第八話 勝機
『勝機があります』
《翠銀風域》を通して届くフィアの声には、迷いがなかった。
ルークは即座に問い返す。
『どこだ? 通れるのか?』
フィアは戦場から目を離さない。翠銀色の風が戦場を流れ、勝つための道筋を浮かび上がらせていた。
『一本だけあります。通れます』
そして、続ける。
『突破できるのはカレンさんだけです』
カレンが笑った。
「なら行くだけでしょ」
槍を握る手に迷いはない。
『私が通します。みなさんは信じてください』
『見えてるんだな?』
ルークの確認に、フィアは迷わず答えた。
『はい』
その一言で十分だった。
ルークは短剣を構え、カレンは槍を握り直し、シエルは静かに前を見据える。
フィアには勝機が見えている。なら、ルーク達はそこへ辿り着けばいい。
◇
カレンが飛び出した。
向かう先はただ一つ。Sクラスのシンボル。
観客席がざわつく。
「あいつ!」
「まさか!」
「シンボル狙いだ!」
緋紅色の炎が石畳を蹴る。速い。だが、気付かれないはずがなかった。
ベイルの目が細くなる。狙いは理解した。シンボル。最短勝利条件。だからこそ、行かせるわけにはいかない。
「行かせるか」
岩鉄色の魔力が揺れ、大盾を構えたままベイルがカレンを追う。
同時に、フィアの声が風に乗って響いた。
『通します!』
アルクもまた、戦場の変化に気付いていた。カレン、ベイル、シンボル。点と点が繋がる。
「なるほどな」
口元が吊り上がる。
「そういう勝ち筋か」
風が吹く。狙う先はカレン。突破役を潰せば終わると、アルクは判断した。
だが、その前へ一人が割り込む。
灰銀色の魔力剣を構えたルークだった。
アルクが足を止める。
「そう来るか」
「行かせない」
互いに構える。アルクが笑った。
「足止めする気か?」
「違う」
ルークは一歩踏み出し、灰銀色の剣先をアルクへ向けた。
「俺も行く」
一瞬、アルクの目が細くなる。
理解する。足止めじゃない。こいつも突破する気だ。
セレスの判断も早かった。蒼い瞳がカレンを捉え、防衛のために最優先目標を変える。白氷色の魔法陣が展開された。
だが。
「駄目」
静かな声に、セレスが視線を向ける。
そこにはシエルがいた。銀色の髪が風に揺れ、蒼い瞳はまっすぐセレスを見ている。
「あなたは行かせない」
蒼氷色の魔力が広がり、セレスも無言で魔力を練り上げる。
戦場が分かれる。カレンとベイル。ルークとアルク。シエルとセレス。
それぞれの思惑を乗せたまま、戦いはシンボルへ向かって動き始めた。
◇
カレンは瓦礫を飛び越え、崩れた屋台の横を抜ける。
『右です』
迷わず曲がった。
(見えてるなら、任せる)
直後、背後で轟音が響き、岩鉄色の岩壁が立ち上がる。
『前』
緋紅色の炎が石畳を蹴る。
『左』
レンガ壁の隙間を抜ける。
『そのままです』
カレンは迷わない。フィアの声だけを追い、風に導かれるまま最短距離を駆け抜けた。
◇
セレスは白氷色の魔法陣を展開した。複数同時構築。狙いはカレン。
氷弾が放たれる。
だが、その直後、別方向から同じ氷弾が飛び、空中で激突して砕け散った。
セレスの表情が動く。シエルだった。
さらにセレスが氷槍を放つ。同時に、シエルも氷槍を放った。軌道を読んだ迎撃が寸分違わず重なり、轟音とともに空中で相殺される。
「……」
セレスが目を細めた。
もう一度、角度を変える。タイミングを変える。発射位置もずらす。
だが、結果は同じだった。氷弾も、氷槍も、氷晶も、その全てが空中で迎撃される。
観客席がどよめいた。
「まただ!」
「全部消された!」
「読まれてる!」
シエルは静かに前を見ていた。術式が見える。構築が見える。魔力の流れが見える。だから発動前に分かる。どこへ、何が来るのか。
「そこ」
次の氷槍も、空中で砕けた。
セレスは理解した。このままでは届かない。援護射撃は通らない。なら、守るしかない。
セレスはシンボル方向へ後退し、防衛位置へ移る。シエルも、放たれる氷を迎撃しながら追った。
「逃がさない」
◇
カレンは走る。
距離は確実に縮まっている。Sクラスのシンボルへ。
ベイルは歯を食いしばった。
追いつけない。大盾を持ったままでは回り込めない。フィアの誘導が正確すぎる。このままなら、先にシンボルへ到達される。
「くっ……!」
ベイルは一瞬だけ周囲を見た。
遮蔽物が邪魔で追いつけない。普通に追っても間に合わない。大盾を持ったまま、障害物を避けて走っていては届かない。
なら。
越える。
岩鉄色の魔力が地面へ流れ込み、観客席がざわつく。
「また土魔法か?」
「何する気だ?」
ベイルは足を止め、自身の足元へ術式を展開した。
次の瞬間、轟音とともに巨大な岩柱が突き上がった。
「なっ!?」
観客席から驚きの声が上がる。ベイル自身を乗せたまま、岩柱が一気に上昇していく。
高い。
レンガ壁も、土嚢も、岩壁も。周囲の遮蔽物を全て越える高さへ。
カレンが目を見開く。
「はぁ!? そんなのあり!?」
それでも足は止めない。
ベイルも構わなかった。視線の先にあるのはSクラスのシンボル。そこだけを見ていた。
そして、岩柱がゆっくりと、だが確実にシンボル方向へ倒れ始める。
観客席が騒然となった。
「岩柱を倒した!?」
「自分ごとかよ!」
「無茶苦茶だ!」
轟音とともに、巨大な岩柱が前方へ倒れる。即席の橋。即席の最短距離。
ベイルは大盾を構えたまま、一直線にシンボルへ向かって駆け出した。
『っ……!』
一瞬、フィアが息を呑む。予想外だった。
だが、風はまだ戦場を捉えている。
『問題ありません』
すぐに声が響いた。
『まだ勝機は残っています』
◇
ルークは前を見る。その先にはアルク。アルクもまた笑っていた。
「安心したぜ」
風が揺れる。
「俺も急いでるんだよ」
「俺もだ」
互いの視線は同じ場所へ向いている。
シンボル。辿り着きたい場所は同じだった。だから譲れない。
アルクが踏み込む。風属性による加速で、一瞬のうちに間合いを潰した。
短剣が閃き、ルークは魔力剣で受ける。金属音。さらに二撃、三撃と続く。
速い。
だが、受け続けるだけでは終わらない。
ルークは踏み込んだ。
アルクの目が細くなる。
「っ!」
守りに入ると思った。だが違う。ルークもまた突破を狙っていた。
魔力剣と短剣がぶつかり、押し合う。
その瞬間、アルクの眉が動く。
「……?」
感触がおかしい。押しているはずなのに、魔力剣が僅かに沈み、しなる。
まるで。
弾性。
次の瞬間、反発した。
「っ!?」
短剣が弾かれ、アルクの体勢が崩れる。ほんの僅か。だが、ルークには十分だった。
踏み込む。
ガルドとの訓練で何度も繰り返した、無駄のない斬撃。
灰銀色の剣閃が走り、重い衝撃がアルクの結界を軋ませた。
「ちっ!」
アルクは強引に後退する。結界維持。魔力制御。すぐには追撃に移れない。
ルークも深追いしなかった。目的は倒すことじゃない。突破すること。
進路が開く。
ルークは駆けた。アルクの横を抜ける。
「その剣まで変形すんのかよ……!」
背後で悔しそうな声が響く。だが、戦意は消えていない。
まだ終わっていない。それでも、今は間に合わない。
ルークは振り返らなかった。
フィアも少し遅れて後を追う。風は途切れない。
『ルークさん! そのままです!』
風が導く。
前へ。シンボルへ。勝機へ向かって。
視界の先に、巨大な岩柱が見える。ベイルが倒した即席の橋。その上を、大盾を構えたベイルが駆けている。
ルークも速度を上げた。
◇
Sクラスのシンボル前広場。
ベイルは先に到着していた。
大盾を地面へ打ち付ける。
轟音。
岩鉄色の魔力が足元へ広がり、防衛態勢が整う。
その隣へ、セレスも滑り込んだ。白氷色の魔力が展開され、迎撃準備に入る。
二人の視線は前方へ向いていた。来る。必ず。その予感は正しかった。
緋紅色の炎が広場へ飛び込む。カレンだった。
槍を構えるカレンに向かい、ベイルが大盾を構える。
「ここから先は通さない」
カレンは笑った。
「なら、ぶち抜くだけよ」
◇
少し遅れて、ルークとフィアも広場へ辿り着いた。
ベイルが作った道を逆に利用したのだ。倒れた岩柱を渡り、最短で追いついた。
フィアは周囲を確認する。風が広がる。
ベイル。セレス。カレン。
そして、後方から近付く魔力。
紫電色。
レイド。
それに、アルク。
まだ追ってきている。
『シエルさん』
『見えてる』
返答はすぐだった。
次の瞬間、シエルが広場へ姿を現した。銀色の髪が揺れ、蒼い瞳は冷静に戦場を見ている。
視線の先にはシンボル。そして、近付いてくるレイドとアルク。全てを捉えていた。
ルークは魔力剣を構え、カレンは槍を握り直す。シエルは静かに魔力を練り、フィアは風を広げる。
ベイルが大盾を構え、セレスが魔法陣を展開した。
戦場の空気が止まる。
一瞬だけ。
嵐の前の静寂。
観客席も息を呑む。
「揃った……」
「最後か」
フィアは前を見た。
シンボル。ベイル。セレス。勝機。
全てが繋がる。
そして、風に乗ってフィアの声が届いた。
『揃いました』
それだけで、全員が理解した。
前へ出る者。
支える者。
抑える者。
全てが、届く位置にある。
ここが勝負だ。
フィアは小さく息を吸った。
『ここからです』




