第七話 支える力
無数の氷槍が空を埋めていた。
戦場上空で激突した氷槍群が砕け散り、白い霧と氷片が降り注ぐ。その中心に立っているのはシエルだった。
蒼氷色の魔法陣が幾重にも重なり、迎撃、制圧、追撃――三つの術式が同時に組み上がっている。
観客席は静まり返っていた。誰も声を出せず、目の前で起きていることを理解できない。
術式は複雑すぎるうえ、構築速度も尋常ではない。普通なら途中で崩れるはずなのに、それでもシエルは成立させていた。
シエルは静かに戦場を見つめる。
理想の術式は成立している。
それだけで十分だった。
◇
観客席上段。
黒外套の男は、静かに戦場を見ていた。
いや、見ていたのはシエルではない。
ルークだった。
灰銀色の魔力がシエルの術式へ流れ込んでいる。拒絶はなく、術式の流れも乱れていない。
本来なら異物であるはずの灰銀色の魔力が、まるで最初からそこにあったように、シエルの術式を支えている。
「……興味深い」
小さな呟きが漏れた。
術式ではない。
あの共鳴。
あの灰銀色の魔力。
男は無意識に目を細めた。
◇
フィアは戦場を見ていた。
シエルの迎撃、カレンの牽制、ルークの共鳴。その全てが成功している。
だが、崩れない。
Sクラスが。
「……うそ」
思わず声が漏れた。
普通なら流れが変わり、押し込めるはずだった。なのに、Sクラスはまだ戦線を維持している。
レイド、アルク、セレス、そしてベイル。
誰一人として崩れていない。
フィアは息を呑んだ。
危険だ。
このままでは押し返される。
『一旦下がります!』
《翠銀風域》を通して、フィアの声が届く。
Uクラスは即座に後退したが、その間もベイルだけは静かに前へ進んでいた。
◇
ベイルは止まらない。
大盾を構えたまま、一歩、また一歩と前へ出る。その後ろでレイドが動き、アルクが動き、セレスが位置を変えた。
陣形が変わっていく。
ベイルを中心に、Sクラス全体が動き始めていた。
その時だった。
岩鉄色の魔力が、ベイルの足元から地面へ広がる。静かに、だが確実に。
シエルの表情が変わった。
「来る」
蒼い瞳が細くなる。
「術式が、大きい」
地面が震え始めた。
それでもベイルは止まらない。大盾を構えたまま前へ出る。その口が、僅かに動いていた。
風がその声を拾う。
詠唱。
フィアが眉を寄せた。
「……詠唱?」
小さいが、確かに届いた。
カレンが槍を振ると、緋紅色の炎が燃え上がり、《紅穿》が一直線に飛ぶ。
だが、ベイルは止まらない。
大盾が前へ出る。
轟音。
炎が弾けた。
それでもベイルは歩き続ける。地面を伝う魔力は、さらに膨れ上がっていった。
ルークも気付いた。
何かを組んでいる。
しかも、かなり大きい。
そして、ベイルが足を止めた。
「――岩柱群」
次の瞬間、轟音と共に地面が隆起した。
巨大な岩柱が次々と突き上がり、中央広場の戦場内を埋め尽くしていく。退路を塞ぎ、視界を遮り、さらにそのうちの数本が進路を塞ぐように傾いて、Uクラスへ迫った。
観客席が騒然となる。
「でかっ!」
「なんだあれ!?」
「広場全部だぞ!」
フィアの声が響いた。
『来ます!!』
ルークは迷わなかった。
前へ出る。
シエルの前へ。
フィアの前へ。
カレンの前へ。
全員を庇う位置へ。
灰銀色の魔力が地面を走り、次の瞬間、障壁が地面から突き上がる。
さらに。
性質転換。
弾性。
《弾性障壁》。
巨大岩柱が激突した。
轟音。
灰銀色の障壁が大きく沈み、押し潰されるように歪む。その光景を見た観客達は、耐えられない、砕ける、と確信した。
だが、ルークは目を逸らさない。
(耐えろ……いや、違う)
受けるな。
返せ。
次の瞬間、沈み込んだ障壁がしなった。
圧縮されていた衝撃が横へ逃げ、岩柱の軌道が逸れて弾き飛ばされる。
轟音が響き、石片が舞った。
成功した。
初めて実戦で。
ルークの口元が僅かに上がる。
観客席が息を呑んだ。
「は?」
「なんだ今の」
「なんで壊れねぇんだ」
教師達も驚いていた。
ミレイアだけが笑う。
「やっと使ったわね」
ベイルの目が細くなる。
理解できない。
障壁で受けたのではない。
流した。
逸らした。
予想外だった。
改めて、ルークの異常性を実感する。
◇
全員の視線がルークへ向いた。
観客も、教師も、ベイルも。
だが、カレンだけは違った。
見ているのはレイド。岩柱へ向けられた視線が、一瞬の隙を生んでいる。
それで十分だった。
カレンの前にも岩柱は迫っていた。正面からまともに当たれば、それで終わる。
だが、カレンは迷わない。
(ルークがいる。だから、前へ出られる)
だから踏み込める。
灰銀色の障壁が地面から突き上がり、カレンの進路へ割り込む。弾き、流し、軌道を逸らす。
ほんの一瞬、カレンの前に道が開いた。
その隙間を、カレンは駆け抜ける。
「なっ――」
近い。
好機。
この瞬間のために完成させた、とっておきだ。
届かせる。
緋紅色の炎が、槍の後端――石突へ集まっていく。推進力へ変えるために。
そして、爆ぜた。
「《緋槍突》!」
轟音。
緋紅色の炎が、カレンを一直線に押し出した。
槍がレイドの結界へ直撃する。
「ぐっ!?」
結界が軋む。
いや、削られている。
目に見えて。
レイドの表情が変わった。
さらに、槍先は止まらない。結界を削りながら前へ進む。
このまま受ければ、抜かれる。
「っ!」
レイドは強引に後方へ跳び、距離を取り、結界を維持しながら魔力を立て直す。
即戦闘不能ではない。
だが、前線維持は困難だった。
観客席がどよめく。
「下がった!?」
「レイドが!?」
「押されたのか!?」
アルクが目を見開き、セレスも言葉を失っていた。
ベイルもまた、黙って戦場を見ていた。
◇
フィアは《翠銀風域》を維持していた。
風が情報を運ぶ。
位置、速度、魔力。
必要なものだけが、鮮明に見える。
レイド後退。アルク足止め中。セレス牽制中。そして、ベイルだけが前へ出ている。
「……あ」
声が漏れた。
見えた。
ほんの一瞬、戦場の流れが繋がる。
今まで見えなかったものが見えた。
レイド、アルク、セレス、ベイル。
四人で完成していた連携。
だが、今は違う。
レイドが下がったことで、噛み合っていた歯車が僅かにずれた。
風が通る。
一本の道筋のように。
勝つための形が見えた。
(見えた。ここなら、通せる)
フィアの瞳が見開かれる。
『みなさん』
《翠銀風域》を通して、フィアの声が響いた。
その声は、もう迷っていなかった。
『勝機、あります』




