第二話 夜明の灯
意識が浮かんだ。
暗く、冷たい。身体は鉛のように重かった。
「……ぁ……」
胸の奥が焼けるように痛む。心臓の近くを、無理やり掻き回されているみたいだった。
ゆっくりと瞼を開くと、ぼやけた視界の先に夜空が広がっていた。ルークは草原に倒れたまま、指先ひとつ動かせずにいる。
「……父、さん……」
返事はない。
代わりに、遠くから何かの唸り声が聞こえた。
ぞくり、と背筋が震える。
魔物だ。
森で何度か遠目に見たことはある。けれど、こんな声は聞いたことがなかった。低く、飢えたような唸り声と、草を踏み潰す音が少しずつ近づいてくる。
「っ……」
逃げなければならない。
そう思うのに、身体へ力が入らなかった。
◇
その時だった。
「――いたぞ!!」
怒鳴り声が夜空に響いた。
直後、轟音と共に風が吹き荒れる。何かがルークの前を駆け抜け、次の瞬間には魔物の身体が吹き飛んでいた。
「ギャァァァァッ!?」
巨大な狼型の魔物が地面を転がる。
その前に立っていたのは、長剣を肩へ担いだ男だった。
黒髪に傷だらけの顔。全身から灰翠色の風を吹き荒れさせている。
「チッ、寄って来やがる!」
男――ガルドが舌打ちした直後、ルークの前へ氷の壁が展開された。
激しい衝撃音と共に、別の魔物が氷壁へ激突する。
「旦那! 右!!」
軽い声が飛ぶ。
青灰色の髪をした男が片手を前へ突き出していた。その周囲には、無数の氷片が浮かんでいる。
「分かってる!」
ガルドが地面を蹴った。
一瞬で距離を詰める。長剣に刻まれた灰翠色の術式が輝き、次の瞬間には魔物の身体が真っ二つになっていた。
ルークは息を呑む。
速い。強い。
だが何より目を奪われたのは、ガルドが一度も後ろを振り返らないことだった。
援護も、防御も、死角への対応も、すべてを後ろの男へ任せている。
信じ切っている。
「左三体!」
今度は女の声だった。
直後、紅蓮色の炎が夜を染める。爆炎が弾け、熱風と共に魔物達をまとめて吹き飛ばした。
長い赤黒髪を揺らしながら、女がゆっくりと息を吐く。
「まだ来るわね」
「勘弁してくれよ……解散前最後の仕事だぞこれ」
氷使いの男――クロウが、うんざりした声を漏らした。
「ぼやく暇があるなら手を動かしなさい」
「へいへい」
軽口を叩きながらも、三人の動きは一切乱れない。
ガルドが前へ出て、クロウが防ぎ、ミレイアが後方から援護する。その連携には迷いがなかった。まるで互いの次の行動が見えているかのようだった。
「……すご……」
思わず声が漏れる。
だが、その瞬間に視界がぐらりと揺れた。
「っ……!」
胸の奥が熱い。上手く息が吸えず、心臓の近くが焼けるように痛んだ。
「……おい!」
真っ先に駆け寄ってきたのはクロウだった。
そのままルークを抱き起こす。
「大丈夫か、ガキ。しっかりしろ!」
「ぁ……」
「何があった?」
答えようとしても、喉が動かない。代わりに、苦しそうな息だけが漏れた。
クロウの表情が変わる。
「……なんだこりゃ」
ルークの胸元へ手を当てると、淡い蒼色の魔力が広がった。
「このガキ、体内の魔力が異常に乱れてる」
「魔力器官を損傷してるのか?」
ガルドが眉を寄せる。
ミレイアも膝をつき、ルークの状態を確認した。呼吸、魔力の流れ、胸元の反応。そのすべてを見た後、彼女の表情が険しくなる。
「……それだけじゃないわね」
「何だよ」
「内部が滅茶苦茶よ」
その時、森の奥からさらに低い唸り声が響いた。
魔物の群れだ。
まだ終わっていない。
「チッ……!」
ガルドが長剣を構える。
クロウは即座にルークの前へ氷壁を展開した。
「姉御! そいつ頼む!」
「分かってる!」
ミレイアがルークを庇うように前へ出る。
「旦那、前!!」
「おう!」
次の瞬間、魔物達が飛び出した。牙と爪が氷壁へ叩きつけられる。だが、氷壁は砕けない。
「ハッ、通すかよ!」
クロウが笑う。
その背中から、ルークは目を離せなかった。
怖いはずなのに、不思議と安心する。この人達なら大丈夫だと思った。
ガルドが迷わず前へ出られるのも、ミレイアが後ろから魔法を撃てるのも、すべて仲間を信じているからだ。
クロウもまた、当たり前のように背中を預けている。
――いいな、と思った。
こんな風に誰かを信じて戦えること。背中を預けられる仲間がいること。
「……おれも……」
無意識に呟いた言葉は、戦闘音へ掻き消された。
やがて最後の魔物が地面へ崩れ落ちる。
◇
静寂が訪れ、荒い呼吸だけが残った。
「終わったか……」
ガルドが長剣を下ろす。
クロウはその場へ座り込んだ。
「マジで勘弁してくれ……」
「生きてるだけマシでしょ」
ミレイアが呆れたように言う。
だが、すぐに三人の視線はルークへ向いた。
「……この子、かなり危険な状態よ」
ミレイアが静かに言う。
「助からないのか?」
「普通なら無理」
空気が重くなる。
クロウが頭を掻いた。
「……特級ポーション『蒼命薬』を使えば、まぁ可能性はあるかもな」
「……アレを使うの?」
ミレイアが眉を寄せる。
「あれ、貴重なのよ」
「どうせ旦那と姉御は引退するんだろ?」
クロウが肩を竦めた。
「だったら、このガキに使った方がマシだ」
少しだけガルドが笑う。
「言うと思った」
ミレイアは小さくため息を吐いた。
けれど、反対はしない。
しばらく黙った後、腰のポーチから小さな瓶を取り出す。淡い青色の液体が、夜の光を受けて揺れていた。
「……お願い」
「へいへい」
クロウは『蒼命薬』を受け取る。
「飲めるか?」
ルークは小さく頷いた。
震える手を見て、クロウは少しだけ困ったように笑う。
「しゃーねぇな」
そっと瓶を支える。
「死ぬなよ、ガキ」




