第八話 見えている世界
中間試験当日。
教室には普段より少し重い空気が流れていた。
問題用紙が配られる。
開始の合図。
紙をめくる音が一斉に響いた。
シエルも問題用紙へ視線を落とす。
科目は術式構築論。
嫌いではない。
むしろ好きだった。
一問目。
術式図を確認する。
頭の中で術式が組み上がる。
魔力流路が見える。
出力の流れが見える。
どこを通り。
どこで循環し。
どこで損失しているのか。
自然と理解できた。
改善案も見える。
解答を書く。
二問目。
同じ。
三問目。
同じ。
問題文を読む。
術式を見る。
答えを書く。
それだけだった。
難しいとは思わない。
悩むことも少ない。
ただ。
解いているだけだった。
ふと。
シエルは顔を上げる。
教室を見回した。
まだ誰も終わっていない。
カレンは眉間に皺を寄せている。
フィアも問題用紙と睨み合っていた。
ルークも腕を組みながら考え込んでいる。
シエルは首を傾げた。
まだ途中らしい。
「?」
再び問題用紙へ視線を戻す。
最終問題。
ここだけ少し複雑だった。
通常より多い術式層。
複数の循環構造。
意図的に隠された欠陥。
シエルは数秒だけ考える。
そして。
「あ」
原因を見つけた。
第四層。
循環が成立していない。
だから出力が流れない。
第三節点を反転。
余剰出力を主術式へ還元。
成立。
解答を書く。
終わりだった。
シエルはペンを置く。
再び教室を見る。
まだ終わっていない。
やはり少し不思議だった。
試験終了。
問題用紙が回収される。
あちこちから疲れた声が聞こえた。
数日後。
術式構築論の返却日だった。
教室には朝から妙な緊張感が漂っている。
答案が返却される。
シエルは点数を確認した。
問題ない。
予想通りだった。
シエルは答案を机へ置く。
「普通」
その横で。
カレンが自分の答案を見ながら顔をしかめていた。
「あー……」
「やっぱ最後落としてる」
ルークも苦笑する。
「俺もだ」
「最後だけ全然だったな」
フィアも小さく頷いた。
「難しかったです……」
三人とも似たような結果だった。
そこで。
カレンが何気なくシエルの答案へ視線を向ける。
そして固まった。
「は?」
満点。
赤字で大きく書かれている。
カレンはもう一度確認する。
やっぱり満点だった。
「どこが普通なのよ」
「満点じゃない」
シエルは首を傾げる。
「?」
「満点」
「だから普通」
「意味分かんないんだけど」
カレンが頭を抱えた。
その時だった。
担当教師が教壇へ立つ。
「静かにしろ」
教室が少しずつ静まる。
教師は一枚の答案を持ち上げた。
「術式構築論についてだ」
ざわつきが収まる。
「今回の試験だが」
「最終問題の正解者は一名だった」
一瞬。
教室が静まり返った。
そして。
すぐにざわめきが広がる。
教師は気にせず続ける。
「正解者は」
一拍。
「シエル」
今度は別の意味で静まり返った。
全員の視線が集まる。
カレンが固まる。
「は?」
フィアも目を丸くした。
「一人だけ……?」
ルークは少しだけ納得した。
シエルなら解いていても不思議じゃない。
教師が答案を掲げる。
「最終問題は術式研究学科の教師が作成した」
教室が嫌な予感に包まれる。
「いわゆる満点阻止問題だ」
教室のあちこちからため息が漏れた。
教師は続ける。
「術式研究学科三年生でも」
「正答へ辿り着くには相応の時間が必要な問題だった」
教室が騒然となる。
カレンが呆れた顔をした。
「迷惑」
思わず教室から笑いが漏れる。
教師も少しだけ苦笑した。
そして。
視線をシエルへ向ける。
「シエル」
「はい」
「どうやって解いた?」
教室中の視線が集まる。
シエルは少し考えた。
解き方。
普通に解いただけだ。
「第四層の循環構造が成立してなかったので」
静かに答える。
「第三節点を反転させました」
沈黙。
誰も反応しない。
シエルは続ける。
「そうすると出力経路が一本余るので」
「そこを主術式へ戻せば成立します」
再び沈黙。
教師が確認するように聞いた。
「……それだけか?」
「はい」
シエルは頷く。
「それだけです」
また沈黙。
数秒後。
カレンが口を開いた。
「絶対説明してないわよね?」
教室中が頷いた。
フィアも頷いた。
ルークも頷いた。
教師まで頷いた。
シエルは少し困惑する。
ちゃんと説明したはずだった。
だから。
何が駄目だったのか。
やっぱり分からなかった。
昼休みになっても。
最後の問題の話題は続いていた。
特に。
シエルの解答について。
「で?」
カレンが身を乗り出す。
「結局どうやって解いたのよ」
フィアも頷く。
「私も気になります」
シエルは少し考えた。
どうやって。
と言われても。
普通に解いただけだった。
「第四層が死んでた」
沈黙。
カレンが瞬きをする。
「は?」
シエルは続ける。
「だから第三節点を反転」
「余剰出力を主術式へ戻した」
「終わり」
再び沈黙。
カレンが腕を組む。
「分からない」
フィアも頷いた。
「分からないです」
シエルは少し首を傾げる。
「簡単」
「簡単じゃない」
二人の声が綺麗に重なった。
シエルはますます分からない。
本当に簡単だったからだ。
そこで。
ルークが口を開いた。
「つまり」
三人の視線が集まる。
ルークは少し考えながら言葉を選ぶ。
「術式の流れが途中で止まってたんだろ」
シエルが頷く。
「そう」
「で」
ルークは続ける。
「そのままだと出力が流れないから」
「別の経路へ繋いだ」
「だいたい」
シエルが頷いた。
カレンが固まる。
フィアも固まる。
「なんで分かるのよ」
カレンが真顔で聞いた。
ルークは苦笑する。
「いや」
「分かったのそこだけだぞ」
「残りは全然」
正直。
第四層とか第三節点とか言われても分からない。
でも。
術式の流れが止まっている。
くらいなら何となく想像できた。
シエルは頷く。
「それで十分」
「十分なの?」
フィアが聞く。
「大事なのそこ」
シエルは即答した。
カレンが頭を抱える。
「会話になってるのが怖いんだけど」
フィアも小さく頷く。
「凄いです……」
ルークは肩を竦めた。
「そんなこと言われてもな」
シエルは少しだけ考える。
何がそんなに難しいのか。
やっぱり分からなかった。
でも。
みんなが困っていることだけは分かった。
だから。
「図にする?」
一応提案してみる。
沈黙。
数秒後。
カレンが首を振った。
「やめとく」
嫌な予感しかしなかった。
シエルは少しだけ不思議そうな顔をした。
放課後。
授業を終えた四人は訓練場へ向かっていた。
中間試験が終わったとはいえ。
魔法士学科に休みはない。
むしろ午後からが本番だった。
訓練場の横を通る。
他クラスの生徒達も訓練中だった。
魔法陣。
詠唱。
発動。
あちこちで魔法が飛び交っている。
シエルは何気なく視線を向けた。
火属性の魔法士。
中距離型。
展開中の魔法陣。
術式構造。
魔力流路。
出力経路。
頭の中で自然と解析される。
第三節点。
少し歪んでいる。
出力も足りない。
発動はする。
でも。
維持できない。
「失敗」
シエルが呟いた。
「ん?」
カレンが振り返る。
「何が?」
シエルは訓練場を見たまま答える。
「第三節点」
「崩れてる」
「失敗する」
数秒後。
訓練場で魔法が発動した。
火炎弾。
途中までは順調だった。
だが。
術式が崩れる。
火炎弾が霧散した。
「あっ!?」
訓練していた生徒が慌てる。
周囲からも声が上がった。
失敗だった。
フィアが目を丸くする。
「えっ」
カレンも訓練場を見る。
そしてシエルを見る。
また訓練場を見る。
「え?」
ルークも少し驚いていた。
偶然ではない。
そんな顔だった。
シエルは首を傾げる。
予想通りだったからだ。
「やっぱり」
フィアが恐る恐る聞く。
「なんで分かったんですか?」
シエルは答える。
「見えた」
「何がですか?」
「術式」
フィアが固まる。
カレンも固まる。
ルークは少しだけ考える。
そして結論を出した。
「分からん」
「分からない」
カレンが即答した。
シエルは少し不思議そうな顔をする。
「そう?」
本当に見えていた。
だから。
何が分からないのか。
やっぱり分からなかった。
そのまま歩き出す。
三人は顔を見合わせた。
そして。
何となく理解する。
シエルが見ている世界は。
自分達とは少し違うらしかった。
訓練場を離れた後も。
フィアはさっきのことが気になっていた。
結局。
我慢できなくなる。
「あの」
フィアが声を掛ける。
「何が分かるんですか?」
シエルは少し考えた。
何が。
と言われても。
見えているものを説明するのは難しい。
それでも答える。
「属性」
「出力」
「範囲」
「発動速度」
一拍。
「あと失敗するか」
沈黙。
三人が固まった。
最初に動いたのはカレンだった。
「全部じゃない」
シエルは首を振る。
「全部じゃない」
「何が違うのよ」
「いっぱいある」
カレンが頭を抱えた。
「説明する気ある?」
「ある」
「嘘でしょ」
ルークが思わず吹き出す。
フィアも苦笑した。
でも。
少しだけ分かる気がした。
自分が見ているもの。
シエルが見ているもの。
それが違うのだ。
フィアは《風読》を思い出す。
風。
位置。
距離。
気配。
動き。
自分はそういうものを見る。
でも。
シエルは違う。
術式そのものを見ている。
同じ戦場を見ていても。
見ている情報が違うのだ。
「それって」
フィアが呟く。
「人との戦いだと強そうですね」
シエルは頷いた。
「強い」
即答だった。
「魔物は術式を使わない」
「人なら分かる」
ルークが少し考える。
確かに。
魔法士同士の戦いなら。
相手が何をしようとしているか分かるのは大きい。
カレンも腕を組んだ。
「なんでそんなの見えるのよ」
シエルは少し考える。
本当に少しだけ。
そして答えた。
「見えるから」
カレンが天を仰いだ。
「参考にならない!」
フィアが吹き出す。
ルークも笑った。
シエルだけが首を傾げる。
また何か変なことを言ったらしい。
でも。
どこが変なのかは分からなかった。
解散後。
シエルは一人で寮への道を歩いていた。
夕焼けが街を赤く染めている。
風は穏やかだった。
今日のことを思い返す。
中間試験。
結果発表。
最後の問題。
訓練場。
みんなの反応。
自然と順番に浮かんでくる。
シエルは少し考えた。
試験問題を思い出す。
第四層。
第三節点。
余剰出力。
術式構造。
原因。
改善案。
順番に辿る。
やっぱり普通だった。
「……分からない」
小さく呟く。
本当に分からない。
難しいとは思わなかった。
特別とも思わなかった。
訓練場も同じだ。
第三節点が崩れていた。
だから失敗すると思った。
実際に失敗した。
それだけだった。
でも。
みんなは違った。
カレンも。
フィアも。
ルークも。
驚いていた。
シエルは空を見上げる。
夕焼け。
雲。
流れる風。
少しだけ考える。
何が違うんだろう。
答えは出なかった。
たぶん。
今日考えても出ない。
だから。
シエルは考えるのをやめた。
代わりに。
別のことを思い出す。
『どこが普通なのよ』
『絶対説明してないわよね?』
『分からないです』
『参考にならない!』
自然と浮かぶ声。
騒がしかった。
少し前の自分なら。
こんな会話はなかったと思う。
試験が終われば終わり。
訓練が終われば終わり。
それだけだった。
でも。
最近は違う。
試験が終わる。
誰かが騒ぐ。
誰かが突っ込む。
誰かが笑う。
少しだけ。
口元が緩んだ。
「……まあいいか」
やっぱり分からない。
何が難しいのか。
何が普通じゃないのか。
それはまだ分からない。
でも。
みんなが楽しそうだった。
それは分かった。
だから。
たぶん。
それでいい。
シエルは夕焼けの中を歩いていく。
足取りはいつも通りだった。
だけど。
ほんの少しだけ。
心は軽かった。




