第二話 一人ではない魔法
エルミア湖畔へ到着したのは、まだ早朝だった。
長時間の移動を終え、ルーク達は駆獣車から降りる。湖から吹いてくる風は涼しく、王都周辺よりもずっと過ごしやすい。
「着いたわよ」
ミレイアが軽く手を振った。
案内された先に建っていたのは、二階建ての大きなコテージだった。中には広いリビングと共有キッチンがあり、湖を眺められるテラスまで付いている。
「すご……」
カレンが素直に声を漏らした。
「奮発したのよ。三週間使うんだから、快適な方がいいでしょ?」
ミレイアは少し得意げに笑いながら、革袋を取り出した。
「はい」
放られた袋を、ルークが受け取る。中には銀貨が入っていた。
「生活費ですか?」
「食材とか日用品とか。必要な物は自分達で調達してね」
そして、いつもの笑顔で言う。
「細かいことは任せるわ」
カレンの表情がわずかに強張った。
「それって……」
「休暇を満喫するってこと?」
フィアが代わりに言った。
「正解」
即答だった。
全員が呆れた顔を向ける。だが、ミレイアはまったく気にしていない。
「訓練は見るわよ?」
「それ以外は?」
「休暇」
清々しいほどだった。
◇
荷物整理を終え、簡単に朝食を済ませる頃には、早朝移動の眠気も消えていた。自然と全員がリビングへ集まり、ルークがソファへ腰を下ろす。
すると、当然のようにシエルが隣へ座った。
距離は近い。けれど、誰も気にしていない。
「……近くない?」
ユノが思わず呟く。
「いつも通りですね」
フィアが穏やかに答える。
「いつも通り」
シエルも頷いた。
カレンは笑う。
「今日は少し離れてる方かも」
「そうなの?」
「そう」
シエルは真顔だった。
ユノは何とも言えない顔になる。だが、不思議と居心地は悪くなかった。誰も無理をしていない。自然体のまま、同じ空間にいる。
そんな空気だった。
◇
「昼に使えそうな材料、足りないな」
キッチンを確認していたルークが言った。冷蔵庫の中身は最低限しかない。
「買い出しですね」
フィアが頷く。
「誰か行く?」
カレンが聞くと、ルークが立ち上がった。
「じゃあ俺が行くよ」
「私も」
シエルが即答する。
当然のような反応だった。
ユノは小さく眉を動かした。別におかしなことではない。なのに、二人だけになる光景を想像すると、なぜか少しだけ落ち着かなかった。
気になる。
それが何なのかは、自分でもよく分からない。
「じゃあ私も行くわ」
「お願いします」
フィアが微笑む。
「私達は昼食の準備してる」
カレンも頷いた。
こうして、買い出し組はルーク、シエル、ユノの三人になった。
◇
エルミア湖畔の商店街は、朝から観光客で賑わっていた。
通りを歩きながら、ユノは横を見る。
やっぱり近い。
シエルは、何の迷いもなくルークの隣を歩いていた。
「ねえ」
「?」
「いつもそんな距離なの?」
「いつも」
即答だった。
「なんで?」
シエルは少しだけ考えた。本当に、少しだけ。
「信頼してるから」
ユノは言葉に詰まる。
照れもない。誤魔化しもない。本気でそう思っている顔だった。
信頼と距離感は別の話だと思う。普通なら、そうだ。
けれど、シエルは本気だった。だからこそ、妙に納得させられてしまう。
「……そう」
ユノは小さく息を吐き、模擬戦で見た四人を思い出した。
あの連携。あの信頼。
少なくとも、あの戦いが嘘ではなかったことだけは分かる。
「なるほどね」
少しだけ、この距離感の理由が分かった気がした。
◇
コテージへ戻る頃には、昼が近付いていた。買い込んだ食材をキッチンへ運ぶ。
「思ったより買ったな」
「三日分はあるね」
ユノが袋を置く。
「じゃあ始めましょうか」
フィアが手を叩いた。
気付けば全員が動き出している。フィアは献立を確認しながら大まかな段取りを決め、ルークは野菜を切り始めた。カレンは皿や調味料を並べ、シエルも黙々と手伝っている。
ユノは少しだけ意外に思った。
作業は驚くほどスムーズだった。細かく言われなくても、それぞれが自分の役割を見つけて動いている。
無駄がない。
戦う時だけではない。普段から、誰かが無理に引っ張っているわけではない。それぞれが自然に動き、足りないところを埋めている。
だから、あの連携ができる。
「ユノ先輩、包丁使えます?」
カレンが聞いた。
「一応ね」
「良かったです。私より上手そう」
「自覚あるのね」
「あります」
即答だった。
思わず笑う。カレンも笑った。
気付けば、会話に混ざっている。それが少し不思議だった。
やがて昼食が完成し、全員で席へ着く。
「いただきます」
「いただきます」
賑やかな昼食だった。
特別な話はしていない。くだらない雑談ばかりだ。それでも、居心地は悪くなかった。
食事を終えた頃、カレンが窓の外を見る。
「ねえ、湖行かない?」
「ん?」
「せっかく来たんだし」
「賛成」
シエルが即答する。
「私も賛成です」
フィアも頷いた。
ルークも異論はないらしい。自然と話がまとまっていく。
誰も改めてユノに確認しなかった。けれど、最初から当然のように、五人で湖へ向かう流れになっていた。
ユノは少しだけ口元を緩める。
「じゃあ行きましょうか」
◇
エルミア湖は穏やかだった。
青空を映した水面が、風に揺れる。五人は湖沿いを歩きながら、他愛ない話をしていた。
「ユノ先輩は、エルミア湖畔に来たことあるんですか?」
カレンが聞く。けれど、その声はどこかぎこちない。普段の勢いが少しだけ抑えられていた。
ユノは横目でカレンを見る。
「……話しにくそうね」
「え?」
「無理して敬語を使わなくていいわよ」
カレンは少し目を丸くした。
「いや、でも先輩ですし」
「ルークは敬語なんて使ってないわよ」
「ルークは幼馴染でしょ」
「なら、あなた達も合宿中くらい普通でいいわ」
ユノは肩をすくめる。
「ユノでいいわよ。敬語もいらない」
「……本当にいいの?」
「ええ。その方が私も楽だもの」
カレンは少しだけ迷ってから、いつもの調子で笑った。
「じゃあ、ユノ」
「ええ」
ユノも小さく笑う。
「その方が自然ね」
フィアが穏やかに微笑んだ。
「では、私はユノさんと呼ばせていただきますね」
「フィアはそのままでいいわ。急に崩されても、逆に落ち着かないし」
「そうですか?」
「ええ」
シエルがユノを見る。
「ユノ」
「あなたは本当に迷いがないわね」
「ユノがいいって言った」
「言ったけど」
ユノは呆れたように息を吐く。けれど、嫌ではなかった。
少しだけ、空気が近くなった気がした。
ユノは湖へ視線を向ける。風が水面を撫でていく。その穏やかな空気の中で、ふと思い出した。
「そういえば」
ユノが口を開く。
「あれ、結局何だったの?」
「あれ?」
カレンが首を傾げる。
「模擬戦の時、ルークがみんなの魔法に何かしてたでしょ。あれ」
「ああ」
ルークは頷いた。
「共鳴のことか」
少し考えてから、言葉を選ぶ。
「簡単に言うと、仲間の術式に俺の魔力を重ねるんだ。乱れを整えたり、足りない部分を補ったりする」
それが、今のルーク達が使っている共鳴だった。
「そんな説明でいいの?」
「だいたい合ってる」
「雑ね」
ユノは呆れたように言った。
けれど、どこか引っかかるものがあった。昔、ルークと訓練していた時、たまに光弾が妙に安定することがあった。今思えば、あれも同じものだったのかもしれない。
「……なるほどね」
ユノは小さく呟いた。
それ以上は、その場では聞かなかった。
◇
コテージへ戻った頃には、日差しも少し和らいでいた。
ミレイアはリビングのソファでくつろいでいる。完全に休暇の顔だった。
「あら、おかえり」
「ただいま」
「湖はどうだった?」
「綺麗だったわよ」
カレンが答えると、ミレイアは満足そうに頷いた。
「それは何より」
そのまま本へ視線を戻そうとする。だが、ルーク達は荷物を置くと、すぐに外へ出る準備を始めた。
「……何してるの?」
「軽く訓練してきます」
ルークが答える。
「初日から?」
「移動で体が固まってますし、軽くだけです」
「真面目ねえ」
ミレイアは呆れたように笑った。けれど、少し考えてから本を閉じる。
「まあ、暇だし見に行こうかしら」
「休暇じゃなかったの?」
カレンが半眼で言う。
「休暇よ。だから暇つぶし」
ミレイアはあっさり言った。
「それに、あなた達が何をするのかは少し気になるもの」
ルークはユノを見る。
「ユノも来るか?」
「私も?」
「ああ。軽く体を動かすだけだし」
ユノは一瞬だけ迷い、それから小さく首を横に振った。
「私はやめておくわ」
「疲れてるのか?」
「そうじゃないの」
ユノは自分の手を見る。
「私がいると、訓練に支障が出るかもしれないから」
「支障?」
カレンが眉を寄せる。
「どういうこと?」
ユノは少しだけ言葉を選んだ。
「私の魔力、少し厄介なの」
全員の視線が集まる。
「魔法じゃなくて、魔力そのものが周りに干渉するの。近くで訓練すると、他の人の術式や魔力の流れに影響が出ることがある」
フィアの表情が少し変わった。
「観測系の術式にも、ですか?」
「ええ。たぶん相性は悪いと思う」
ユノは肩をすくめる。
「だから、誰かと組むのが難しいのよ。模擬戦とか試験とか、評価に関わる場面ならなおさらね」
空気が少しだけ静かになる。
ユノは慣れたように笑った。
「一人でやる方が楽だったの。誰かに迷惑をかけることもないし」
その言い方は軽い。けれど、完全に何も感じていないようには見えなかった。
ルークは湖畔での会話を思い出す。
共鳴。
仲間の術式へ干渉し、乱れを整える力。
そして幼い頃、ユノの光弾が妙に安定したことがあった。
「ユノ」
「何?」
「試してみないか?」
ユノが目を瞬かせる。
「何を?」
「共鳴だ」
ルークは続けた。
「昔、光弾が安定したことがあっただろ。あれが共鳴の原型だったなら、今の魔力にも何かできるかもしれない」
ユノはすぐには答えなかった。期待より先に、不安が浮かぶ。
「……私の魔力、周りに影響するのよ」
「だから、試す」
ルークは真っ直ぐに言った。
「無理ならすぐやめる。けど、何か分かるかもしれない」
フィアも頷く。
「私が《風読》で確認します。影響が出たら、すぐに分かると思います」
シエルも短く言った。
「検証できる」
カレンが笑う。
「ここまで来て、何もしない方が気になるわよ」
ユノは四人を見た。
軽い言葉ばかりではない。本当に、試そうとしている。
ユノは少しだけ息を吐いた。
「……分かったわ。少しだけなら」
「決まりね」
ミレイアが本を閉じた。
さっきまでの休暇の顔から、少しだけ表情が変わっている。
「私も見るわ」
「暇つぶしじゃなかったの?」
カレンが聞く。
「暇つぶしのつもりだったわよ。でも、今の話を聞いたら気になるでしょ」
声は軽い。けれど、目はもう教師のものだった。
「少しでも異常があれば中止。いいわね?」
「はい」
ルークは頷いた。
◇
コテージから少し離れた草地へ移動する。湖畔からの風が届く、開けた場所だった。
まずは軽く体を動かす。カレンは槍を振り、シエルは小さな氷槍をいくつか展開する。フィアは《風読》で周囲の風を拾い、ルークは足元に小さな障壁を立てて感覚を確かめた。
長時間の移動で固まっていた体が、少しずついつもの調子を取り戻していく。
ユノは少し離れた場所で、その様子を見ていた。
「本当に一緒にやらなくていいのか?」
ルークが聞く。
ユノは小さく肩をすくめた。
「今のままだと、邪魔になるかもしれないもの」
その言葉で、ルークはさっきの話を思い出す。
ユノの魔力。
周囲の術式や魔力の流れへ、無意識に干渉してしまう力。
「なら、試してみるか」
ルークが言った。
ユノは少し迷ってから、前へ出る。
「……お願い」
フィアが《風読》を展開する。風がユノの周囲へ広がった。
「確認します」
「ええ」
ユノは白煌色の魔力を練り上げた。
魔法陣は展開しない。魔法として発動させるのではなく、ただ魔力だけを外へ出す。
淡い白煌色の魔力が、ユノの手のひらの上で小さな球を作った。形は整っている。けれど、それは魔法ではない。術式を通す前の、純粋な魔力の塊だった。
その瞬間。
フィアの《風読》が僅かに乱れた。
風の流れが、ユノの魔力へ引っかかる。
「……確かに、影響が出ています」
フィアが静かに告げる。
ユノは驚かなかった。そうなることは分かっていた。
「やっぱりね」
軽く言ったつもりだった。けれど、自分の声が思ったより小さく聞こえた。
ルークは一歩前へ出る。
「やってみる」
「……お願い」
ルークは、ユノの手のひらに浮かぶ魔力の球へ手をかざした。
灰銀色の魔力が指先から伸びる。触れたのは、ユノの白煌色の魔力そのものだった。
灰銀色の魔力が、白煌色の魔力へそっと重なる。
次の瞬間、手のひらの上の光が淡い銀煌色へ変わった。
「……あ」
ユノが小さく声を漏らす。
同時に、乱れていた《風読》の流れが、すっと元に戻った。
「消えました」
フィアが目を見開く。
「《風読》への干渉が消えています」
「本当に?」
ユノが思わず聞き返す。
フィアははっきり頷いた。
「はい。今の《風読》には、影響していません」
「ルークさんの魔力が混ざった瞬間、干渉が消えました」
手のひらの上には、銀煌色の魔力球が静かに浮かんでいた。ユノの魔力が周囲へ与えていた影響は消えている。
ユノは小さく息を吐いた。
周囲への影響が本当に消えたのか、自分では分からない。けれど、フィアがそう言っている。
なら、間違いないのだろう。
「不思議ね」
ユノは小さく笑った。
「こんなことになるなんて思わなかった」
ルークが魔力を引くのに合わせて、ユノも手のひらの魔力球を消した。銀煌色の光は淡くほどけ、静かに空気へ溶ける。
草地に、湖からの風が流れ込んだ。
シエルはしばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言う。
「……魔力の性質を変えてる?」
「性質?」
ユノが聞き返す。
「たぶん」
シエルは頷いた。
「ユノの魔力に、ルークの魔力が混ざった。だから、周りに干渉しにくくなった」
ミレイアは腕を組んだまま、二人の言葉を聞いていた。
いつもの軽い笑みはある。けれど、その目はどこか楽しそうだった。
「面白い結果ね」
「面白い、で済むんですか?」
ルークが聞く。
「済ませないわよ。むしろ、ちゃんと整理する価値があるわ」
全員の視線がミレイアへ向く。
「今日起きたことは、ユノの魔力そのものに変化が起きていた可能性があるわ。少なくとも、いつもの術式補助とは少し違う」
ユノは自分の手を見る。
そこにはもう、白煌色の魔力も灰銀色の魔力も残っていない。けれど、銀煌色に変わった一瞬の感覚だけは、まだ残っていた。
「私の魔力が……変わった?」
「可能性の話よ」
ミレイアはそう言ってから、ルークを見る。
「でも、あなた達の共鳴を考える上では、かなり大事な手がかりかもしれないわ」
ルークは頷いた。
自分の魔力が、ユノの魔力に何をしたのか。まだ分からない。
ただ、確かな手がかりにはなった。
「夜に整理しましょう」
ミレイアが言った。
「カレン、シエル、フィア。あなた達の共鳴で起きていたことも含めて、もう一度確認するわ」
「私達も?」
カレンが目を丸くする。
「当然でしょ。ユノだけの話とは限らないもの」
シエルは小さく頷いた。
「共鳴の仕組みに関係する」
「かもしれませんね」
フィアも静かに答える。
ユノはその会話を聞きながら、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなるのを感じた。
自分だけの問題ではない。ルークと、Uクラスのみんなが積み上げてきた共鳴。その奥に、自分も触れたのかもしれない。
そう思うと、胸の奥が少しだけ揺れた。
「……変な感じね」
ユノは小さく笑った。
ルークも小さく笑う。
「だな」
夏合宿は、ただの休暇では終わりそうになかった。




