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第七話 帰る場所


 朝の空気はひんやりとしていた。


 湖畔から少し離れた開けた場所は、合宿中の訓練に使っている場所だ。そこで、木剣と訓練用の槍が乾いた音を響かせていた。


 合宿十六日目。


 朝食前の鍛錬は、いつしかルークとカレンの習慣になっていた。魔法も魔力強化も使わず、鍛えるのは足運びや間合い、そして武器そのものの扱いだ。


「っ!」


 カレンの槍が鋭く突き出される。


 ルークは半歩だけ身体をずらし、木剣で穂先を外へ流すと、そのまま踏み込んで肩口へ一撃を返した。


 だが、カレンは崩れない。すぐに槍を引き戻して体勢を立て直し、再び踏み込む。


 突きから薙ぎ払いへつなぎ、石突で距離を取ると、もう一度突きを放つ。


 ルークはそれらを受け流しながら、小さく笑った。


「朝から飛ばすな」


「まだ終わりじゃないもの」


 返事と同時に槍が迫る。


 負けず嫌いなのは知っているし、思いどおりにならないほど何度でも挑んでくることも知っていた。


 けれど、合宿が始まってからほとんど毎朝こうして鍛錬を重ねる姿を見ていると、それだけでは説明できないものを感じていた。


 木剣と槍が最後に一度だけ打ち合わさる。


 カン、と澄んだ音が響き、二人は自然と距離を取った。


「……ふぅ」


 カレンが額の汗を拭う。


 ルークも息を整え、近くの切り株へ腰を下ろすと、少し遅れてカレンも隣へ座った。


 辺りには、鳥の鳴き声だけが静かに響いている。


「どうしてそこまで強くなりたいんだ?」


 不意の問いに、カレンは少し目を瞬かせた。


「急にどうしたのよ」


「いや、気になってさ」


 ルークが苦笑しながら肩をすくめると、カレンは少しだけ考えてから静かに答えた。


「……認めさせたい相手がいるのよ」


 その言葉に、ルークは「ああ」と小さく頷く。


「そういえば、入学した頃にも言ってたよな。認めさせたい相手がいるって」


 カレンが少し驚いたようにルークを見る。


「……覚えてたの?」


「ほとんど毎朝ここまで鍛えてるのを見てたらな。自然と思い出した」


 その返事に、カレンは少しだけ目を細めた。


「……昔は、それが一番だったわね」


 短くそう答えたきり、それ以上は続けない。


 ルークも深追いせず、二人の間に静かな時間が流れた。


 やがて、カレンが立ち上がる。


「休憩終わり。もう一本」


 訓練用の槍を手に取り、軽く回す。


「はいはい」


 ルークも立ち上がり、木剣を構えた。


 その姿を見つめながら、カレンの胸の奥で、忘れかけていた景色が揺れる。


 木々に囲まれた山道と、前を歩く大きな背中。山頂から見渡した、どこまでも続く景色。


 懐かしい記憶が、不意に胸へ浮かび上がった。


 ――久しぶりに、あの場所へ行ってみようかしら。


 そんな思いが心をよぎる。


 カレンは小さく息を吐くと、槍を構え直した。


「今度は一本も取らせないわよ」


「それは無理だな」


「言ったわね」


 次の瞬間、二人は同時に踏み込んだ。


 朝日に照らされた武器が交差し、再び軽快な音を響かせる。



 朝食を終え、それぞれが食器を片付けていた。


 今日も自由時間と夕方の訓練までは、各々好きに過ごす予定だ。


「今日はどうする?」


 ルークが尋ねると、カレンは腕を組んで少し考えた。


「少し山を登ろうと思うの」


「山?」


「足腰の訓練にはちょうどいいのよ。平地ばかりじゃ鍛えられない部分もあるし」


 ルークが納得したように頷く。


「誰か一緒に行く?」


 カレンが四人を見回すと、ユノが先に手を挙げた。


「ごめん。私は行けない」


「珍しいじゃない」


 カレンが少し意外そうに言う。


「今日はフィアと約束があるの」


「約束?」


「ビーフシチューを教えてもらうんだ」


 少し照れくさそうに笑うユノに、フィアも優しく頷いた。


「煮込みに時間がかかるので、午前中から始めようという話になったんです」


「前に食べて美味しかったから、私も作れるようになりたくて」


 ユノの言葉に、ルークも笑う。


「あれか。帰ってくる頃にはちょうど食べ頃だな」


「失敗しないように頑張る」


「楽しみにしてるわ」


 カレンは笑みを浮かべ、今度はシエルへ目を向けた。


「シエルは?」


「本の続きが気になる」


 短い返事に、全員が納得したように頷く。


「ということは、俺だけか」


 ルークが苦笑する。


「嫌なら無理しなくてもいいわよ?」


「いや、たまには山も悪くない」


「決まりね」


 カレンは満足そうに頷くと、部屋へ戻って荷物をまとめ始めた。


 リュックへ飲み物と昼食用のパンを入れ、そのまま迷いなく訓練用の槍も背負う。


 その様子を見たルークが笑った。


「ちゃんと訓練する気なんだな」


「当然でしょ。登るだけじゃもったいないもの」


 肩越しに振り返るカレンに、ルークは「はいはい」と返しながら、自分も荷物を背負った。


「それじゃ、行ってくる」


「行ってらっしゃい」


 三人に見送られ、二人はコテージをあとにする。


 木々の間を抜ける山道へ向かって歩き始めるカレンの足取りは、どこか軽かった。



 木々の間を縫う山道をしばらく登る。


 木漏れ日を浴びながら歩き続けるうちに、視界は少しずつ開けていった。


「着いたわ」


 カレンが足を止める。


 山頂だった。


 眼下には陽光を受けて輝くエルミア湖が広がり、その向こうには深い森、さらに遠くには幾重にも連なる山々が見える。


 夏の風が頬を撫でた。


「……すごいな。こんな景色が見られる場所があったのか」


 ルークが思わず息を漏らす。


「ふふっ、いい景色でしょ」


 カレンは懐かしむように微笑んだ。


 この景色だけは、あの日と何も変わっていない。


 湖も、森も、吹き抜ける風も。


 静かに目を閉じると、幼い頃、大きな背中を追いかけてこの山を登った日の記憶が鮮明によみがえった。


 山頂へ着くと、父は景色を見つめながら穏やかに笑った。


『カレン』


『守るっていうのはな、この景色全部だ』


 父が見つめていたのは、目の前の景色だけじゃない。


 町も湖も森も、人も全部守る。それが父の役目だった。


 幼いカレンは、そんな父の横顔を見上げながら思った。


 ――私も、お父さんみたいな魔法士になりたい。


「……カレン?」


 ルークの声で意識が戻る。


「大丈夫か?」


「……うん。少し昔を思い出してただけ」


 小さく頷き、もう一度景色へ目を向ける。


 ルークは何も聞かなかった。その気遣いが心地よかった。


 あの日見上げた父の背中は、まだ遠い。


 それでも今は、少しだけあの人の強さに近づけた気がした。


 あの日の景色も、父の背中も、今も心の中にしっかりと残っている。


 山頂には穏やかな風が吹いていた。


 二人は並んで景色を眺め、しばらくの間、言葉を交わさなかった。


「さっき、『昔を思い出してた』って言ってたよな」


 静寂を破ったのは、ルークだった。


 カレンは小さく笑い、景色から目を離さないまま答える。


「うん。ここ、父によく連れて来てもらってた場所なの」


「父はヴァルグレン伯爵家の当主で、この領地を治めてる」


 ルークは小さく目を見開いたが、何も言わなかった。


「仕事が忙しかったから、一緒に出掛けることなんて滅多になくてね。だから、この山に来る日は特別だった」


 懐かしそうに笑うカレンの髪を、風が揺らす。


「父はいつも、この景色を見ながら話してくれたの。『守るっていうのは、この景色全部だ。町も、湖も、森も……そこに暮らす人たちみんなを守ることなんだ』って」


「……流石、領主だな」


 ルークが小さく呟くと、カレンは少し嬉しそうに笑った。


「うん。子どもの頃はね、父がすごく格好よく見えた。だから私も、父みたいな魔法士になりたかった」


 少しだけ間が空く。


「父も最初は応援してくれてたの。私も認めてもらいたくて、毎日夢中で訓練してた」


 けれど、その笑顔は少しずつ曇っていく。


「でも……上手くいかなくて、悔しかった。それでも諦めたくなかった」


 景色へ向けていた視線が、少しだけ落ちる。


「そんな時、父に言われたの。『魔法士になる必要はない』って」


 ルークは何も言わず、ただ続きを待つ。


「私はね、『お前には無理だ』って言われたんだと思った。認めてもらえなかったんだって」


 カレンは小さく笑いながら、そっと拳を握った。


「だから決めたの。父に認めてもらえるくらい、強い魔法士になろうって」


 風が二人の間を吹き抜ける。


「入学した頃に言ってた『認めさせたい相手』って……父のこと」


 ルークは静かに頷いた。


「……そういうことだったのか」


 カレンは空を見上げる。


「でもね」


 その一言には、まだ整理しきれない想いが滲んでいた。



 しばらく景色を眺めたあと、二人は山を下り始めた。


 行きとは違い、会話は少ない。


 木漏れ日の差す山道を、落ち葉を踏みしめながら歩いていると、ふと足元の石にカレンの靴が乗った。


「あっ――」


 体勢が崩れた瞬間、ルークが咄嗟に腕を掴む。


「大丈夫か?」


「……ええ。ありがと」


 体勢を立て直したカレンは、少し照れくさそうに笑った。


「柄にもなく考え事してたみたい」


「本当だな」


「失礼ね」


 カレンが軽く肩を小突くと、さっきまでの重たい空気が少しだけ和らいだ。


 二人は再び歩き出す。


 やがて木々を抜けると、コテージが見えてきた。


 煙突から立ち上る細い煙を見て、カレンが微笑む。


「もう始めてるのね」


「ビーフシチューだったか」


 コテージへ近づくにつれ、煮込み料理の香りが鼻をくすぐった。


「……いい匂い。そろそろ出来てる頃かもね」


「腹減ったな」


 二人は顔を見合わせ、小さく笑う。


 煙の上がるコテージの中には、夕食の支度をしながら待っていてくれる仲間がいる。


 そう思うだけで、不思議と足取りが軽くなった。


 父に認められたいという気持ちは、今も変わらない。


 でも今は――帰れば、待っていてくれる仲間がいる。


 それだけで十分だった。


 カレンが扉を開ける。


「おかえりなさい!」


 真っ先にフィアが笑顔で迎え、奥ではユノが鍋をかき混ぜながら振り返った。


 ソファで本を読んでいたシエルも顔を上げ、小さく頷く。


「おかえり」


 短い言葉。


 それだけで十分だった。


 カレンは自然と笑みを浮かべる。


「……ただいま」

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