。」
フィアもくすりと笑う。
「女の子だけの秘密です。」
シエルも短く続けた。
「秘密。」
三人の視線が自然とユノへ向き、ルークもつられてユノを見る。
「ユノも?」
一瞬だけ目が合う。
ユノは少しだけ口元を緩めた。
「……秘密。」
ルークは少し目を丸くする。
「ユノまで秘密なんだ。」
ユノは小さく頷いた。
「……うん。」
その返事を聞いて、ルークはふっと笑う。
「そっか。」
それ以上は聞かなかった。
五人は肩を並べたまま、ゆっくりとコテージへの道を歩いていく。
昼間、カレンに言われた言葉が不意に胸をよぎった。
ルークの話をしている時だけ、表情が違う。
自分ではまだよく分からないが、一つだけ確かなことがある。
この人たちと過ごす時間は心地良く、一緒に笑い、悩み、前へ進んでいく毎日は、いつの間にか当たり前になっていた。
今日、ルークは言った。
卒業したら、この仲間でパーティーを組みたいと。
その言葉を思い返すたび、自然と頬が緩む。
この輪の中にいたい。
卒業しても、この人たちと歩いていきたい。
その気持ちだけは、もう迷わなかった。
ユノは歩幅を少しだけ早め、自然と四人の隣へ並ぶ。
誰も何も言わない。
それが、今は心地良かった。
合宿も、残り一週間。
積み重ねてきた時間は、少しずつ確かな絆へと変わり始めていた。




