第六話 理想の魔法
シエルは戦場を見ていた。
ベイル・グランツ。
大盾を構える土属性魔法士。
その周囲で魔力が動く。
土属性魔力。
術式構築。
流れ。
構造。
組み方。
組み上がる速度。
全てが見える。
ベイルの足が動いた。
大盾が僅かに傾く。
土属性魔力が流れる。
術式構造。
用途。
発動位置。
組み上がる。
「土壁」
小さく呟く。
《風伝》が即座に拾う。
『土壁』
フィアが共有する。
『突破です』
カレンの目が細くなった。
次の瞬間。
轟音。
石壁が地面から突き上がる。
視界を遮断。
同時。
雷光色が走った。
レイド。
予想通りだった。
「っ!」
だが。
カレンは既に踏み込んでいた。
炎槍が振り抜かれる。
激突。
雷光と深紅炎が正面からぶつかった。
「なに?」
レイドが僅かに眉を動かす。
土壁はまだ発動したばかりだった。
本来なら。
ここから反応が遅れる。
そこへ踏み込む。
いつもの形。
だが。
カレンは既に迎撃態勢へ入っていた。
偶然か。
そう思った。
ベイルもまだ動じない。
連携は一つではない。
大盾が動く。
再び土属性魔力。
術式構築。
今度は違う。
「隆起」
シエルが言う。
『地面隆起』
『撹乱です』
フィアが共有した。
直後。
路地の地面が持ち上がる。
本来なら。
アルクがそこを利用して侵入する。
だが。
ルークの声が先に飛んだ。
『右路地』
アルクが飛び出す。
同時。
灰銀色の障壁。
ガンッ!
「うおっ!?」
アルクが弾かれた。
体勢が崩れる。
その隙に氷槍が飛ぶ。
シエルの迎撃。
アルクは慌てて回避した。
「おいおい……」
アルクが笑う。
だが。
その表情は少しだけ引きつっていた。
「なんか変じゃね?」
誰に向けた言葉でもない。
しかし。
ベイルも同じことを感じていた。
連携が機能しない。
いや。
正確には。
先回りされている。
視線が向く。
後方。
銀髪の少女。
シエル。
その蒼い瞳は。
ずっとこちらを見ていた。
まるで。
次の手を待っているように。
ベイルは初めて小さく眉を寄せた。
◇
レイドが後方へ跳んだ。
距離を取る。
カレンも深追いしない。
一瞬だけ戦場が静かになる。
「偶然じゃないな」
レイドが言った。
ベイルは頷く。
「ああ」
短い返事だった。
だが。
それだけで十分だった。
連携が読まれている。
少なくとも。
そう考えるべき状況だった。
アルクが肩を竦める。
「やりにくいな」
「いつもの形が全部潰される」
ベイルは視線を向ける。
後方。
フィア。
そして。
シエル。
どちらか。
あるいは両方。
原因はそこだろう。
だが。
分かったところで意味はない。
対処しなければならない。
「セレス」
ベイルが呼ぶ。
セレスは小さく頷いた。
腰の魔法書へ手を伸ばす。
パラリ。
ページが開く。
氷蒼色の魔力が溢れ出した。
同時。
ベイルが位置を変える。
セレスの前。
大盾を構えた。
護衛。
誰の目にも分かる動きだった。
「大技か」
ルークが呟く。
ベイルが前へ出ない。
それどころか。
自らセレスの盾になった。
つまり。
この術式は守る価値がある。
あるいは。
試合の流れを変える切り札。
セレスは静かに詠唱を始める。
氷属性魔法士。
その本領。
大規模術式。
複雑な術式ほど構築には時間が掛かる。
だからこそ。
魔法書による補助と詠唱による安定化が必要になる。
空気が冷える。
温度が下がる。
白い吐息が漏れ始めた。
氷蒼色の魔法陣。
一つ。
二つ。
三つ。
次々と空中へ展開される。
観客席から歓声が上がった。
「すげぇ……」
「セレス本気じゃねぇか」
対するシエルは動かない。
ただ。
静かにその術式を見ていた。
◇
シエルはセレスを見ていた。
魔法書。
詠唱。
多重魔法陣。
複雑な術式が次々と組み上がっていく。
氷属性。
広域術式。
制圧型。
解析する。
構造を追う。
魔力の流れを読む。
そして。
理解した。
「広域制圧」
小さな呟き。
フィアが反応する。
『シエルちゃん?』
《風伝》。
シエルは視線を外さない。
『戦場全体』
『たぶん氷槍』
『数が多い』
短い説明。
それだけで十分だった。
フィアの表情が変わる。
ルークも理解する。
障壁だけでは足りない。
回避にも限界がある。
発動を許せば押し込まれる。
なら。
正面から撃ち落とすしかない。
シエルは既に術式を組み始めていた。
氷蒼色の魔法陣。
一つ。
二つ。
三つ。
空中へ展開される。
観客席がざわついた。
「速くないか?」
「無詠唱だぞ」
「もう組んでる」
氷蒼色の魔法陣が次々と増えていく。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
重なり合う術式。
複雑に絡み合う魔力回路。
その様子に観客達は顔を見合わせた。
「いや……」
「多くないか?」
「なんだあの術式」
「発動できるのか?」
誰かが呟く。
それは疑問というより困惑だった。
術式は複雑になるほど構築が難しくなる。
魔力の流れ。
接続。
干渉。
僅かでも組み方を間違えれば正常に発動しない。
まして。
あれだけの規模。
あれだけの多重構築。
普通なら成立しない。
だが。
シエルは気にしない。
迎撃。
制圧。
追撃。
三系統同時構築。
必要な術式は完成している。
足りないのは出力だけ。
それでも。
術式構築は止めない。
後ろを振り返ることもしない。
必要ないからだ。
灰銀色の魔力が近付く。
知っている。
この感覚を。
フィアの声が響く。
『ルークさんが下がります』
その瞬間。
カレンが動いた。
深紅炎が走る。
レイドが踏み込もうとした進路を塞ぐように。
「っ!」
レイドが足を止める。
さらに。
別方向へ炎刃が飛んだ。
「うおっ!?」
アルクが慌てて回避する。
カレンは槍を構えたまま笑う。
「悪いけど」
「今は通さない」
深紅炎が揺らめく。
その背中を見ながら。
ルークは後方へ走った。
一直線に。
シエルの元へ。
シエルは振り返らない。
ただ術式を組み続ける。
分かっているからだ。
来ると。
◇
その時。
背中へ手が触れた。
「シエル」
短い呼び掛け。
シエルは小さく頷く。
「うん」
振り返らない。
説明もいらない。
次の瞬間。
灰銀色の魔力が流れ込んだ。
無属性魔力。
だが。
異物感はない。
拒絶もない。
静かに。
自然に。
術式へ流れ込む。
足りなかった魔力が満たされる。
必要出力へ到達する。
それだけ。
ただそれだけだった。
だが。
それで十分だった。
シエルは目を細めた。
完成した。
理想の形のまま。
削ることなく。
妥協することなく。
理想の術式。
用途に対して最大の効果。
無駄のない魔力効率。
最短の発動速度。
全てを成立させた完成形。
本来なら届かない。
出力が足りないから。
だから削れと言われた。
規模を。
効果を。
複雑さを。
何度も。
だが。
シエルは削りたくなかった。
理想が見えていたから。
完成形が分かっていたから。
それを捨てたくなかった。
だが今は違う。
灰銀色の魔力が術式を満たしている。
足りない最後の一欠片を埋めるように。
届いた。
初めて。
理想へ。
シエルの口元が僅かに緩む。
「行け」
氷槍が放たれる。
一斉射出。
空を埋め尽くす氷の雨。
観客席が息を呑む。
「でか……」
「おい」
「全部落ちてくるぞ」
だが。
シエルは動じない。
既に術式は完成している。
氷蒼色の魔法陣が輝いた。
空へ向かって無数の氷槍が撃ち上がる。
迎撃。
真正面から。
セレスの氷槍群へ突き刺さる。
轟音。
氷と氷が激突する。
砕け散る氷片。
白い霧。
空中で次々と相殺されていく。
「全部……」
「落とした?」
観客席がざわめく。
だが。
シエルの術式は終わらない。
二つ目の魔法陣。
発動。
無数の氷杭が地面から突き上がる。
一直線。
セレスへ向かって。
「っ!」
セレスの表情が変わる。
回避。
だが。
三つ目。
別の魔法陣が起動する。
氷槍。
今度は上空から。
回避先を塞ぐように降り注ぐ。
迎撃。
制圧。
追撃。
三系統同時発動。
観客席が静まり返った。
誰も声を出せない。
理解が追い付かない。
複数の高難度術式。
それを。
ほぼ同時に発動している。
セレスは氷壁を展開する。
防御。
回避。
迎撃。
対応に追われる。
完全に。
主導権を奪われていた。
◇
ベイルは戦場を見ていた。
セレスが押されている。
それ自体は問題ではない。
セレスは強い。
一人で崩れるような魔法士ではない。
問題は別だった。
対応が早い。
土壁。
地面隆起。
どちらも潰された。
偶然ではない。
そして今。
セレスの切り札まで迎撃された。
ベイルの視線が向く。
後方。
フィア。
そして。
シエル。
どちらか一人ではない。
おそらく。
両方だ。
「なるほどな」
小さく呟く。
そういうことか。
ベイルは大盾を握り直した。
このまま後ろで支えていても崩せない。
戦術を変える必要がある。
なら。
やることは一つだった。
「レイド」
呼び掛ける。
雷光色の魔力が揺れた。
「なんだ?」
「前を押さえろ」
短い言葉。
レイドは意味を理解した。
口元が少しだけ上がる。
「やっとか」
ベイルはセレスの前へ出る。
一歩。
また一歩。
大盾を構えながら。
後衛ではなく。
前衛として。
観客席がざわついた。
「ベイル?」
「前に出るのか?」
「マジか」
今まで戦場を支えていた男が動く。
それは。
Sクラスの戦い方が変わるということだった。




