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第二話 夜明の灯


 意識が浮かんだ。


 暗く、冷たい。身体は鉛のように重かった。


「……ぁ……」


 胸の奥が焼けるように痛む。心臓の近くを、無理やり掻き回されているみたいだった。


 ゆっくりと瞼を開くと、ぼやけた視界の先に夜空が広がっていた。ルークは草原に倒れたまま、指先ひとつ動かせずにいる。


「……父、さん……」


 返事はない。


 代わりに、遠くから何かの唸り声が聞こえた。


 ぞくり、と背筋が震える。


 魔物だ。


 森で何度か遠目に見たことはある。けれど、こんな声は聞いたことがなかった。低く、飢えたような唸り声と、草を踏み潰す音が少しずつ近づいてくる。


「っ……」


 逃げなければならない。


 そう思うのに、身体へ力が入らなかった。



 その時だった。


「――いたぞ!!」


 怒鳴り声が夜空に響いた。


 直後、轟音と共に風が吹き荒れる。何かがルークの前を駆け抜け、次の瞬間には魔物の身体が吹き飛んでいた。


「ギャァァァァッ!?」


 巨大な狼型の魔物が地面を転がる。


 その前に立っていたのは、長剣を肩へ担いだ男だった。


 黒髪に傷だらけの顔。全身から灰翠色の風を吹き荒れさせている。


「チッ、寄って来やがる!」


 男――ガルドが舌打ちした直後、ルークの前へ氷の壁が展開された。


 激しい衝撃音と共に、別の魔物が氷壁へ激突する。


「旦那! 右!!」


 軽い声が飛ぶ。


 青灰色の髪をした男が片手を前へ突き出していた。その周囲には、無数の氷片が浮かんでいる。


「分かってる!」


 ガルドが地面を蹴った。


 一瞬で距離を詰める。長剣に刻まれた灰翠色の術式が輝き、次の瞬間には魔物の身体が真っ二つになっていた。


 ルークは息を呑む。


 速い。強い。


 だが何より目を奪われたのは、ガルドが一度も後ろを振り返らないことだった。


 援護も、防御も、死角への対応も、すべてを後ろの男へ任せている。


 信じ切っている。


「左三体!」


 今度は女の声だった。


 直後、紅蓮色の炎が夜を染める。爆炎が弾け、熱風と共に魔物達をまとめて吹き飛ばした。


 長い赤黒髪を揺らしながら、女がゆっくりと息を吐く。


「まだ来るわね」


「勘弁してくれよ……解散前最後の仕事だぞこれ」


 氷使いの男――クロウが、うんざりした声を漏らした。


「ぼやく暇があるなら手を動かしなさい」


「へいへい」


 軽口を叩きながらも、三人の動きは一切乱れない。


 ガルドが前へ出て、クロウが防ぎ、ミレイアが後方から援護する。その連携には迷いがなかった。まるで互いの次の行動が見えているかのようだった。


「……すご……」


 思わず声が漏れる。


 だが、その瞬間に視界がぐらりと揺れた。


「っ……!」


 胸の奥が熱い。上手く息が吸えず、心臓の近くが焼けるように痛んだ。


「……おい!」


 真っ先に駆け寄ってきたのはクロウだった。


 そのままルークを抱き起こす。


「大丈夫か、ガキ。しっかりしろ!」


「ぁ……」


「何があった?」


 答えようとしても、喉が動かない。代わりに、苦しそうな息だけが漏れた。


 クロウの表情が変わる。


「……なんだこりゃ」


 ルークの胸元へ手を当てると、淡い蒼色の魔力が広がった。


「このガキ、体内の魔力が異常に乱れてる」


「魔力器官を損傷してるのか?」


 ガルドが眉を寄せる。


 ミレイアも膝をつき、ルークの状態を確認した。呼吸、魔力の流れ、胸元の反応。そのすべてを見た後、彼女の表情が険しくなる。


「……それだけじゃないわね」


「何だよ」


「内部が滅茶苦茶よ」


 その時、森の奥からさらに低い唸り声が響いた。


 魔物の群れだ。


 まだ終わっていない。


「チッ……!」


 ガルドが長剣を構える。


 クロウは即座にルークの前へ氷壁を展開した。


「姉御! そいつ頼む!」


「分かってる!」


 ミレイアがルークを庇うように前へ出る。


「旦那、前!!」


「おう!」


 次の瞬間、魔物達が飛び出した。牙と爪が氷壁へ叩きつけられる。だが、氷壁は砕けない。


「ハッ、通すかよ!」


 クロウが笑う。


 その背中から、ルークは目を離せなかった。


 怖いはずなのに、不思議と安心する。この人達なら大丈夫だと思った。


 ガルドが迷わず前へ出られるのも、ミレイアが後ろから魔法を撃てるのも、すべて仲間を信じているからだ。


 クロウもまた、当たり前のように背中を預けている。


 ――いいな、と思った。


 こんな風に誰かを信じて戦えること。背中を預けられる仲間がいること。


「……おれも……」


 無意識に呟いた言葉は、戦闘音へ掻き消された。


 やがて最後の魔物が地面へ崩れ落ちる。



 静寂が訪れ、荒い呼吸だけが残った。


「終わったか……」


 ガルドが長剣を下ろす。


 クロウはその場へ座り込んだ。


「マジで勘弁してくれ……」


「生きてるだけマシでしょ」


 ミレイアが呆れたように言う。


 だが、すぐに三人の視線はルークへ向いた。


「……この子、かなり危険な状態よ」


 ミレイアが静かに言う。


「助からないのか?」


「普通なら無理」


 空気が重くなる。


 クロウが頭を掻いた。


「……特級ポーション『蒼命薬』を使えば、まぁ可能性はあるかもな」


「……アレを使うの?」


 ミレイアが眉を寄せる。


「あれ、貴重なのよ」


「どうせ旦那と姉御は引退するんだろ?」


 クロウが肩を竦めた。


「だったら、このガキに使った方がマシだ」


 少しだけガルドが笑う。


「言うと思った」


 ミレイアは小さくため息を吐いた。


 けれど、反対はしない。


 しばらく黙った後、腰のポーチから小さな瓶を取り出す。淡い青色の液体が、夜の光を受けて揺れていた。


「……お願い」


「へいへい」


 クロウは『蒼命薬』を受け取る。


「飲めるか?」


 ルークは小さく頷いた。


 震える手を見て、クロウは少しだけ困ったように笑う。


「しゃーねぇな」


 そっと瓶を支える。


「死ぬなよ、ガキ」

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