第一話 夏合宿
期末試験が終わってから数日後。
夏休みを目前にした校舎は、いつもより少し浮き立っていた。試験の緊張から解放された生徒達が廊下で声を弾ませ、教室のあちこちでも休暇の予定を話す声が聞こえてくる。
その日、ルーク達は返却された試験結果を確認していた。
「見なさい!」
真っ先に声を上げたのはカレンだった。手元の用紙を掲げ、得意げに胸を張る。
「上がったわ!」
「前回よりかなり良いじゃないですか」
フィアが素直に驚くと、カレンは「当然よ」と返しながらも、嬉しそうに表情を緩ませた。
模擬戦が終わってからも、毎日は忙しかった。試験までの時間は短かったが、訓練の合間に勉強も続けてきた。その成果は、しっかり結果に出ている。
「ルークも上がってる」
シエルがルークの結果を覗き込んだ。
「ああ」
前回より良い点数だった。飛び抜けて良いわけではないが、それでも少し嬉しい。以前の自分なら取れなかった結果だ。
「フィアも相変わらずですね」
「ほっとしました……」
フィアは胸を撫で下ろした。どうやら内心では、かなり気にしていたらしい。
一方で、シエルはいつも通りだった。
「シエルは?」
「普通」
差し出された結果用紙には、相変わらず高得点が並んでいる。
「それを普通って言うのは反則だろ」
「そう?」
本気で分かっていないらしい。ルークは苦笑するしかなかった。
試験結果も返ってきた。
あとは終業式を待つだけ。夏休みはもう目の前で、学園全体に漂う浮き立った空気が、それをはっきりと実感させていた。
◇
その日の放課後、ルーク達は夏休み前の連絡があるということで空き教室に集められていた。
「夏休み、予定ある人いる?」
教壇に立ったミレイアが唐突に聞くと、ルーク達は顔を見合わせた。
「特には」
ルークが答え、フィアも続く。
「私もないです」
「訓練くらいね」
「ない」
カレンとシエルも即答すると、ミレイアは満足そうに頷いた。
「よし。じゃあ全員参加ね」
「何が?」
カレンが即座に聞き返す。
ミレイアは一枚の紙を机へ置いた。
「夏合宿」
その一言で、教室の空気が変わった。
ルークは紙へ目を落とす。期間は約三週間。訓練計画の他に、自由時間も組まれている。
「夏休みに合宿ですか」
「パーティー訓練が目的よ。でも訓練ばっかりじゃないわ。観光もあり、自由時間もあり。ちゃんと夏休みを楽しみなさい」
「へぇ」
カレンが少し興味を示した。
「悪くないじゃない」
「旅費はどうなるんでしょうか……?」
フィアがおずおずと手を挙げると、ミレイアは即答した。
「全部私持ちよ」
一瞬、教室が静かになる。
「全部ですか? 宿代も、移動費も……?」
「全部」
フィアが本気で驚いているのを見て、ミレイアは肩を竦めた。
「長期休暇が取れたのはアンタ達のお陰だし」
「俺達のお陰ですか?」
「色々あったのよ」
意味深に笑うミレイアを見て、カレンが目を細める。
「絶対なんかやったわね」
「失礼ね」
ミレイアは鼻を鳴らした。
「まあレオルドはこの夏、休みはないでしょうけど」
その言葉で、ルークは察した。おそらく模擬戦の結果で賭けでもしていたのだろう。詳しく聞かない方が良さそうだった。
「やったわね」
「やりましたね」
カレンとフィアが揃って頷く。どうやら二人も勘づいたらしい。
「でも、宿代や移動費まで負担してもらうなんて……」
フィアはまだ気にしているようだったが、ミレイアは不敵に笑った。
「誰に言ってるの?」
「元夜明の灯」
「現魔法士学科主任」
「舐めないでちょうだい」
一瞬だけ格好良かった。
「なんか今だけ格好良かったわね」
「今だけって何よ」
即座に台無しになる。いつものやり取りに、教室の空気が和んだ。
その時、ルークは紙を見ながら首を傾げる。
「あれ? 肝心の場所が書いてないんだけど?」
「ふふん」
ミレイアが得意げに笑った。
「なんと、行き先はエルミア湖畔よ!」
その瞬間、カレンの表情がほんの僅かに揺れた。
一瞬。
だが次の瞬間には、いつもの顔へ戻っている。その変化に気付いたのは、フィアだけだった。
「セフィリアから少し離れるけど、避暑地として有名よ。景色は良いし、ご飯も美味しいわ」
ミレイアは教室を見渡した。
「質問は?」
誰も手を挙げない。それを見て、ミレイアは満足そうに頷いた。
「よし。じゃあ終業式が終わったら、夕方に出発。遅刻したら置いていくわよ」
「教師が言う台詞じゃないわね」
「だから遅刻しないことね」
ミレイアは楽しそうに笑った。
◇
終業式。
講堂には全学年の生徒が集まっていた。長い話が終わり、生徒達が一斉に立ち上がる。
夏休み。
その言葉だけで、どこか空気が浮ついているように感じる。
ルーク達も人の流れに合わせて講堂を後にした。廊下へ出た時だった。
「あれ、Uクラスだ」
そんな声が聞こえた。
以前なら、珍しいものを見るような視線ばかりだった。だが今は少し違う。
「模擬戦勝ったんだよな」
「Sクラス相手にだろ?」
「結構すごくないか?」
聞こえてくるのは、そんな声だった。もちろん全員ではない。まだUクラスを認めていない者もいるだろう。
それでも、以前とは確かに違っていた。
「見られてるわね」
カレンが小さく呟く。
「嫌か?」
「別に」
そう言いながらも、少しだけ機嫌は良さそうだった。
「私は少し落ち着きません……」
フィアは困ったように笑う。
「気にしない」
シエルは相変わらずだった。
ルークはそんな仲間達を見て苦笑する。模擬戦は終わった。そして今日から夏休み。
少しずつ。
本当に少しずつだが、Uクラスは前へ進んでいた。
◇
夕方。
セフィリア外縁層北門。
街道沿いの待機場には、大型の駆獣車が停車していた。
「でかいな……」
ルークは思わず声を漏らす。
長距離移動用の大型車両で、二頭の大型駆獣が車両を牽いている。筋肉質な体躯に分厚い毛皮、鋭い爪。夜目が利き、長時間の移動にも耐えられるため、北部方面へ向かうにはこれが一番らしい。
「近くで見ると迫力がありますね」
フィアも感心したように見上げていた。
「中で寝られるのかしら?」
カレンが車両を覗き込む。
「寝られるわよ。仮眠用の設備もあるし、夜通し移動できるわ」
ミレイアはそう答えながら、荷物を荷台へ積んでいく。
「普通は護衛を雇うんだけど、今回は必要ないわね」
車両を軽く叩くミレイアを見て、ルーク達は顔を見合わせた。
自分達も戦力として数えられているということだ。少しだけ誇らしい。
「見張りは二人一組。交代制。これも訓練よ」
「休暇じゃなかったの?」
カレンが呆れた顔をする。
「休暇よ。だから楽しく訓練するの」
「まあ、ミレイア先生らしいわね」
荷物を積み終えると、一行は順番に乗り込んでいった。
車内は思ったより広く、向かい合わせの長椅子に荷物置き、仮眠用の簡易寝台まで備わっている。
「あれ?」
ルークは車内を見回した。
「一席空いてますね」
その瞬間だった。
「お待たせしました」
聞き覚えのある声に、全員が振り返る。
夕陽に照らされた北門。
そこに立っていたのは――ユノだった。
◇
一瞬、その場が静まり返った。
「ユノ?」
最初に声を上げたのはルークだった。
ユノは軽く頭を下げる。
「急な呼び出しだったので遅くなりました」
「言ってなかった?」
ミレイアが悪びれもなく言った。
「私が誘ったの」
「ユノを?」
ルークは思わず聞き返した。
ミレイアは肩を竦めると、ユノへ視線を向ける。
「先に荷物積んできなさい」
「分かりました」
ユノは素直に頷き、その場を離れた。
その背中を見送ってから、ミレイアは少しだけ声を落とす。
「アンタとユノが前から知り合いなのは、入学試験の時に分かってたしね」
「だから誘ったんですか?」
「それだけじゃないわ。気になってたのよ。強いし、努力もしてる。けど、何でも一人で抱え込むところがある」
ルークは黙って聞いていた。
「それに」
ミレイアの視線がUクラスへ向く。
「アンタ達なら何か変えられるかもしれないでしょ?」
「俺達が?」
「さあね。教師の勘よ」
ミレイアはそれ以上語らない。だが、その言葉にはどこか期待が込められているように聞こえた。
やがてユノが戻ってくる。
「終わりました」
「よし。じゃあ乗りなさい」
「ありがとうございます」
ユノは車内へ乗り込み、空いていた席へ腰を下ろした。一瞬だけルークと視線が合う。
「よろしくな」
ユノは小さく頷いた。それ以上は何も言わない。
「よし」
ミレイアが手を叩く。
「これで全員ね」
そして、駆獣車の扉が閉じられた。
◇
駆獣車がゆっくりと動き出した。
石畳を離れ、北へ続く街道へ入る。窓の外では夕陽が少しずつ沈み始めていた。
「それじゃ見張り当番を決めるわよ」
ミレイアが手帳を取り出す。
「二人一組。二時間交代。私も参加するけど、アンタ達も見張るのよ」
「訓練ですもんね」
フィアが苦笑する。
「そういうこと」
ミレイアは満足そうに頷いた。
相談の結果、見張りは三組に分かれた。最初はカレンとシエル、次がフィアとミレイア、最後がルークとユノ。
「じゃ、決まりね」
ミレイアはそう言うと、座席へ深く腰掛けた。
「先生」
「何?」
「参加するんですよね?」
フィアが確認する。
「するわよ」
ミレイアは即答した。
そして、数秒後。
「……寝てません?」
「寝てる」
シエルが即答した。
ミレイアは完全に眠っているように見えた。
「早くないですか!?」
「早いわね」
カレンも呆れている。だが、寝顔は妙に満足そうだった。
「長期休暇取れたのが嬉しいんじゃない?」
ルークが苦笑すると、全員が妙に納得した。
駆獣車は街道を進む。やがて日が沈み、窓の外は夜の景色へ変わっていった。車内の話し声も少しずつ減っていく。
見張り以外は仮眠。それが今夜の予定だった。
ルークは窓の外へ視線を向ける。遠くに見える森、静かな街道、そして満天の星空。
夏休みが始まったのだと、ようやく実感が湧いてきた。
◇
フィアは小さく欠伸をした。
最初の見張りを終えたカレンとシエルが車内へ戻ってくる。そろそろ交代の時間だ。
「ミレイア先生」
「起きてるわよ」
呼び掛ける前に返事が返ってきた。
ミレイアはそのまま立ち上がる。眠そうな様子はない。フィアは少しだけ目を丸くした。
その後は、ミレイアの指示を受けながら静かな街道を見張った。何事もなく、二時間が過ぎていく。
「ルークさん」
肩を軽く叩かれ、ルークは目を開いた。窓の外はすっかり夜だった。
「交代です」
フィアが小声で言う。どうやら見張りの順番が回ってきたらしい。
ルークが立ち上がると、向かいではユノも席を離れていた。二人で車両前方へ移動する。
夜風が心地良い。規則正しい駆獣の足音が響いていた。
しばらく夜道を眺める。
「静かね」
ユノが呟いた。
「ああ。思ったより快適だな」
「そうね」
短い返事。それでも会話は続いていた。
「合宿とか初めてか?」
「うん。ルークは?」
「俺も」
「そっか」
ユノは小さく笑った。それだけだったが、昔の距離感に少しだけ近づけたような気がした。
駆獣車は夜の街道を進んでいく。遠くで虫の声が聞こえ、月明かりが静かに二人を照らしていた。
◇
東の空が白み始めていた。
ルークは小さく伸びをする。見張りの時間もそろそろ終わりだ。
その時、駆獣車がゆっくりと速度を落とした。
「着いたみたいね」
ユノが窓の外へ視線を向ける。
やがて駆獣車は停止した。後方からも人の気配がする。どうやら他のみんなも起き始めたらしい。
ルークは車外へ出る。
そして。
「おぉ……」
思わず声が漏れた。
目の前には巨大な湖が広がっていた。朝日に照らされた水面がきらきらと輝き、遠くには緑豊かな山々が連なっている。涼しい風が湖畔を吹き抜けていた。
「綺麗……」
フィアが感嘆の声を漏らす。
「……懐かしいわね」
カレンが小さく呟いた。
湖を眺めていた仲間達の耳には、その声は届かなかった。
シエルは何も言わない。だが、珍しく湖の方をじっと眺めている。ユノもまた、静かに景色を見つめていた。
リーベルとも、セフィリアとも違う景色。
それだけで、少しだけ遠くまで来た気がする。
「ほら」
ミレイアが手を叩いた。
全員の視線が集まる。その背後には、今回の宿が見えていた。
「荷物持って。ぼさっとしてない」
ミレイアは笑う。
「今日から三週間――夏合宿開始よ!」




