第七話 ホーンボア
午前の授業が終わった。
昼食を済ませたルーク達は、
学園都市外縁層のギルドへ向かっていた。
初めての自主クエスト。
昨日の約束を、
さっそく実行するためだった。
ギルドへ入ると、
いつも通り多くの冒険者達で賑わっている。
「で?」
カレンが掲示板を見上げる。
「結局どれにするのよ」
ルークは依頼書を何枚か見比べた。
「初心者向けならこの辺だな」
一枚を手に取る。
「ホーンボア討伐」
「二体確認」
「討伐証明は角」
シエルが横から依頼書を覗き込む。
「実戦データ取れる」
「賛成」
「アンタね……」
カレンが呆れたように笑った。
フィアはそんな三人を見ながら、
少しだけ胸の鼓動が速くなるのを感じていた。
訓練じゃない。
模擬戦でもない。
自分達で選び。
自分達で受ける依頼。
初めての自主クエストだった。
「報酬も悪くないしな」
ルークが言う。
「じゃあこれで決まりだ」
三人が頷く。
依頼受注。
それだけのことなのに。
フィアには、
新しい一歩を踏み出したように感じられた。
出発前。
四人はミレイアの元へ報告へ向かった。
「ホーンボア討伐ね」
依頼書を確認したミレイアは小さく頷く。
「今のアンタ達なら問題ないと思うわ」
そう言いながらも。
どこか表情は硬かった。
「でも」
「無茶だけはしないこと」
四人が頷く。
「危ないと思ったら撤退」
「討伐より帰還優先」
「いいわね?」
「はい」
フィアが答える。
ミレイアは少しだけ笑った。
「なら行ってらっしゃい」
「ちゃんと帰って来なさい」
「子供扱いしすぎだろ」
ルークが苦笑する。
「一年生が何言ってるの」
即答だった。
カレンが吹き出した。
シエルは不思議そうに首を傾げる。
フィアも思わず笑ってしまう。
そんな四人を見送りながら。
ミレイアは小さく息を吐いた。
「……まったく」
頭では分かっている。
今の四人なら大丈夫だと。
それでも。
初めて送り出すとなると。
少しだけ落ち着かなかった。
「ちゃんと帰って来なさいよ」
誰にも聞こえない小さな呟きは、
春の風に溶けて消えた。
森へ入ってしばらく。
四人は目的地付近まで到達していた。
周囲に人の気配はない。
聞こえるのは風の音と、
木々が揺れる音だけだった。
「この辺りだな」
ルークが足を止める。
依頼書に記載されていた目撃地点。
ホーンボアが現れるのは、
この周辺らしい。
「フィア」
ルークが振り返る。
「頼む」
「はい」
フィアは小さく頷いた。
深呼吸。
そして。
そっと魔力を広げる。
青翠色の風が足元から流れ出す。
そこへ。
灰銀色の魔力が重なった。
共鳴。
風はさらに澄み、
より遠くまで伸びていく。
風が森を撫でる。
木々の隙間を抜け。
草原を滑り。
地面を伝う。
フィアの感覚が、
少しずつ広がっていった。
いた。
「二体です」
フィアが目を閉じたまま呟く。
「北西」
「距離は二百メートルくらい」
「移動はしてません」
ルークが頷く。
「ホーンボアか?」
「はい」
「たぶん子供です」
子供。
その言葉にカレンが肩の力を抜いた。
「なら楽勝ね」
「油断禁止」
シエルが即座に返す。
「分かってるわよ」
いつものやり取り。
少しだけ緊張が和らぐ。
だが。
フィアは目を開かなかった。
風はまだ広がっている。
何か。
何かが引っかかる。
風は正常。
魔力反応も正常。
ホーンボアも二体。
依頼内容とも一致している。
それなのに。
「……」
フィアは眉を寄せた。
小動物がいる。
鳥もいる。
でも。
何故か。
その数が少ない気がした。
風が運ぶ気配も、
どこか落ち着かない。
森全体が。
ほんの少しだけ。
ざわついているように感じる。
「フィア?」
ルークの声が聞こえる。
フィアはゆっくり目を開いた。
「どうした?」
「いえ……」
言葉が詰まる。
確信がない。
説明もできない。
ただの気のせいかもしれない。
「何かあった?」
本当に確認しているだけだった。
フィアは少し迷って。
小さく首を横へ振った。
「大丈夫です」
「たぶん」
その言葉に。
自分自身が一番納得できなかった。
でも。
理由が分からない以上、
伝えようがない。
「なら行こう」
ルークが言う。
三人が頷く。
フィアも後に続いた。
胸の奥に残る、
小さな違和感を抱えたまま。
四人はホーンボアのいる場所へ向かう。
草むらの向こう。
二体のホーンボアが見えた。
まだこちらには気付いていない。
赤茶色の体毛。
鋭い角。
子供とはいえ、
一般人なら十分脅威になる魔物だ。
ルークは静かに腰の剣へ手を添えた。
「始めるぞ」
三人が頷く。
そして。
灰銀色の魔力が広がった。
ルークを中心に。
細い糸のような魔力が伸びていく。
カレンへ。
シエルへ。
フィアへ。
無属性魔力回路。
接続完了。
フィアは小さく息を呑んだ。
鼓動が少し速い。
訓練では何度も成功している。
でも。
実戦は初めてだった。
「フィア」
ルークが振り返る。
その一言だけで伝わる。
任せる。
そう言っているのだ。
フィアは小さく頷いた。
そして。
意識を回路へ向ける。
《風伝》。
灰銀色の魔力回路に、
青翠色が混ざり合う。
翠銀風。
『――聞こえますか?』
耳元。
いや。
頭の奥。
不思議な感覚と共に声が届く。
『聞こえる』
最初に返ってきたのはルークだった。
『問題ない』
続いてシエル。
『聞こえてるわよ』
最後にカレン。
三人とも普通に返事をしている。
本当に届いている。
訓練じゃない。
実戦の中で。
ちゃんと繋がっている。
フィアは少しだけ目を見開いた。
『すごい……』
『ん?』
カレンの声が返る。
『あ』
『い、いえ』
『何でもないです』
少し恥ずかしくなる。
でも。
嬉しかった。
自分の声が届いている。
自分の指示で。
みんなが動こうとしている。
胸の奥が少し熱くなった。
フィアは気持ちを切り替える。
『カレン』
『前へ』
『了解』
返事と同時。
カレンが飛び出した。
地面を蹴る。
一気に距離を詰める。
ホーンボアがこちらへ気付いた。
だが遅い。
「――《緋槍突》!」
刻印槍《紅突》が赤く輝く。
深紅炎が槍先へ集まり。
突撃速度を一気に加速させた。
轟音。
鋭い一撃がホーンボアの側面へ突き刺さる。
だが。
倒れない。
ホーンボアが悲鳴を上げながら地面を転がった。
『意外と硬い!』
カレンが舌打ちする。
その時。
もう一体がこちらへ向きを変えた。
『シエル』
『止めてください』
『了解』
既に氷晶色の魔法陣が展開されていた。
地面が凍り付く。
ホーンボアの脚が止まった。
動きが鈍る。
『ルーク』
『右側』
『了解』
灰銀色魔力が地面を走る。
障壁。
ホーンボアの進路を塞ぐように障壁が突き上がった。
逃げ場が狭まる。
フィアの視界の中で。
敵の位置。
距離。
進行方向。
全てが整理されていく。
見える。
今なら見える。
『カレン』
『左の個体から』
『任せなさい!』
再び踏み込む。
紅突が唸る。
深紅炎が閃く。
今度は首元。
一撃。
ホーンボアが崩れ落ちた。
『次』
フィアが指示を飛ばす。
拘束。
障壁。
進路制御。
全部が噛み合っている。
カレンが最後の一体へ突撃した。
数秒後。
二体目も地面へ倒れ込む。
順調だった。
順調すぎるほどに。
だからこそ。
その違和感に気付けた。
地面。
ほんの僅か。
振動した。
「――え」
フィアの顔色が変わる。
遠く。
さらに奥。
何かが走っている。
重い。
大きい。
速い。
子ホーンボアではない。
風が知らせている。
地面が知らせている。
森が知らせている。
そして。
フィアは理解した。
「……来る」
その瞬間だった。
森の奥から。
轟音と共に巨大な影が飛び出したのは。
「――来る!」
フィアが叫ぶ。
次の瞬間だった。
赤茶色の巨体が森を突き破る。
子ホーンボアとは比較にならない。
巨大な体躯。
土属性魔力を纏った巨大な角。
親ホーンボアだった。
「なっ……!?」
カレンが目を見開く。
フィアの背筋が冷えた。
あの違和感。
間違っていなかった。
だが。
理解するより早く。
親ホーンボアが地面を蹴った。
速い。
巨体とは思えない速度で突っ込んでくる。
「っ!」
一番近かったのはルークだった。
反射的に結界を展開する。
直後。
轟音。
「ぐっ……!」
全身が軋んだ。
重い。
親ホーンボアの突進が結界へ叩き付けられる。
魔力が一気に削られた。
それでも。
ほんの一瞬だけ止める。
その隙で十分だった。
灰銀色の魔力が地面を走る。
「障壁!」
親ホーンボアの正面。
地面から障壁が突き上がった。
轟音。
親ホーンボアが真正面から激突する。
障壁が大きく震える。
だが止まった。
完全に。
「最初からそれ使いなさいよ!」
カレンが叫ぶ。
「間に合わなかったんだって!」
ルークも叫び返した。
結界は間に合った。
だが消耗は重い。
親ホーンボアが低く唸る。
角へ土属性魔力が集まっていく。
強い。
子供とは別格だった。
そして。
フィアは唇を噛む。
見えていた。
違和感はあった。
でも。
確信できなかった。
だから伝えられなかった。
結果として。
ルークに無理をさせた。
「私……」
小さく呟く。
胸の奥が重い。
悔しい。
情けない。
今なら分かる。
あれは気のせいじゃなかった。
でも。
もう遅い。
そう思った。
だが。
『フィア』
耳元で声が響く。
《風伝》。
ルークの声だった。
フィアは顔を上げる。
親ホーンボアはまだ止まっていない。
障壁を押し込み続けている。
ルークも余裕はない。
それなのに。
『大丈夫』
落ち着いた声だった。
『今一番見えてるのはフィアだろ』
フィアが息を呑む。
『だから任せる』
一瞬。
言葉が出なかった。
失敗した。
判断が遅れた。
そう思っていた。
でも。
ルークは違った。
責めない。
怒らない。
ただ任せると言った。
『……はい』
小さく返事をする。
胸の奥の重さは消えない。
悔しさも残っている。
でも。
立ち止まっている場合じゃない。
今。
一番見えているのは自分だ。
なら。
やるべきことは一つだった。
フィアは再び《風読》へ意識を広げる。
風が森を駆ける。
親ホーンボア。
カレン。
シエル。
ルーク。
全員の位置が見える。
呼吸。
距離。
魔力。
戦場全体が頭の中へ流れ込んできた。
そして。
見えた。
「――あ」
勝てる。
初めて。
はっきりとそう思えた。
そう思った瞬間。
頭の中で戦場が繋がった。
親ホーンボアは強い。
正面から押し切るのは難しい。
だが。
止められれば。
カレンなら届く。
フィアは迷わなかった。
『シエル』
『止めてください』
フィアの指示が飛ぶ。
シエルは即座に答えた。
『出力不足』
その周囲には。
既に幾重もの氷晶色の魔法陣が展開されていた。
親ホーンボアの進路。
周囲の地形。
逃走経路。
全てを封じる位置。
術式は完成している。
必要な計算も終わっている。
足りないのは。
発動に必要な出力だけだった。
『ルーク』
『うん』
言葉はそれだけ。
シエルが駆ける。
ルークも駆ける。
互いに同じ結論へ辿り着いていた。
伸ばした手が触れる。
共鳴。
灰銀色の魔力が流れ込んだ。
完成していた術式へ。
最後の一滴が注がれる。
シエルの瞳が細くなる。
「――捕まえた」
発動。
次の瞬間。
大地が凍り付いた。
無数の氷柱が地面から突き上がる。
親ホーンボアの脚へ絡みつき。
その巨体を拘束した。
轟音。
親ホーンボアが暴れる。
土属性魔力が炸裂する。
氷が砕ける。
だが。
止まる。
完全ではない。
長くも持たない。
それでも十分だった。
シエルが拘束を維持する。
ルークは共鳴を繋ぎ続ける。
フィアは戦場を見る。
全員が役割を果たしている。
そして。
最後の一撃だけが残った。
『今です!』
《風伝》が響く。
『カレン!』
迷いはない。
『決めてください!』
カレンが笑った。
「任せなさい!」
ルークが振り返る。
「カレン!」
「分かってる!」
カレンが駆ける。
ルークも前へ出る。
交差する瞬間。
パンッ。
手のひらが打ち合わされた。
一瞬の接触。
それだけで十分だった。
灰銀色の魔力が滑らかに流れ込む。
ルークの意識がカレンへ向く。
深紅炎へ灰銀色が混ざった。
緋銀炎。
カレンが槍を構える。
親ホーンボアが咆哮した。
拘束を砕こうと暴れる。
だが。
遅い。
槍先へ炎が集まる。
圧縮。
さらに圧縮。
緋銀炎が一点へ収束する。
フィアには見えていた。
シエルが止めている。
ルークが支えている。
そして。
カレンが貫く。
それが。
今のUクラスの勝ち方だった。
「――《緋銀穿》!」
閃光。
緋銀色の炎が一直線に走る。
次の瞬間。
親ホーンボアの額を撃ち抜いた。
轟音。
巨体が大きく揺れる。
一歩。
二歩。
後退する。
そして。
崩れ落ちた。
地面が震える。
静寂。
誰もすぐには動かなかった。
親ホーンボアは動かない。
完全に沈黙していた。
「……勝った?」
フィアが呟く。
ルークが笑う。
「ああ」
カレンが槍を肩へ担ぐ。
「当然でしょ」
シエルは親ホーンボアを見ながら小さく頷いた。
「討伐確認」
その言葉で。
ようやく実感が湧いた。
フィアは親ホーンボアを見る。
そして。
三人を見る。
勝った。
自分達で。
四人で。
初めて。
意図して連携し。
意図して勝利した。
胸の奥が少し熱くなる。
「……みんなで」
誰にも聞こえないくらい小さな声だった。
それでも。
フィアは確かに笑っていた。
ギルドを出た頃には。
空はすっかり夕焼け色へ染まっていた。
四人は並んで歩く。
初めての自主クエスト。
初めての連携勝利。
自然と会話も弾んでいた。
「だから言ったでしょ」
「私が決めるって」
カレンが少し得意げに言う。
「ほとんど最後だけ」
シエルが即座に返した。
「は?」
「最後だけ」
「アンタ喧嘩売ってる?」
「事実」
いつもの調子だった。
ルークが苦笑する。
フィアも思わず笑ってしまう。
少し前まで。
こんな風に笑い合うことはなかった。
それが不思議だった。
そして。
少しだけ嬉しかった。
そんな四人を。
少し離れた場所から見ている人物がいた。
「ふふ」
ミレイアだった。
気付かれてはいない。
もちろん偶然でもない。
最初から最後まで見届けていた。
ホーンボア討伐。
親ホーンボア出現。
フィアの判断。
シエルの拘束。
カレンの一撃。
ルークの共鳴。
全部。
ちゃんと見ていた。
「良いパーティーになりそうね」
小さく呟く。
まだ未完成だ。
危なっかしい。
失敗もする。
判断も遅れる。
でも。
それでいい。
少しずつ。
支え合えるようになっている。
それが大事だった。
ミレイアは四人の背中を見る。
そして。
ふと思い出した。
「ガルド」
夕焼け空を見上げる。
「ちゃんと育ってるわよ」
少しずつ前へ進んでいる。
ミレイアは満足そうに笑った。
「喜ぶのはいいけど」
嫌な予感がした。
ルークが顔を上げる。
カレンも眉をひそめる。
フィアも固まる。
シエルだけは無表情だった。
そして。
ミレイアは笑顔で告げた。
「来週、中間試験よ」
沈黙。
一秒。
二秒。
三秒。
「は?」
カレン。
「えっ」
フィア。
「マジか……」
ルーク。
三人の反応は綺麗に揃った。
一方。
シエルだけが首を傾げる。
「?」
「普通」
沈黙。
今度は別の意味で沈黙した。
ミレイアが吹き出す。
「はいはい」
「という訳で今日から試験対策」
「頑張りなさい」
三人が同時にため息を吐いた。
こうして。
初めての自主クエストは幕を閉じる。
そして次に待つのは。
戦場ではなく。
試験勉強だった。




